償い

文字数 8,332文字

吉原は瑤子の自宅の和室に続く縁側に座ったまま、時計を見た。まだ署には連絡していない。ふと、自分が何も言わなければ、この事件は闇に葬られるのだということに気づいた。
 瑤子を行かせたということは、それだけで、すでに大きな罪を犯したことになる。それでも吉原は瑤子を止めることが出来なかった。瑤子は狂っているけれど、真美を救おうとしていることに嘘は無い。彼女の中には狂っている部分と正常な部分が共存いしている。その正常な部分を信じて瑤子を行かせたのだ。彼女は必ず戻ってくるはずだ。自分はそう、信じている。
 夾竹桃のピンクの花は、それぞれの顔を寄せ合うように咲いている。まるでその根の下にひとりの人間が眠っているという秘密を楽しむように揺れる。花たちはその秘密を分け合って、無邪気に笑いあっているのかもしれない。
 花たちにとってみれば、人の死も彼女たちのフィースト。植物は死んでいくものたちの滋養で育っていく。さらに人間はそんな植物や動物を食べて生きている。どんな生物も、何ひとつ殺さないで行き続けることは出来ない。
 父のことを思い出した。父は弱かった。でも自分勝手に死んだわけではない。自殺を考えた父はその時点で狂っていたかもしれないけれど、母と息子の生活を守るために死んだという意味では、父は冷静で正常だった。
 瑤子の言葉が正恵に死を選ばせた。真美は犬を助けようとして父親にすがり、その結果父親を死なせた。吉原の場合、息子を大学に行かせるために父親が死を選んだ。それは同時に自分のためでもあった。学歴というコンプレックスを息子に託していたのだ。詐欺師にも簡単に見破れるくらい切実なコンプレックスが、父親に死を選択させた。
 真美を狂っていると中傷する丸山や子供たちの気持ちは決して歪んだものではない。存在しない誰かが見えると言われて、気味が悪いと思うのは当たり前だ。だからと言って真美や瑤子のように存在が消えてしまった誰かと共存して生きていることを狂っていると、科学的に証明出来るのだろうか。デニーズでケーキを食べる利発な真美の瞳も、吉原をみつめる瑤子の知的な眼差しにも狂気は存在しないのに。
 精神が壊れるというのはどういうことなのだろうか。誰にでも理性を失う瞬間がある。その時間が一瞬だと正常で、長いと精神異常ということなのだろうか。そして理性の失い方が度を越えると精神異常で、範囲内だと健常ということになるのだろうか。殺人を犯すことは正常な人間のすることではない。では過失致死はどうだろうか。酒を飲んで運転して人を殺す。殺意が無いというだけの違いで、それはConsequence「起こるべきして起こった事実。起こりえることが認識できる殺意だ。
 死に直面した三人の中で自分だけが正常であると、どうして断言できるのだろうか。
自分は父親の死を予感していた。止められたかもしれない。でも「止めなかった。」そんな風に考えていると、ひどく混乱してくる。瑤子を連れて、どこか誰も知らない所に逃げ出してしまいたい。例え束の間であっても、ふたりだけで密やかに暮らせるなら、全てを失ってもいい。けれど、そんな自分とは全く別の自分がその思いを否定する。どんな人間も社会に属せずに生きることなんて出来ないのだと、もうひとりの自分を批判して、こちら側に連れ戻す。

 唐突に携帯が鳴った。

「終わったわ。今からそちらに帰るから待ってて。」
吉原は我に返った。
「真美ちゃんは?」
「今は混乱している。でも後のことはお母様がちゃんとするから大丈夫だと思う。もう私の出る幕では無いわ。吉原さん、約束は守っているのだから、帰宅したら大勢の警察官に囲まれるなんてことは無いわよね。私はあなただから自首できるの。他の人がいたら、その場で逃げ出す。」
「大丈夫です。誰も呼んだりしません。」
「それを聞いて安心して帰ることができるわ。」



 真美のお母さんは真美を抱きかかえて石神井の家に帰った。瑤子さんの用意したハイヤーの中で、真美はずっと無言だった。お母さんが話しかけても、ずっと下を向いたまま。


真美ちゃんが怒っても、暴れても、黙ったままでもいいんです。お母様は真美ちゃんをしっかり抱きしめて、そしてお母様が感じるまま、思うまま、お母様の心に従って真美ちゃんと話をしてください。

