十一・ 秘書嬢: 細沼甲斐子(ほそぬま・かいこ)の青天霹靂。
文字数 3,327文字
主な担当業務は。
押し寄せる大量の執筆依頼や取材申し込みやらインタビューやら出演やらへの打診を。
締切と枚数と要望ジャンルと対象読者層と。原稿料や出演料の有無と多寡と。期待できる出版後の印税収入額などなど別に。
解り易く分類列挙して、リストアップしてプリントアウトして、カコ先生に渡して。
書くか書かないか、出演するか否か、まだ検討中か?のマルバツサンカクや質問事項を赤ペンで(手書きだ!)記入してもらって。
きちんとしたビジネス文書に意訳や超訳?して返答したり。
時期や内容の調整を引き受けたり。
確約した分の。
締切日と枚数とジャンルと対象読者層と。
つきあいの浅い出版社や編集部の場合には、担当編集者への連絡先や手土産に望ましい品目リストや、既存刊行物の傾向やら初版発行部数やらやらを、リストアップした上で。
逆算して、「早めの執筆開始予定日」を設定して。
執筆部屋のカレンダーに、大きな字で(手書きだ!)記入しておいたり。
一応完成して渡した原稿の校了予定を把握した上で。
専任校閲係との赤修正やら何やらのやりとりの日取りを調整したり。
はたまた締切延長の調整依頼や、ドタキャンの謝罪役を引き受けたり。
原稿料の振込日と予定金額を事前に把握して経理部に報告したり。
カコ先生の「経費分の領収証」を整理して、経理部に申告したり。
馴染みのない出版社との初顔合わせや、無関係なイベントの隙を狙って急襲してくるアポ無し突撃取材の傍若無人な雑誌記者や盗撮カメラマンなどから、人見知りのカコ先生をガードして救い出したり。
無理な契約や出演依頼やを押しつけてくる輩にはきっちりお断りして「法務を通せ!」と突っぱねてみたり。(実はこっそり護身術も習っていたりするのは、内緒だ。)
取材や出演に要する移動所要時間や、事前事後の周辺観光スポット情報や宿泊予約候補地までをも含めた日程案を作成して、スケジュールを管理したり。
頼まれれば切符の手配やホテルの予約や。
カコさんがアバウトに立てた海外旅行の日程が実現可能かどうかのチェックを本職に依頼したり。
引き受けた写真撮影付きインタビュー取材や講演会の前には。
日ごろ身だしなみにほとんど構わないカコ先生の臨時のスタイリストと化して。
こっそりボタン付けやほつれの繕いやなんかも、しておくし。
緊急で出演衣装の買い出しに走ったり。
靴の磨きや修繕や「即便!通販」を頼んだり。
専門のプロがいなければ、ヘアメイクも引き受けたりなんかする。
予定を忘れてお寝坊してたら部屋まで起こしに行くし。
頼まれれば散らかった執筆資料の整理収納や、簡単な掃除も手伝うし。
寂しがっていればご飯も一緒に食べたりするし。
私室に「お泊り」なんかもたまにして、眠くなるまでの話し相手を務めたり、するし。
取材や休暇旅行のお供をしたり。
まぁ、雑用係で。
本人はファンタジックに、「おつきの者」でございますと、自己紹介をしている。
*
次の予定の書きおろし単行本の出版社との打ち合わせは明後日に決まった。
…ということは。
「今日と明日は完全オフ?」と、目を輝かせて、カコ先生は笑った。
「そうなりますね。」
「じゃ、お風呂いこ~っと! …一緒にどう?」
「お供します!」
「んじゃー道具もっといで~。十五分後に玄関集合~」
「はい!」
こんな場合、カコ先生が日帰り入浴施設の意味で「お風呂」と言うのは、徒歩五分。
パペル塔の地下駐車場通路をまっすぐ抜けるか、その上に広がる地上庭園をつっきるかで簡単に到達する、自社直営施設である。
ふつうの「お風呂」は「男・女」の二種類か、多くても「家族風呂」という別室が併設されているくらいだが、ここのお風呂はちょっと変わっていて、入浴エリアが六つある。
