リキ最期の晩餐

文字数 2,924文字

 ひもじいのう・・・

 じゃが、それは口に出せんのじゃ。
 出したら、士気が下がるでのう。

 (ワシ)はこの正月に元服した。こう見えても齢15の若武者じゃ。
 字名は力人(りきんど)。みんな、リキ、と呼ぶが。

 元服を慌てたのはほかでもない、この戦役じゃ。
 我らの君主であらせられた先のオヤジ様が岩塩輸入の通商交渉に臨んだ遠征先で謀略によって討ち取られたのじゃ。
 長男の凱旋(がいせん)さまが電光石火で跡目を継がれて

のために敵地へ向かうことになったのじゃ。
 なんとこの凱旋さまにしたところがまだ17じゃ。立派なものよ。

 敵地へは恨みつらみではない。
 塩が必要なのじゃ。

 塩が無いと、民は死ぬるでな。

 しかし我らもオヤジ様を殺されて長閑な交渉になるなどとそんなお人好しではないよ。

 知略・謀略こそ武士の誉れ。

 凱旋さまは精鋭部隊を率いて自ら敵地へと乗り込むのじゃ。

 年嵩の強者どもを連れだつという選択肢もあろうがそれでは領主となったばかりの凱旋様に遠慮が出る。
 しかも敵地へは馬も使えぬ獣道でたっぷり三昼夜はかかる。
 塩の備蓄はもう底をつく。

 交渉、あるいは略奪で輸送経路を確保して実際に物流する時機から逆算すれば、鬼の如き神速の強行軍をせねばならん。

 我ら、若人が選ばれし故よ。

「総勢、立て!」
「はっ!」

 出発の直前、最低限の武具と疾駆行軍するための特別製の足袋の替えを山ほど持って集合した時、氏神の八幡宮様の神前で、我らは、ざくっ、と立ち上がったのじゃ。

 そして凱旋様が号令をかけられたことよ。

「食えっ!」
「おう!」

 我らは立ったまま湯づけを食いに食った。隣には給仕をしてくれる女子たちや応援の老将たちが控え、それこそ(いくさ)そのものの迅速さで次々と湯づけのお代わりを盛り付けてくる。

