「君ノ孤独ヲ!!」

文字数 3,810文字

 ~~~新堂助(しんどうたすく)~~~



 ひとり取り残された俺は、改めてシロを見た。
 130あるかないかの小さな体。
 真っ白すべすべな肌。
 上質な絹糸みたいになめらかな髪の毛。
 見る者の魂までも奪ってしまいそうな、天使の造形美。

「シロ……」

 床に臥せり、シロは不規則な呼吸を繰り返している。
 薄い胸元を上下させ、時おり背を丸めては咳き込んでいる。

「シロ……っ」

 カヤさんの迅速な処置のおかげで、容態は初期の頃よりずっと安定している。
 とはいえ、心配には変わりない。
 苦しげなその表情を見ていると、胸が張り裂けそうになる。
 何も出来ない自分がもどかしくて、死にそうになる。
 
「頑張れ……っ」
 
 手を握って応援した。
 
「負けんな……っ」

 何度も何度も繰り返した。
 ハリョの病に──自我の危機に瀕しているシロの耳に届けって。







 どれぐらいの間、そうしていたことだろう。

「タ……スク……?」

 いつの間にか、シロの目がうっすらと開いていた。
 細い隙間から、琥珀色の瞳がほの見えた。

「おまえ起きたのか……ってか、大丈夫か!? 具合! 平気なのかよ!?

「ちょ……うるさい……」

 勢い込んで問いかけると、シロは思い切り顔をしかめた。

「ご、ごめん……っ」

 慌てて距離をとった。
 握っていた手が離れた。

「あ……」

 シロは名残り惜しそうな目でそれを見おくった。

「うー……」

 何度か逡巡した後、ちょいちょいと寝たまま手招きをした。

 おそるおそる近づいてみると、シロは毛布を引き上げ口元を覆いながら、「手をおくれ……」とだけつぶやいた。

「あ、うん……」

 差し出すと、ぎゅっと握られた。
 握力の強さにほっとした。
 体温はまだまだ熱かったけど、もう苦しむほどではない。

 ──危機は過ぎ去ったんだ。

「……ま、まあーべつに、深い意味はないんじゃがな。むしろ不快な気持ちにしかならないんじゃがな」

 シロは照れ隠しのように、下手なジョークで笑った。

「タスクごときでも、ホッカイロの代わりぐらいにはなるだろうよ、そういうことじゃ」

 まったくいつも通りの、シロの笑顔。
 何事も起こらなかったかのような、俺たちの関係。

 だけどカヤさんの言葉の通りであるならば──

 こいつは急速に、俺を好きになり始めているはずだ。
 自身のものではない感情を、それがさも唯一無二のものであるかのように、信じさせられているはずだ。
 運命の恋人とすら、思っているかもしれない。

 オレゴトキヲ。
 コンナオレヲ。

「……どうした? タスク」

「や、別に……」

「泣きべそをかいておるように見えるぞ? なんじゃ、夢見でも悪かったか? 例の母上様のことでも思い出しておったか? 寂しいよう、会いたいようと」

「んなこと、ねえよ……っ」

 気取られないよう、そっぽを向いた。

「ひっひー。ならばそういうことにしておこうかのう?」

 いたずらっぽく笑うシロの、わずかにやつれたような表情が。
 痛々しくて、見ていられなかった。

「まったくタスクは、わらわがおらんとダメなんじゃから」

「んなことねえよ……」

「たった二日なのに……きっとあれじゃな。ひと目ぼれというやつじゃな。どうせ寝てる間も、わらわのダイナマイトボディに釘づけだったのじゃろう。この変態さんめ」

「んなことねえよ……」

「いや、そこは否定するところじゃなかろうよ!?