瑤子さんはそう言っていた。車が自宅前に着くと、真美はお母さんの腕を振り払って、自分の鍵で玄関を開け階段を駆け上がり、お父さんの書斎のドアを開けた。

お父さんがいなくなっている。


真美はその場に立ち尽くした。気がつくをお母さんが後ろに立っていた。手にお父さんの写真を持っている。いつものお父さんの笑顔。

お母さんが泣いている。

お母さんが言った。真美ちゃん。お父さんは真美とお母さんの心の中に生きている。でも肉体はもう遠いところに行ってしまったの。真美に見えているのは真美の心が作り出したお父さんの魂。もう、お父さんを真美の心からひっぱり出さないで。真美がお父さんを心の中から連れ出してしまうと、お母さんの心に住むお父さんが見えなくなってしまう。それはお母さんにとってとても辛いことなの。だってお父さんはお母さんが一生に一度だけ愛したたったひとりの男の人だから。そしてお母さんが一番大切な真美をこの世に連れてきてくれた人だから。

お母さんが続けた。

真美ちゃん。もうお母さんを泣かせないで。
弱くて頼りないお母さんを守って支えてほしいの。お母さんにとって、真美はたったひとりのお父さんの分身なのだから。

お母さんはそう言うと、真美を抱きしめたまま、、声を出して泣いた。真美も一緒に声を出して泣いた。真美の頬をつたう涙と、お母さんの頬をつたう涙が混ざり合って、一筋の涙になって、お父さんの写真の上に小さな水溜りを作る。お父さんも一緒に泣いている。お母さんと真美とお父さんはそうやって三人で泣き続けた。




 人の気配がして吉原が振り返ると、瑤子が音も無くそこに立っていた。
「ただいま。」
瑤子が言った。
「お帰り。」
吉原も言った。
瑤子はハンドバッグを置くと、テーブルの前に座った。朝入れたお茶が、そのまま残されている。
「約束はちゃんと守ったでしょ。」
そう言って、吉原を見た。
「瑤子さん、出来ればあなたを連れていきたくない。いや、本当はあなたを連れて、遠いどこかに一緒に逃げたいというのが僕の本音かもしれない。でもそれは許されることではない。僕が刑事だからというだけではなく。」
「個人的に?」
瑤子が言って微笑んだ。
「そう、個人的に。」
吉原も微笑んで、瑤子の傍らに座った。
「出会いも個人的に始まったわね。そして終わりも。」
「終わったわけじゃない。僕は、これから始まると思っています。」
「いいのよ。私の心はちゃんと準備できているから。もう、覚悟は決めたわ。私は罪をちゃんと償う。」
「これだけは言えます。僕は待っています。例え十年後だとしても、僕の気持ちは絶対変わらない。」
瑤子が微笑んで、吉原の首に腕をまわして、そっと唇を重ねた。ふたりはそのまま、無言のまま抱き合った。
「これで心残りは無いわ。あなたを信じている。だから戻ってきたのよ。私はもうひとりじゃない。」
吉原がもう一度、瑤子を抱きしめた。そして瑤子が朝、鴨居にかけておいてくれたスーツの上着を手に取った。
「行きましょう。」
「その前に、お茶を片付けていいかしら。しばらく戻ってこれないでしょうから、せめてきちんとしておきたいの。汚れた食器をそのままにするのは私のスタイルではないの。」
そう言って微笑んだ。吉原も微笑んだ。
「瑤子さんは何があっても瑤子さんだ。」
「そうなの。私のスタイルは絶対に変わらないのよ。」
 瑤子は再び微笑みを返し、黒いお盆の上に湯飲みを乗せて、キッチンに持って行った。湯飲みを洗う水道の水音が聞こえる。吉原はもう一度庭を見渡し、縁側に続くガラス戸を閉めた。彼女が戻ってくるまで、せめてこの庭を、自分が出来る範囲で美しく保とう。
 キッチンの水音が続いている。吉原は上着を手に持ったまま、キッチンを振り返った。そのとき、不吉な感覚が吉原を襲った。それは父親の遺体を見つけたときと同じ、嫌な感覚だった。咄嗟に上着を床に投げて、キッチンに走った。
 両側をカウンターに囲まれたフローリングの床に瑤子が倒れている。瑤子さん?名前を呼んだ。けれど、瑤子はすでに息絶えている。その顔に表情は無い。白い肌は血の気を失って、さらに透き通るように白かった。自分自身のために身につけた喪服のような黒いドレスが、生命を失った白い肌の上にもうひとつの肌のようにぴったり瑤子を包んでいる。呼吸を止めた搖子の姿はその圧倒的な美しさゆえ、床に流れる黒髪、柔らかい黒のドレス、どこまでも白い肌、すべてが現実離れした光景だった。吉原は瑤子の身体を抱きながら、冷静な自分に驚いていた。父親の時と全く同じだと思った。自分は本当はこうなることを知っていた。知っていながら、それを止めることが出来なかったのだ。本当は彼女を逃がすことも、警察に連れていくことも出来ずに、こうやって瑤子が死んでいくのを容認して待っていたのだ。吉原は瑤子の遺体を抱きしめて、その場にうずくまった。涙がとめども無く溢れ出した。吉原は自分の流した涙を頬に感じて、父親の時は泣けなかったのに、と思った。
 どのくらいたっただろうか。吉原は瑤子の身体をそっと床に戻し、起き上がった。磨き上げられたシンクの白いカウンターにきちんと洗われた湯飲みがふたつ並び、そして透明な液体が少し残るワイングラス。その横に同じ色の、白い封筒が置いてあるのに気づいた。。

