第25話 ティッシュ・ペーパー

文字数 3,066文字

 春。
 花粉症の季節だ。
 俺のお散歩ゴミ拾いで、ティッシュ・ペーパーの割合が、ぐっと増える季節でもある。
 ドラッグストアが近いせいか、多い時は、十個くらいは拾うであろうか。むろん、どれもこれも、花粉症患者の体液が大量に付着している状態なわけで、汚いことこのうえない。
 手袋をして、感染予防は十分しているから、その点で問題はないわけだが、気分の問題は別だ。汚いものは汚い。
 ティッシュ・ペーパーの原材料は、パルプ。言うまでもなく生分解である。
 しかも、薄く、柔らかく作られているから、すぐ破れるし濡れる。そんなティッシュだから、自然界であっという間に分解されそうに思うのではないだろうか。
 ところが、現実はさにあらず。意外と長いこと残っている。
 もちろん、雨でも降れば、すぐ水を吸ってぐちゃぐちゃになるわけだが、そうたやすく分解はされずに、ふやけた饅頭状に固まってしまう。雨の後には、それがそこかしこに落ちていて、実にえげつなく、汚い。
 このティッシュ饅頭。土の上や草の上だと、ダンゴムシだのヤスデだのナメクジだのがたかってくるわけで、ティッシュ一枚くらいなら、一週間ほどで消えていくようだ。
 しかし、アスファルトやコンクリ上だと、そう簡単に分解しないし、土壌動物もいない。よって、次の晴れ間にはすぐ乾いてしまうため、ほとんど分解されないのである。
 そして、通行人や車に踏みつぶされ、薄汚れて、なんだか地面の模様っぽくなって、何週間も残り続けることになるのである。
 こういう潰れたティッシュ饅頭と、路面の汚れの区別はつきづらいのだが、いつも持ち歩いている鎌で引っ掻くと、ティッシュは綺麗に剥がれてくる。
 前にも書いたが、濡れティッシュやお手拭きなども同様の模様状になるが、人工繊維の不織布は、そういう状態になっても形状が残っている。広げようとすれば、ちゃんと広がるわけだが、ティッシュはさすがにボロボロにはなっていて、形状は残っていない。
 そんな、すぐに消滅しそうな、しかも目立たないゴミを、わざわざ剥がしてまで回収するべきかどうか、という人もいるかも知れない。だが、ゴミ拾いをして、路面を見慣れてくるとどうにも気になる存在ではある。そんなわけで、俺は発見したら剥がしては回収しているわけだ。
 ティッシュ饅頭は、雨の日は、水を吸って柔らかくなっている。おかげで手でもつまめるのはいいが、豚革の作業手袋が浸みだした水で濡れ、寒い冬などはめちゃくちゃ冷たくなる。しかも、その水には鼻水などの体液が含有されていると思うと、実に嫌なゴミの一つである。

 分解する生物がほとんどいなくとも、車や人に踏まれ続けていいれば、そのうち物理的に消滅いや、分散はする。アスファルト上にも、放線菌などの土壌菌がゼロではないから、多少は分解もするのだろう。実際に回収不能なまでに、粉々になったティッシュも、よく見かける。
 だが、そのようなティッシュは、最後に死に花でも咲かせようとしているかのように、実に汚く、やはり目立つ。やはり、ポイ捨てはしてほしくないのである。

 この『紙』というものは、意外と丈夫で分解されにくい素材だ。
 あまり雨が当たらないような場所だと、屋外でも数か月単位、数年単位で残り続けることもある。
 木造家屋の庇の下に、段ボールに入った新聞紙を放置したことがある。大雨の時は湿っていたし、底の方はダンゴムシやヤスデが住み着き、ボロボロにしていたが、十年以上経っても、まだ形状は保っていた。
 また、博物館などへ行けば、数百年前の書物が紙で残って展示されているわけで、条件さえ整えば、そのくらいはもつということだ。分解するかどうかは、紙の置かれた環境条件次第なのである。
 もちろん、草むらや林であれば、微生物も土壌動物も豊富だから、紙も分解しやすい。
 田舎の草むらに月刊誌を捨てる方が、都会でティッシュをポイ捨てするよりは、はるかに早く姿を消す、のは事実だ。
 だが、だからといって、そんなところへ紙製品のポイ捨てを奨励しているわけではない。たとえ数週間といえども、景観を損なうゴミであり、分解する生物にとっては、人工のインクや接着剤を食わされているわけで、少なからず影響を与えていると思われる。
 しかも、紙はちゃんと回収すれば、リサイクルもできる資源だ。生分解だからといって、ポイ捨てしていい理由にはならない。

 もともと、地球上には木材を分解できる生物はいなかった、らしい。
 らしい、というのは、俺は、古生物は専門外であるからだが、受け売り情報で書いてみる。
 まず、現在、産出している石炭こそが、当時の生物が木材を分解できなかった証拠なのだそうだ。それはそうかも知れない。現在の山林を歩いてみても、倒木や落葉落枝は、ほとんどの場合、脆くなり、年数が経ったものは、素手で折れるほどである。
 そんな状態の木材が形を保ったまま、何万年も地下で残るはずはない。にも拘らず、人間が工業的に使用するほど、大量に残っているということは、石炭が出来た時代の木材は、残るのが当たり前だったのだ、ということだ。
 それはつまり、木材を腐朽させる微生物が存在しなかったのではないか、と推測できる。
現在、木材を分解しているのは、菌類が主だ。シロアリやゴキブリなども木材を食うが、彼等は体内に木材を分解できる微生物を住まわせている。クワガタなど、菌が分解した後の、消化しやすい木材を好むものもいるし、カミキリムシなどの昆虫の中には、生木に食い込み、セルロースを直接分解できる酵素を持つものもいるようだ。
 ダンゴムシやヤスデなどの土壌動物も、落葉落枝を食べて分解することができる。
 こうした小動物と菌類が協力して、木材を分解し、物質を循環させるようになったおかげで、地球上の樹木の残骸は、古代と違って蓄積し続けることなく、循環しているのである。
 だから、落葉や落枝を、ことさら集めて燃やさなくとも、放置しておけば様々な生物が資源として利用し、分解して土にかえる。
 ゆえに、俺は基本、落葉落枝を拾わないわけだが、紙は違う。
 紙も植物質が原料であり、生分解性ではあるが、前述のように印刷用インクや防腐や防水の薬品が塗られ、あるいは浸みこまされ、強度を増すためにプラが混じっていることも多い。
 紙は、葉っぱや枝とは違うもの=人工物なのだ。
 生分解性である、ということは、後始末をしなくていい、ということではない。
 自然界に蓄積しにくく、生物由来だから原料が枯渇しにくい、ということは言える。しかし、環境にインパクトを与えないという意味ではないし、無駄にしていい理由にもならない。
 紙であろうと、ポイ捨てはやめてほしい。
 生分解性プラスチックという、生物が分解できるプラスチックがあるという話を、農業ゴミの項で述べた。その時書いたように、プラスチック並みの利便性があり、生物が分解してくれるという夢の素材であるが、様々な問題もあるのだ。
 その際にも言及したが、どんなものでも、生分解だからポイ捨てしていいってことにはならないのである。
 まあ、ポイ捨てするヤツは、それが何であろうと、目の前からなくなればそれでいいクズ人間である。つまり、生分解性だからという理由で、ポイ捨てしているわけではない。
 ただ、生分解性であることを、そいつらクズのポイ捨ての正当化に使われるようであってはいけない。
 要するに何が言いたいかというと、使ったティッシュのポイ捨て、汚いからやめてくれ。ということだ。
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