第15話

文字数 1,059文字

 初めての出社から、一カ月が経った。今日も残業で、時刻は二十一時を回ろうとしていた。溜まってしまった疲れが、私の目を充血させる。さすがに目が痛いので、デスクから目薬を出し、差そうと、顔を上に向けて、手を添える。すると、覗き込むように、誰かが声を掛ける。

「人手不足でごめんね!この資料だけ、何とかしてもらえたら帰っていいよ!」

 こんなタイミングで、よく話せるなとため息が出そうになる。私に仕事を押し付ける女性上司が、簡単だからとデスクに資料を置いて、その場から消えていく。

「ごめん、私大事な用事だから!ほんとごめんね!お疲れ様!」

「お疲れ様です」

 私の上司は、すたすたと会社を出ていく。こんな時間からある、大事な用事ってなんだろうか。私の頭は、ぐるぐると曇り空を広げていきながら、何時に帰ることが出来るのだろうかと雷を落とす。しかし、雷は誰にぶつけることもできないのだ。

「はっきり言えないしなぁ……新人だもん」

 誰にも言えない、小さな声が漏れてくる。

 まだ、パソコン操作に慣れておらず、タイピングは速くない。見積書をまとめるのだって、時間がかかる。そのせいで、残業になってしまうのだろうか。自分の実力がないせいで、こんな状況が続いているのだろうか。会社の人手不足が悪いのだろうか。入社前にもっと、勉強しておくべきだったのだろうか。
 でも、女性上司は私にちゃんと仕事の内容を教えてくれないし、正直雑だ。いつも一言だけなのだ。「ここを見ればわかるから」とか「ここを押してればいいんだよ」とか……そんな風にしか、教えてもらえない。それが間違っているのだろうか、私の覚え方が悪いのだろうか。私のせいだろうか。

 ミスをしたって、上司は怒ったりなんてしない。へらへらと笑って、大丈夫、と言うだけだ。上の人の事なんか気にしなくていいよと、笑うだけなのだ。それが良い事なのかもわからない。でも、受け止めるしかないのだろうか。

 私はどうすればいいのだろうか。これが、社会で、仕事という世界なのだろうか。上司は怖くもない、でも、優しくもないのだ。何とかなるから、そういうもんだからと、いつの間にか、消えてしまうのだ。

 しかし、私はとにかく今日も、二十二時までには帰らなきゃと、できることをマックスの勢いでやり通す。何が正しくて、何が間違っているなんてわからないけれど、やり通すしかないと言い聞かせ、仕事をこなすしかないのだ。

 一カ月経って、私は仕事を飲み込めずに生きていた。疲れはピークを過ぎ去り、感じることが出来なくなるほどに進んでいた。
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