第7話 受賞作「酒井七馬と手塚治虫」

文字数 2,644文字

 苦い。
 何という苦さでしょう。

 私もそうですが、すでに「大人」世代になっている世代には、ほろ苦さなんてもんじゃない、苦行に近いものがここにはあります。
 でも、限りなく面白い。この魅力はきっと若い人にも伝わると思います。酒井七馬と手塚治虫という実在する二人の漫画家の対比が、鮮明かつ見事なコントラストを生み出していますから。

 お待たせしました。骨太小説コンテスト受賞作の登場です!
 さすがに受賞作については、皆さん先に目を通していらっしゃるかな……? なので、今回はあらすじ紹介よりも感想中心で行ってみたいと思います。
 この作品がなぜ受賞したのか、その理由に一歩でも近づけますように。

 須崎正太郎さん『酒井七馬と手塚治虫』

 本当に、どうしてこの世に「天才」と呼ばれる人がいるんでしょうね?
 私も心の底から叫びたいです。努力は天賦の才能に勝てないんでしょうか。凡才はどんなに頑張っても無駄なんでしょうか。

 光と影の、影に焦点を当てた文学作品は過去にもたくさんありました。日本人の多くはいわゆる判官びいきですから、地味な苦労人がたゆまぬ努力の末に天才に勝った、みたいな逆転勝利の作品は数多く、そのスカっとする爽快感にみんなが胸を躍らせてきたもの。

 でも、現実はもっともっと厳しいですよね。
 須崎さんもけっこう残酷な描き方をしています。やっぱり手塚は大スター。「その原稿に光を見た」というほどの別格ぶりです。まるでこの世に登場したその時から、名作を生み出すことが決まっていたかのように。

 対して七馬は「関西のローカル漫画家」であり、かつ「戦前の漫画家」以上のものになれないわけです。年下の友人「大坂ときを」がふと胸の内でつぶやく(これがこの人の限界じゃないのか)という言葉には、はっと胸を突かれます。
 この作品には、そうした手厳しい指摘がいっぱいあるのです。

 七馬は手塚の才能を見抜いて、わざわざ手を差し伸べ、引き上げてやる立場です。
 本音は押し隠しつつも、若い手塚に対する「目もくらむ衝撃」、「あんな若者が」、「それは吐き気にも似た気持ち」と嫉妬の念を抱かざるを得ずにいる。それも比較的最初の方から、そうした表現が頻出するのです。
 七馬はいつか彼が自分を追い抜き、はるかに凌駕してしまう予感をちゃんと持っているんですね。全編にわたって淡々とした筆致であるにも関わらず、行間に切なさがにじみ出ているのは、こうしたところに理由があると思います。

「経験上、分かる」というセリフの出し方にも、うならされました。
 これって年長者が若者をねじ伏せる時の最終兵器みたいなもの。だけど七馬にそこまで言わせてしまう手塚のすごさが、逆に引き立ってくるわけです。

 もちろん七馬も漫画界の重鎮として一定の評価は得ていますし、天才・手塚でさえ一筋縄ではいかなかった一面も作品の中で描かれています。

 でもやっぱり、支持を得ていくのは手塚の方なんですよね。彼は名実共に日本を代表する漫画家に成長していきます。
 対して七馬の方は惨めです。特に最後の方に出てくる、奈良ドリームランドのシーンの痛さときたらありません。子ども達を笑わせるためにずっと頑張ってきた七馬なのに、渾身のパフォーマンスが全然受けないという現実。努力と研鑽を怠らなかった主人公に対する、むごいほどの仕打ちです。

 こういう結末を、読者はある程度分かっていて読み進めるわけですから、負けが分かっている試合を見るようなんですね。
 だけど、それでも目が離せない何かがある。一つ一つのシーンに揺るぎない緊張感があるからではないでしょうか。

 特に七馬と手塚が創作論を巡って丁々発止のやり取りをするシーン。相反するセリフの両方にうなずいてしまいます。七馬も決して間違ったことを言っているわけではないのです。

 七馬が単純明快でいい、荒唐無稽でもいいから、子ども達には夢を与えたいと主張するのに対し、手塚は皮肉やひねったものも子供に通じるはずだと主張を曲げません。果ては手塚が七馬に対し「自己満足の世界ですよ!」との言葉を投げつけ、二人は決裂してしまいます。
 息もつかせぬ、緊迫のシーンです。

 だけど、すべてが手塚の勝利だったんでしょうか?
 それについて、わずかに一矢報いてくれるのが最終話じゃないでしょうか。手塚治虫は全集を出す段になって、自分の出世作となった『新宝島』について、七馬の影響を排したリメイクなら出してもいいと言うのです。

 これは手塚が七馬の実力を認めていた何よりの証拠! そして、リメイク版にマニアが満足しなかったというのもまた感慨深いのです。敗北を噛み締め、泣き笑いしながらこの世を去った七馬ですが、この話を聞かせてあげたらどんなに喜ぶことでしょうか。

 たぶん須崎さんは、資料を集める中でこの何十倍もの情報を入手されたことと思います。だけど物語は二人の漫画家の対比に収れんされ、枝葉末節は極限までそぎ落としてある。これがノンフィクションで人を感動させる要諦なのかなと思います。

 戦後の焼け跡。お金がない、食べ物もない、娯楽どころではない。
 そんな厳しい状況で、七馬はこんな時だからこそ、攻めの姿勢が必要だといいます。
「破壊し尽くされた日本を復活に導くのは、大人の分別や思慮よりも、あるいはこういうガムシャラさなのではないか」
 作品全体を貫くこの信念は、コロナ禍に苦しむ今の人々の思いと共鳴するようです。これがタイムリーヒットとなり、受賞に結びついたのではないか、という気がします。単純に時流に乗ったとかいう話ではなく、あくまで七馬という人の、心の叫びが描けていたからこそ。

 コロナ禍をもっと直接的に描いた応募作もあったのではないでしょうか。
 だけどこの、ワンクッション置いた表現が極めて文学的だと感じます。高度成長期に七馬の流した涙が、今の日本人を元気づける源となりえるのですから。
 またそれを読者に知識として「教える」のではなく「感じさせる」域にまで持ち上げたのは、物語をつむぐ高い技術力に他なりません。
 素晴らしいノンフィクション。須崎さん、お見事でした!

「酒井七馬と手塚治虫」はこちら↓
https://novel.daysneo.com/works/3f219e56b260e45ec5450b2e4ceb04bb.html
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み