吉原さん、約束破ってごめんなさい。真美ちゃん、囚人服は私のテイバンのカッコウでは無いのよ。私は私らしい姿のままでいたい。
わかってほしい。吉原さん、これは裏切りではなく、最初からの決まりごと。私は私のやりかたで償いをする。決して自分を責めないで。あなたのせいでは無いのよ。あの時、あなたが行かせてくれなかったら、私は真美ちゃんに何もしないまま、同じことを実行した。結果は同じだということ。実際にはあなたのお陰で、数時間だけど長生きできたということ。言ったでしょ。
 運命は変えられない。
私は瑤子でありながら正恵でもあった。お互い心の奥で憎み合いながら、でも切り離せない。そういう人生はとても辛いものなの。
でもあなたたちに会えたことは後悔していないの。だってそれは遠い昔からの約束。運命の人にめぐり合えたのから、もう淋しくはないわ。吉原さん、あの時のあなたとの時間は人生で一番せつなくて一番幸せだった。
女に生まれた幸せを初めて知った。あの瞬間、私はひとりきりの私になれた。一生に一回の素敵な恋を有難う。
真美ちゃん、お父様の身体を心に返してあげて。真美ちゃんがあの後どうなったのか、それを確かめられないのは心残りだけれど、お母様にお会いして、私、確信したの。真美ちゃんはきっと大丈夫。これからたくさんのお友達を作って、素敵な大人になっていく。
吉原さん、私を信じてくれて、そして私の願いを聞いてくれて本当に有難う。
そしてもうひとつだけ。最後のお願い。