 古の偉大なる武将達の知恵じゃ。立って胃袋を真っ直ぐに伸ばして詰め込むだけ詰め込むのじゃ。

 そこには命の灯火たる塩も添えて。

 腹に活動の源泉たる白米と塩をたっぷりと溜め込んで、われらは駆けに駆けた。

『行軍の修練じゃ』と親さまに言い訳をつけてその癖近所の子供(ガキ)らで野山を駆けずり回って遊び呆けておった我らよ。
 こんな山道、ものでもないわ。

 じゃが、腹は減る。

 あれだけ食うても、減るものは減るのじゃ・・・

 真夏じゃ。

 2日で20人おった内、5人死んだ。

 戦闘によってではない。
 飢えと渇水じゃ。

 敵は優秀よ。我らの行軍経路をいち早く察知してあらゆる水場に毒を流し込んでおる。

 死んだ奴の中には儂の幼友達もおったよ。念仏三度唱えて野ざらしじゃ。
 墓を掘るのも体力を消耗するでな。

 我らは生まれし時から武士として鍛錬して生きてきておる。

 最悪の事態を想定して断食の行すらやってきておるのじゃ。

 それでも、この行軍は、人間の限界を超えておったよ。

『ひもじい!』

 全員の心の中が見えるようじゃよ。
 ただ、それを口に出しては士気が下がるだけでなく余計に腹が減るのじゃ。

 さすがに無謀であったと思いかけたよ。

 ところがなあ・・・

「見ろ、あったぞ」


 さすが凱旋様はただのお人ではなかったよ。
 凱旋様が経路を迂回してしばし遠回りなさるので何かと思ったら。

(ハチ)の巣じゃ。蜂の子なら養分と喉の渇きも癒せる」
「凱旋様、どうしてここと?」
「ふ。儂も悪ガキじゃったでなあ。

がしたのよ」

 さて、問題はそれがスズメバチの巣であることじゃ。

 刺されたら、死ぬわいのう。
 まあ、ハチに刺されて死亡、というのも白兵の想定の内じゃがの。

 儂は気軽に言ったよ。

「儂がやりましょう」
「うむ・・・リキか」

 そう言った後、凱旋様はこうおっしゃったよ。

「リキ。自分が一番の若輩だからとて、遠慮して言うのではないか?」

 儂は、ああ、こういうお人こそ一国の棟梁の器じゃと思うたよ。
 じゃから儂は何の迷いもなくお答えした。

「儂はこの中で一番足が速い。いや、国イチじゃという自負じゃ。飛び出すハチどもを引き連れてまんまと逃げおおせて見せましょう」
「わかった。頼む」

 儂はゆっくりと一人、スズメバチの巣がぶら下がる木の下に近づいた。

 短刀を抜いた。

「ふん!」

 敵の喉を掻っ切ることに比べたら造作もない。儂は見事スズメバチの巣を三分の二ぐらいの位置で、スパア、っと切り分け、ぼとっ、とそれが地面に落ちたわい。

「ほれ! 来るなら来いや!」

 同時に特別仕様の足袋の底を地面との摩擦で火薬のごとき爆発力を生み出し、儂は四肢を動かしたのじゃ。

 思惑通り儂を動く標的と認識した(ハチ)どもは、全軍をもって儂を追尾してきたわ。

「ほっ、ほっ、ぬるいわっ!」

 儂は野生の虫の王者たるスズメバチの鏑矢のごとき羽音にもまったく恐怖など持たぬわ。

 なぜなら儂の脚の方が絶対に速いからのう!

 見ると短刀の切っ先に蜂の子の体がこびりついておったよ。
 儂はそのまま切っ先をべろっ、と舐めて蜂の子を食うた。

美味(うま)いっ!」

 力がみなぎったわ。なんならこのまま敵と遭遇してやり合うても皆殺しにできそうなぐらいじゃ。

 スズメバチどもを完全に置き去りにして気がついたら沢のあたりまで来ておった。毒が仕込まれとるで飲めんがのう。

 ふう、はあ、とさすがに息を整えておったのだが。

 風の音が、変だ。

 そう思った瞬間、儂は半身をずらしたのじゃ。

「かはっ!」

 シッ、というその矢が空気を裂く音に本能で体が反応した。にもかかわらず、矢は儂の背後から心臓の右端あたりを削って胸の前まで矢じりが貫通しておった。

『う・・・儂の身の躱しを予測して撃ったというのか・・・?』

 音からは距離は相当あったはず。
 それでも儂の鍛え抜いた筋骨を刺し貫く強弓じゃ。

 有無もなく、儂は、ずだっ、と前のめりに倒れ込んだ。

 近づく足音まで静かで気配を殺しておる。なんたる慎重さ。しかもこの正確無比で剛力の弓矢の腕前。

 儂は勇者の顔を拝もうと思い、なんとか自力で座りなおし、胡座をかいた。
 霞む目で相手を見据えた。

『こやつ・・・若い! 童ではないか!』

 じゃが、儂は射抜かれたる身として自分から名乗った。

「儂は、力人(りきんど)。15じゃ」
「儂は、迅雷(じんらい)。12歳じゃ」

 なんと!
 ううむ・・・完敗じゃ!

「お主の殊勲じゃ。斬れ!」

 そう言うと、迅雷は短刀を抜いて、儂を静かに押し倒した。

 もはや弓の貫通で致命じゃ。
 儂は逆らわずにトドメを待った。

 ところがのう・・・・・

 迅雷はそこで手が止まってしもうて、動かんのじゃ。

 儂は催促した。

「すまぬ。意識のあるうちに首を掻き切ってくれぬか。そなたのほどの武士(もののふ)の手によるのならば儂も誇らしい」

 じゃが、動けぬようじゃ。
 なるほどのう・・・遠隔からはできても眼前の人間を殺したことはないのだな。

 迅雷の背後の風景に、にょっ、と山が現れたかと思ったら、偉丈夫、と呼んで間違いない猛将が立っておった。

 その武士が迅雷の背後から短刀を握る手をその熊手のような大きな手のひらで包み込むように、ぐっ、と握り込んだのじゃ。

「迅雷。氏神(うじがみ)を称えよ」
「・・・南無八幡大菩薩・・・」

 そうか。彼らの氏神も八幡様か。
 ならば、至福じゃ。

 二人して短刀に力を込めた。

 そういえば最後に口にしたのが蜂の子じゃったな。

 儂の来世は(ハチ)かもしれんのう。
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