2 イラつく電話、めんどくさい電話

文字数 4,292文字


「――先生は、峰尾氏にはお会いになったことはありますか」鍋島が訊いた。
「ええ、一度。自宅に伺って話を聞いたことがあます」
「どんな印象を持ちましたか」
「どうって――特に何も。ごく一般的な、優良企業の重役と言った感じでしたよ。堂々としていて紳士的で。こちらの話も丁寧に聞いてくれましたし、それで自分の証言が僕の依頼人にとってマイナス材料になることに、ずいぶん恐縮されていました」
「つまり、極めて

な人物の

な対応だったと」
「ええ、そうですよもちろん」持田は頷いた。
「じゃあ、もう一度やり直してみましょう」
「え?」持田は首を捻った。「どういうことです?」
「もう一度、峰尾氏に会って話を聞いてもらいたいんです。その際、俺たちのどちらかを同行させてください。先生の――助手として」
 持田は怪訝な顔をした。「……お二人が直接会いに行けない理由がある、ということですか?」
 鍋島は困ったように笑って頷いた。「実は、俺たちも別の意味での脅しを受けてるんですよ。せやから、最初から素性を明かして峰尾氏に会いに行くことができないんです」
「担当検事からですか? あの検事は僕も良く知っている人物で、そんなことをする人間ではありませんよ」
「ええ。ですから、身内からの圧力です。分かるでしょう?」
「……捜査一課ですか」と持田はため息をついた。「さしずめ、大牟田刑事なんかがやりそうなことですね」
「へえ、個人名まで分かりますか」芹沢が苦笑した。
「強引な捜査をしたらしいですよ。僕の依頼人も、厳しい取り調べを受けました」
 持田は腹立たしげに言った。やる気のなさそうな新米先生という最初の印象とは違って、今や正義感溢れる若き熱血弁護士の顔になっていた。
「で、僕に同行して峰尾氏に会い、彼が嘘をついているかどうかの見極めをしてくださるということですね」
「まあ、そこで断定できるかどうかは分かりませんが。とりあえずこっちは疑うのが仕事ですから、その目線で確かめてみたいんです」鍋島は言った。
「もしも峰尾氏が嘘をついていたのなら、坂口のアリバイは正しかったということになるんですね」
「その場合はね。ただ、ひょっとすると坂口さんの見間違いだということも考えられます。だからそこを見極めたいんです」
「分かりました。早速アポを取ってみます」
 持田はテーブルのメモ用紙とボールペンを取り、『峰尾 再度アポ』と書いた。
「それで、再捜査に乗り出してもらえるということですか?」
「峰尾氏との接触の結果次第ではね。最初はあまり大々的にとは行かないかもしれませんが」
「分かりました。それだけでいいんですか?」
「大事なことがあります。坂口さんの代理人として、取るべき方法を取っていただきたいんです。それこそが弁護士の役目だと思うんですが、違いますか。偉そうなことを言うて申し訳ないんですが」
「いえ、ごもっともです。お恥ずかしい」持田は頭の後ろに手をやった。
「あと、坂口さんのお母さんがつい先月まで東大阪に住んでらしたと聞いてますが、現在はどこにおられるか分かりますか?」芹沢が訊いた。
「それが――」と持田は顔をしかめた。「今月の三日に自殺を図ったんです」
「自殺?」芹沢は思わず声を上げた。「……亡くなったんですか?」
「いえ、幸い命は取り留めました。今は京都の病院に入院しています。気の毒に、娘が殺人容疑で捕まって、周りからの非難の目に耐えられなくなったようです。当日は夜の冷え込みが厳しい日で、比叡山(ひえいざん)の深い森の中に入って睡眠薬を飲んだんです。昔、自分の実家が近所にあったらしいですよ。翌朝、通りかかったハイカーが発見しなかったら、そのまま手遅れだったそうです」
「……話を聞ける状態ですか?」
「どうでしょうかね。僕が見舞いに行ったのは三日ほど後だったけど、意識が戻らない状態が続いてるって医者が言ってました。意識が戻ったら連絡をくれることになってますから、何でしたらもう一度病院に問い合わせてみます」
「お願いします」
 持田はメモ用紙に『病院 問い合わせ』と書き足した。そしてその直後に、「え、ということは……?」と呟いて二人の刑事を見た。
「はい?」芹沢が反応した。
「坂口が高槻駅で峰尾氏を見かけたと主張している時間ですが、部下の内田氏が峰尾氏を西宮(にしのみや)の自宅に訪ねているんですよ。内田氏がそう証言しています」
「内田は峰尾の部下ですよ。上司の指示に盲目的に従う可能性があります」
「まさか。ことは殺人事件を巡る証言なんですよ。いくら何でもそんなこと――」
「あり得ないとでも?」芹沢は持田に笑いかけた。「世の中、殺人の冤罪と自分の出世を天秤にかけて、平気で出世を取る人間はたくさんいますよ」
「それはそうなのかも知れませんが――そうなると今度は、峰尾氏が嘘をつく理由が分かりませんね」
「それをこれから調べようって言うんです」
 芹沢は言って、にこやかに頷いて見せた。