私のことを永遠に忘れないで



真美は校庭の桜の木を見上げた。
「セミの鳴き声が聞こえない。」
「もう、九月だもんな。」
「あんなにうるさく鳴いてたのに、セミって夏が終わったら何処へいっちゃうんだろう。」
「蝉は成虫になってから二週間くらいしか生きられないんだ。だから卵を産んで役目を果たしたらお終い。」
真美は吉原の顔を見て、再び桜の木を見上げた。
「セミがうるさいのは残り少ない命を精一杯主張しているんだね。」
吉原は真美の頭を優しく撫でた。
「そうだな。でも真美ちゃん、人間は大人になってからの人生の方がずっと長いんだ。だから焦らず長い目で生きていかなくちゃ。」
「人間って大変だね。」
「大変だよ。こんなストレスの多い現代社会で生きていくのはね。」
「社会が悪いからみんな苦労するのかな。」
吉原は額に手をかざして、無数の細かい木の葉の間から漏れる陽射しに、目を細めた。
 理由無き犯行世代。ふと、弥生の言葉が脳裏をかすめた。そんなことあってたまるか。どんな犯行にも必ずそれぞれ異なる背景があり、理由があるはずだ。それを理解できないから世代という言葉でひとくくりにする。理由がわからないから犯罪者を逮捕できても、動機は永遠にクエスチョンマークのまま、だからまた別の犯罪が別の場所で繰り返される。
「スモッグで汚れた東京の空の下でも木はちゃんと育つ。社会はひとりひとりの人間の集合体だ。社会が先頭に立って僕たちを導くわけじゃなくて、社会は人間たちの生活を映す鏡なんだ。みんなががんばれば社会もがんばるし、人間が狂えば社会も狂う。僕は社会は環境ではなくて人々の心の集まりだと思う。自分の人生がうまくいかないのを社会のせいにするのは間違っている。真美ちゃんみたいな子供たちが一生懸命生きていくことで、将来、確実に社会を変えることが出来るはずだよ。失敗してもまた立ち上がればいい。だから長い人生も悪くないんだ。失敗しても何度もやり直せるんだから。」
「失恋しても何度でも立ち直れる。」
「あはは。そういうこと。」
「瑤子さんは立ち直れなかったけどね。」
「完璧すぎるのも不幸なんだ。オール5の子が4ひとつで落ち込んじゃうみたいに、完璧主義で生こうとすると、挫折した時点で人生が止まっていまう。瑤子さんは自分を自分で追い込んでしまった。瑤子さんを苦しめたのは正恵さんじゃなくて、瑤子さんの心が作り上げた瑤子さん自身なんだ。」
「こないだね、お母さんとお父さんのお墓参りに行って来た。」
吉原が真美を見た。
「私にお父さんが見えたのも、私が自分で作りあげたから?」
「そうかもしれないな。世の中には科学では説明のできないことがたくさん起こるから断言はできないけど。ただ、僕が思うに、瑶子さんも真美ちゃんも、正恵さんや真美ちゃんのお父さんの死の原因を作ったのが自分自身だと、自分で自分を責めて、そんな自分を自分から守るために、死んだ人を心の中に生き返らせて自分を正当化しようとした。それこそ絵に描いたような幸せな家庭という箱の中で育ち、お父さんの突然の死を目撃して、真美ちゃんの心は無防備な状態で、箱を飛び出してしまった。だから心がお父さんの死を取り消して、真美ちゃんを箱の中に連れ戻そうとした。死を受け入れる代わりにね。言ってること、わかるかな。」
「わかると思う。人間の心って不思議だね。心が心を守ろうとするんだ。」
吉原が突然、真美の目の前で手を叩いた。
「ほら今、真美ちゃん目をつぶっただろ?人間の身体は反射的に自己防衛をする機能を持っている。考えてから防衛するんじゃ手遅れだから。心が同じように働いても不思議じゃないんだ。」
「でも瑤子さんはどうして丸山先生を殺さなきゃいけなかったんですか?」
吉原は校庭の土に混ざっていた赤茶けた石を拾って花壇の方に投げた。
「こういう石って部活なんかで走っている時、けっこう危ないんだよね。」
 吉原がそう言うのを真美が不思議そうな目で眺めた。
 結局は誰でもよかったんだ。ただ、瑤子さんの心の中でふたつの魂がお互いを侵食して共存できなくなって、どちらかがどちらかを追い出そうとし始めた。そしてその魂を葬る身体が必要だと思った。だから同じようにふたつの魂を心に持つ真美に強い連帯感を覚えて、たまたま真美が嫌いで、瑤子自身嫌悪感を持った丸山を殺した。丸山は最悪のタイミングで現れた男だったわけだ。
 吉原はもうひとつ小石をみつけ、再び花壇の方に投げて、手の埃を掃って、真美の方を向いた。
「ひとつの身体にふたつの魂は住めないんだ。
