第2話 候補者

文字数 2,307文字

 日本人男性、野丸太郎(のまる たろう)。三十三歳独身。ある日彼のもとに一通のメールが届いた。見覚えのない差出人で、本文の日本語もどこかぎこちない。貼り付けのリンクをクリックしないように注意を払いながら文章を読んだ。その内容に驚きを隠せなかった。

 それは、人工惑星の計画とそこへの移住者を募集するものだった。地球と生物すべてが危機に瀕していることはずっと前から指摘されている。それは野丸ももちろん知っている。だが、個人の力ではどうすることもできないという思いも持っていた。だが、この計画はどうだ。もしかするとホモ・サピエンスという勝手で弱い種を救うことができるものかもしれない。しかも、その一員に自分がなれる可能性があるというのだ。

 詳しく読めば、このメール自体も無差別に送られているものではないようだ。二十歳から四十歳までのホモ・サピエンスで、未婚のものを抽出しているらしい。なるほど、人工惑星において新しい子孫を残そうということのようだ。まだ見ぬ相手との間に生まれる子は、ホモ・サピエンスの新たな到達点として、宇宙人の称号を得る訳だ。特に周りと比べ結婚が遅いという意識はしていなかった。このメールを読み、これまでの恋愛が成就しなかったことに何となく感謝した自分に苦笑いする。

 そして思わず選考基準のバナーをクリックした。その直後、ウイルス感染を危惧し後悔したが、特に変わったことはなく、選考基準を書いたサイトへと画面は切り替わった。

 まだ警戒しながらも、日本語で書かれた選考基準を読み始めた。そしてすぐに目を疑った。代表選考の基準は、「凡人であること」。やはり怪しいサイトかと思ったものの、少し思い直してみる。そうか、地球の人類を現状のまま保存し、進化させるのだよな。普通の、ありふれた存在の方が今回の目的に合致するのかもしれない。

 やる気になってきた野丸だが、本人としてはある程度有能な会社員だとの自負があった。ただ、年齢の割に新しい技術には弱いかもしれない。子どもの頃、ゲームの時間を厳格に管理されていたせいだと親を恨んでいる。その辺りを含めれば、自分はやはり「凡人」に相応しいのではないかと思った。

 総定員が約八十名。一億人に一人。おそらく日本人は一人だけが選ばれることになるだろう。こんな宝くじよりも高そうな倍率のものに入れるとはとても思えないが、何しろ条件が凡人だ。学生時代から目立つことがほとんどなかった自分が、ここでスポットライトを浴びることになるかもしれないと思うと、心拍数が上がり、手のひらが汗ばむ。そして味わったことのない心地よさに包まれた。

 その勢いで「応募する」をクリックした。野丸には幸い、両親と弟しか家族はいない。弟は自分より先に所帯を持った。もうすぐ弟が親に孫の顔を見せるだろう。つまり自分は、人工惑星で生涯を終えても、そんなに問題はないはずだ。またたった八十しかいない凡人体験は、地球に残る人たちにとって興味深いものかもしれない。であれば、自分の体験記を書いてベストセラー作家になることも、夢じゃない。そう、実は作家志望でつまらない小説を細々と書いては応募している。もちろんこれまでは、凡人であることを思い知らされる結果しか受け取ったことはなかった。

 人工惑星内で子孫を残すことについても説明書きがあった。カップリング制度があるらしい。自由恋愛ではないようだが、地球上でこれまで行ってきた恋愛ゲームには疲れを覚えていたので、それも良いかと思えた。そうなると相手は日本人ではないことになるが、違う国の人も面白い。それどころか、ノアでは地球での国籍なんて関係がなくなるのかもしれない。勝手にスタイル抜群の白人女性を思い浮かべてみたが、現実味はなかった。

「応募する」をクリックして、数分後には返信が届いていた。登録のためのやり取りは、十分足らずで終了した。こんなに簡単でいいのかな、と思っていたら、続いてリンクを貼ったメールが届いた。

 ここからが選考レースの始まりだった。たった二問の、行動アンケートのようだ。

「次の場合、あなたはどのような行動をとりますか。以下の三つの回答から選択してください。

問一 電車の中で痴漢に触られている女性がいます。気が付いているのは貴方だけです。
 回答ア 痴漢の手を掴み、次の駅で降りるよう、直接すごむ
 回答イ 被害女性に声をかけ、一緒に別の場所に移る
 回答ウ 見て見ぬふりをする

問二 先ほどの痴漢を、別の誰かが捕まえました。
 回答ア スマホでこっそり写真を撮り、自分のSNSにアップする
 回答イ 自分も気が付いていた。良かったね、と声を上げる
 回答ウ される方も悪い、と聞こえないように悪態をつく 」

 なんだ、これは? と野丸は思う。日本人男性向けの質問のようだ。多少の正義感があり、受験慣れしていた野丸は、問一をア、問二をイ、とするつもりだった。だが、待てよ。これは普通の、一般的な日本人男性を探し出すための設問だ。だとすれば……。問一は当然ウである。まあ、正直なところ、きっとそうするだろう、と野丸も思った。問題は問二である。これはいずれでもない、あるいは全て当てはまるという選択肢があってもよいように思われた。もしかして、無回答こそが凡人としての理想的な回答かもしれない。またこれらは、事前に凡人としての模範解答があるのか、それとも今回の回答総数での最大勢力となったものが凡人の模範回答となるのかは知らされていない。今の野丸のように、裏を読んで回答する人間の方が多いかもしれないのだ。自分の回答は選考関係者以外には秘匿されるとの文言を思い出し、ウを選ぶことにした。
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