 シロのつっこみに、乾いた笑いを返すことしかできなかった。

 軽快なやり取り。
 俺に向けられる、ほのかな好意。

 どこからが本来の(・ ・ ・)シロのもので。
 どこからが矯正された(・ ・ ・ ・ ・)シロのものなのか。

 それは誰にもわからない。
 おそらくは、シロ自身にすらも。


 しばらくそうしていると、シロが先に口を開いた。

「こっちでも……やはり雨は降るんじゃなあ……」

 締め切られたカーテンの向こうに、ぼんやりとした目を向けた。

「そりゃまあ……な。シロのとこでも降るんだろ?」

 およそ生命と呼ばれるものにとって、水は不可欠のものだ。
 恒星からの熱放射と、適度な公転軌道。
 液体としての水。水の循環。
 それなくしては存在し得ない。

 神像世界ミストにだって。
 花園世界フローレアにだって。
 略奪世界ペトラ・ガリンスゥにだって。
 等しく雨は降るはずだ。

 量や質は違うにしても。
 色や匂いは違うにしても。

「ん……」

 シロはこくりとうなずいた。

「……クロスアリアはな。貧しいところなんじゃ。武力が無い。他を圧倒する知識も、財力も無い。資源も自然も、生きていけるギリギリの量しか無い。祈り願うぐらいしか、他にできることが無い。じゃから祈祷世界と呼ばれてた」

「……」

「そのくせ、貧富の差は激しいんじゃ。一部の特権階級が富を独占しておってな。貧しい者は貧しいまま、その日その日を生き抜くのが精いっぱい。生き抜けぬ者も、当然おったよ。救えぬ命も、たくさんあったよ。……じゃからこそ、いと貴き身として、わらわは民人(たみびと)を救わねばならぬ。『嫁Tueee.net』を勝ち抜いて、クロスアリアの順位を上げて。通貨の価値を高めて。あまねく世界中に、富を再分配せねばならぬ」

世界中(・ ・ ・)……?」

 俺は思わず息を飲んだ。

「どうじゃ、そなたの嫁はスケールが大きかろうが」

 シロはニッと目を細めた。

 自分の家族だけじゃなかった。
 自分の村だけじゃなかった。
 カヤさんの理解の遥か先に、シロはいた。
 
「カヤに何を吹き込まれたかは知らん。じゃがタスク、難しく考える必要はない。しごく単純な話じゃ」 

 シロは優しい目で微笑んだ。

「わらわとそなたは、仮初めの夫婦にすぎん。互いの目的を叶えるための相棒にすぎん。還俗すれば、わらわにも自由結婚自由恋愛が許される。その時まで、せいぜい仲良くやっていこう。それだけの話なんじゃ」

 ──じゃからそんなに、気に病むな。
 ──あははと笑って、流しておけ。
 ──人生の何分かの一、犬にでも噛まれたと思って……って誰が犬じゃ!

「だってシロ……っ」

「……おいおい、おかしなことを考えるなよ?」

 諭すような瞳で、シロは俺を見た。

「もしそなたが何かを気に病んで、夫としての役割から降りたとしても、それでわらわの運命が変わるわけじゃない。次の相手を探すだけじゃ。そなたと違う、別の相手と契約を交わすだけじゃ」

 ──でもそうじゃな……。
 シロは一瞬、考えこむようなしぐさをした。

「またぞろ、どこの馬の骨かもわからぬ男と唇を重ね、抱き合い、睦言(むつごと)を囁く。それぐらいなら、わらわは……」

 ──そなたが、いいのう……。
 はにかむように、微笑んだ。








「……っ」

 その祈り(・ ・ ・ ・)は、ズドンときた。
 まっすぐに俺の胸を貫いた。
 
 愛おしい。
 大好きだ。
 幸せにしてやりたい。
 この小さく可愛い生き物を、めちゃくちゃにしてやりたい。

 身を張り裂かんばかりの衝動がこみ上げた。

「そんなの……っ」

 歯を食い縛った。
 腕を掴んで必死に激震を抑え込んだ。

「ずっりいよ……っ」

 ダメだ。
 まだダメだ。
 勢いに流されちゃいけない。

 こいつのことをホントに大事に思うならばこそ、一時の衝動に身を任せてはいけない。

 俺はヒーローじゃない。
 俺は英雄じゃない。
 火裂東吾(ひざきとうご)にゃ、なれやしない。

 だからこそ──

「……シロ」

 だけどでも──

「……シロ、俺はおまえのことが、もっと知りたい……っ」 

 そうすれば、もっと円滑に合一化出来るから。
 シロの心や体にかける負担が減るから。

「おまえを知って、俺のことも教えて……っ。それで……そうして……っ」

 拳をぎゅっと握った。
 震える自分の膝を、思い切りどついた。
 全力で発破をかけた。

 俺はまだ(・ ・)ヒーローじゃない。
 俺はまだ(・ ・)英雄じゃない。
 だから(・ ・ ・ )どうした(・ ・ ・ ・)
 火裂東吾なんかに(・ ・ ・ ・)、なる必要はない。

 にいぃぃぃ……っと。
 精一杯、笑顔を浮かべた。

「──俺に(・ ・)、惚れさせてやる」

 矯正された愛情でなく、強制された思慕でない。
 ただ純粋な、俺への好意。
 それを、引きずり出してやる。

 なあシロ、それならいいだろ?
 他ならぬこの俺が、おまえの目をこちらに向けてやるんだ。

「俺は冒険者になる。多元世界を股にかけるヒーローになる。誰もが恋い焦がれ憧れる、唯一無二の、最高の英雄になる。だからシロ、俺を見ろ。黙って俺に、ついて来い──」

「……っ」

 シロは最初、ぽかんと口を開いていた。
 ぱちぱち目を瞬いて、戸惑っていた。

 だけどやがて、花が綻ぶように──
 まるで本物のお姫様がそうするみたいに、微笑んでくれたんだ── 

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