「――辻野ちゃん、一番に電話」
 午後一番で使う会議資料に重大なミスが見つかり、大慌てで修正していたところに、向かいの席の同僚から名前を呼ばれた。
「ええ?」仁美はキーボードを見つめたまま顔をしかめた。「この忙しいときに、誰よ――?」
「西天満署の芹沢って人」三林(みつばやし)という男性社員は答えた。
「えっ?」仁美は顔を上げた。
「辻野ちゃん、何かやったんか?」三林は悪戯っぽく笑った。「それとも新しい彼氏とか?」
 仁美は激しく首を振った。「……なんで会社(ここ)の電話に?」
「知らんよ。携帯番号、教えてないの?」
 三林の言葉に仁美ははっと口を開き、デスクの抽斗からスマートフォンを取って画面を見た。案の定、西天満署刑事課から二件の着信があった。仕事に集中するため、マナーモードにしてあったのだ。
 仁美は目の前の電話の受話器を上げ、耳に当ててボタンを押した。
「もしもし、お電話代わりました。辻野です」
《――会社だったら、まともな言葉遣いができるんだな》
 いきなりの言い草に、仁美はむっと来た。そしてこの前一方的に電話を切られたことを思い出し、そのまま何も言わずに切ってやろうかと思ったが、ぎりぎりのところで抑えた。
「減らず口を利きに掛けてきたんなら切るけど。忙しいんやから」
《こっちもそれほど暇じゃねえよ》
「ほな要件を言ってよ。マジで時間がないの」
《あんた、まだマンションにいるだろ》
「どうしてそれを?」
《今朝一番で刑事課にあんたの親父さんが訪ねて来られたんだ。娘の部屋に入った空き巣はどうなったのか、娘に電話してもちっとも繋がらないんで心配で来てみたけど、娘は留守だし、警察に状況を訊いてみようと思ってって言われてな》
「父が……それで、何て?」
《適当に説明して帰ってもらったよ。ほんとはそんなことやりたかねえんだけど、こっちも時間がなかったし、あんたもその方が都合がいいんだろ》
「そう。それはご迷惑おかけしました」仁美はひとまず謝った。「でも、まだ葉子の部屋からはヒントが見つけ出せてへんのよ。彼女がどんな事件について調べてたのか、あの三人は誰なのか」
《そんな必要はないって言ったろ。こっちはいくつかの手がかりを掴んだから》
「三人の正体が分かったんや?」
《あ、やべ、しくった》芹沢は舌打ちした。
「で、どういう人たちやったん?」仁美は顔を輝かせた。
《そんなことはいいから、佐伯さんの部屋を引き払って実家へ帰れって言ってんだ》
「どこか大企業の産業スパイ?」
《おい、こっちの言うこと聞いてんのか?》
「もしかして、プロの紙幣偽造グループとか」
《いいって、もう》
「何も答えられへんところを見ると、政治家が絡んでるのね」仁美は声を潜めた。「あ――それとも公安関係?」
《妄想が酷ぇな。いい加減にしろよ》
「だったら、納得のいく説明をしてよ」
《いいか。これは警察からの正式な命令だ。今日仕事が終わったら、まっすぐ実家に帰るんだ。東天満じゃなくて、京都にだぜ》
「なんで警察がそこまで指図できるのよ。あたしは犯罪者やないんやし、どこに住もうと勝手でしょ。居住・移転の自由は憲法で保障されてるはずよ」仁美は負けていなかった。「それともおたくの脳味噌は、刑事訴訟法だけでいっぱいになる程度の小ささってわけ?」
 向かいの三林が驚いて仁美を見た。仁美はそれに気付き、愛想笑いを浮かべた。
《減らず口を利いてるのはそっちだろ》と芹沢が言い返した。《言うこと聞かねえと、公務執行妨害で引っ張るぜ》
「やれるもんなら、逮捕状持ってどうぞ。あたしは逃げも隠れもせえへんから。じゃあね」
 仁美は言い捨てて受話器を叩き付けた。「……ったく、若いくせに古臭い傲慢警官なんやから」
 三林は恐る恐るという感じで顔を上げ、機嫌を窺うような眼差しで言った。
「辻野ちゃん、俺、手伝おうか……?」
「え?」
「いや、だいぶイライラしてるみたいやから。焦ってるんやないかと思って」
「大丈夫よ。ありがとう」
 仁美はもう一度愛想笑いをして見せて、パソコン画面に視線を戻した。
「――辻野さん、一番に電話です」
 今度は一列向こうのデスクから声を掛けられた。仁美は眉を吊り上げてそちらを向いた。「はい」
 そしてデスクの電話を取って、「しつこいなあ、帰らへんって言うてるでしょ!」と噛みついた。
 しかし、そのまま固まってしまった。「……え?」
《仁美さん……?》樋口だった。
 仁美は受話器を落としそうになったが、何とか持ちこたえた。
「あ、は、はい、辻野です、ごめんなさい――」
《ごめんね、仕事中に。あの、この前から携帯に電話してるんだけど、あとメールも――気付いてくれてた――?》
「あ、はい、ちゃんと分かってたんだけど、ごめんなさい、ちょっと忙しくしてて――」
《どこかへ行ってたの?》
「う、うん、まあね。ちょっと友達がその――風邪をこじらせて寝込んでたもんやから。あたしと同じで一人暮らしやし、看病に」
《あ、そうだったんだ》
 樋口がほっと胸を撫で下ろしているのが、こちらにも見えてきそうだった。
「で、何か?」
《え?》
「何か用件があったから、何度も電話くださったんでしょ?」
《あ、いや別に――》樋口は口ごもった。
「純一さん、申し訳ないけど今ちょっと手の離せない仕事の最中なの。今日帰ったら必ず電話するから、それでごめんなさい」
《ああ、うん、分かった。僕の方こそごめんよ》
「じゃあ――」
 仁美は静かに受話器を置いた。ふうっと息を吐き、顔を上げるとまた三林が怪訝そうな顔でじっと見つめていた。
 仁美はにこっと笑った。「三林くん、何か?」
「……分からんよ、あんたって女性(ひと)は」
 三林は首を振った。

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