瑤子さんの心は窮屈になって、ひとつの魂が住む身体が必要になったんだ。そのこと自体完全に狂った発想だけれどね。」
真美は言った。
「最初に瑤子さんに会ったとき、植物園でカタツムリを見た。人間の魂と身体はヤドカリじゃなくてカタツムリなんだよね。別々になれないし、別の身体に引越しできない。一緒に育って、死んだら一緒に死ぬ。それを教えてくれたのは瑤子さんだったのに。」
「そうだったんだ。」
「でもね、刑事さん、私は心が求めると魂が答えてくれるっていう瑤子さんの言葉を今でも信じてる。」
吉原の表情を見て、真美が笑った。
「心配しないで。お父さんが亡くなったことはもう受け入れているから。お父さんの幻が見えることはないけど、お父さんの心がいつも私を見守っているって確信できるのは、前と一緒。本当のことを言うと、今でもお父さんと話をすることがある。自分の中で。そうするとすごく安心できるから。」
吉原は真美の顔を見下ろした。
「丸山先生、それと先生の家族、かわいそうだね。」
「真美ちゃんがそう思ってくれたら丸山先生も少しは救われる。こないだ、ご両親が上京して遺体をひきとっていった。もう骨しか残っていなかったけれどね。婚約者の女性も一緒だった。みんな泣いていたよ。瑤子さんのしたことは決して許されることではないんだ。わかるよね。」
「うん。」
ふたりは校庭の向こうに広がる青空を眺めた。
死んだ魂と身体は一緒になって空へ上っていく。真美は瑤子さんの言葉を思い出した。必ず帰って来るから。吉原も-瑤子さんの言葉を思い出していた。
「瑤子さんを救えなかった。」
吉原がぽつんと口に出して言った。真美に、と言うのではなく、自分に言い聞かせるように。
「瑤子さんは頭がいいから、刑事さんがどんなにがんばって、例えタイムマシンで時間を戻してやり直しても、絶対に瑤子さんを止められなかったと思うよ。誰にも瑤子さんを止められない。そのくらい私だってわかる。刑事さんも本当はわかっていたんじゃないかな。それにね、刑事さんが時間をくれなかったら、私はこれからもお母さんを泣かし続けたかもしれない。だから私は瑤子さんと同じくらい、刑事さんに感謝している。」
吉原は真美を見つめた。そして瑤子の言葉を反芻した。運命は変えられない。本当にそうだろうか。
真美は校舎の方を向いた。
「真美は丸山先生のこと嫌いだったけど、でも殺されるほど悪い先生ではなかった。」
「本当だよ。」
「でも私は瑤子さんのこと、今でも大好き。めぐり合ったことは一生忘れない。」
「僕も永遠に忘れない。」
真美が手を伸ばして再び空を見上げた。
「ねえ、瑤子さんは天国にいけないね。」
「うん、そうだな。向こうに行ってもちゃんんと罪を償わなくちゃいけないからね。」
真美は吉原に振り返って少し寂しそうな微笑を浮かべた。
「じゃあ、刑事さん、私帰る。あまり遅くなると母が心配するから。相変わらず心配性だし。」
「送っていこう。」
「大丈夫。何かあったら電話する。」
そういって、キラキラ光るピンクの携帯を空にかざした。携帯のラインストーンが傾きかけた太陽に反射して真美の顔にピンクの斑模様を描いている。
 歩き出した真美が振り返って吉原に微笑んでいる。透明な笑顔。その笑顔を見て吉原は思った。自分が刑事としてこれからやらなければいけないのは、理由の無い犯行の本当の理由をみつけていくことなんじゃないか、と。
 吉原は手を振って真美の後姿を見送った。この子はこれからどんな風に育っていくのだろうか。小さな頭に抱えきれないほどの衝撃を受けて、それを乗り越えて、真美は今、出会った頃より少し大きな歩調で歩いていく。校門を出るところで真美がもう一度振り返った。
そして吉原の携帯が鳴った。

刑事さん、また振られたら真美とデニーズでデートしよう。

了解。ふたつ条件がある。振られなくてもたまにデートしよう。それと刑事さんていうの止めてくれないかな。

刑事さんは死ぬまで刑事さんだよ。刑事らしくない刑事さんだけど。

 真美の姿が道の彼方に小さくフェイドアウトしていく。夏が終わる、そして吉原はふと思い出した。今年のお盆は久しぶりに母に会いに行こうと思っていたのに、もう九月だな。
「今夜は母親に電話でも入れるとするか。」
吉原はそう声に出して、再び空を見上げ、それから真美とは反対の方向に歩き出した。(了)
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