「カコ専用」というのが屋上階のペントハウス的に設けられていて。
地上階と二階部分は、それぞれ縦に区切られていて。
「一般女性・女性系・中間・男性系・一般男性」の、五つのエリア別。
自己申告制だと絶対に痴漢だのセクハラだののトラブルが多発するので。
中三つのエリアを利用できるのは「輪っか」寮の住人か、その連れだけだが。
他の(大き目に造られている)「一般」二つなら。
地元民や観光客や、カコ先生の「聖地詣で」に来た熱心な読者の皆さんも、
もちろん利用可能。
あいにくだが、天然温泉では、ない。
カコ先生は天然かけながし温泉が大好きだが。
出るか出ないか判らないものを(確率的には出る可能性は低い地域だと専門業者さんからは言われた)、闇雲にボーリングしてまわるほどの予算の余裕は…、無かった。
その代わり、敷地の外れの丘陵地帯の既存の農業用水の横穴井戸からパイプを引いて。
農場と牧場エリアの境目にある堆肥発酵施設の熱い屋根の下を、ぐねぐねと折り曲げてパイプを通して加温して。
四十五度ほどに温まった褐色植物泉を「天然水の沸かしたて、かけ流し風呂」にした。
入湯料は普通の銭湯よりちょっと高いくらいか。
地元にも観光客にも、密かに人気のスポットだ。
「…あ~。生き返る~♡」
カコさんはざっと洗髪とシャワーだけ済ませると、どぼ~ん!と寝湯に転がった。
「カコ専用」スペースは、本人と一緒か、本人の許可をインカムで確認しない限りは、他人は利用できない。
ひとり分サイズの寝ころび浴槽が高温・ぬる湯・温水の三つと、同じく温度別の壺湯が三つと、あとはプールサイドのような寝椅子が二つあるだけの、小さいスペースだ。
お空が青い。
「…い~ね~。幸せだね~…♡ 」
「ですね~♡ 」
カコ先生と、うまくやっていくためには簡単なコツがある。
よけいなことは喋らない。どうでもいい自分話や、他人の噂は、なるべく少な目に。
大事なことには必ず相槌を打つ。
「いいね」
「美味しいね」
「可愛いね」
「かわいそうだね」
「素晴らしいね!」
なんてキーワードが出た時には、タイミングを逃さず、かならず反応だ。
(自分の意見と異なっていると思う時には、きっちりと反論するのは可。)
「…あ~。幸せだな~… ♡ 」
カコ先生は、もう一度しみじみと呟いた。
…その、時。
*
「…あら?」
相槌のタイミングを逃した甲斐子は。
一瞬、自分が貧血かなにかで眩暈を起こしているのかと思った。
ぐらっ…
「あれっ?!」
カコさんが素早く立ち上がった。
「あら… えッ? 揺れてますッ??」
「揺れてるッ!」
びぃ~~ッ! びぃ~~ッ! びぃ~~ッ!
聞き覚えのある、不吉なサイレンが響いた。
『 緊急地震速報です! 間もなく強い揺れが来ます! 』
「うそッ!」
…数秒と待たず、本震が襲い掛かった。
…揺れる…
揺れる!
「つかまって!」
「カコ先生ッ!」
揺れる!
…数分は、続いただろうか…
お風呂のお湯が、津波と化して、数メートルもの水しぶきを立てて、跳ねる跳ねる!
階下から男と女と子どもと性別不明をとりまぜて、悲鳴と怒号と絶叫が響く。
がつーん!
がちゃーん!
ばしゃーん…!
がしゃーん…ッ!
悪夢かと思った。
甲斐子は恐怖で涙が出てきた。
お風呂のなかで、少しちびったかも、しれない。
*
数分して、揺れは…
とりあえず、大きいのは…
…収まった…???
カコ先生が、まっぱのまま、だだっと駆けだして、内線電話に駆け寄った。
備え付けの、非常用インカムを素早くはずして手早くかぶって。
余震で揺れても飛ばないように、しっかりと、ヘッドバンドをかける。
…の、一連の動作と同時に。
びっくりするくらい大きな声で。
「みんな無事ッ? カコは無事ですッ! 避難手順に従って行動してっ!
ポーシャ毒測定班! ただちに安全確保の上、大至急、状況報告願いますっ!」
…大変な、日々が始まった…。