『玉藻香炉・下巻【偽典・蘆屋探偵事務所録2】』(中編小説/成瀬川るるせ著) 

文字数 5,657文字

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 世田谷区千歳台。〈女禍教団〉の総本山、〈女禍稲荷神社〉が、緑地帯の中にあった。
 鳥居をくぐる。ここからは、稲荷、つまり『お狐様』の領域だ。九尾、玉藻の前にさえ命令を下す〈女禍〉を崇める社。
 しかしそれは、ほかの稲荷信仰の社を、巨大化させただけの『洞』のような塚と社だった。

 本殿を境内からこっそり覗くと、中には信者100人ほどが、正座して祝詞を捧げている。

 祝詞を捧げている相手は、本殿の奥に鎮座する主祭神と、その四方を囲む4柱の神々だ。


「稲の神が、主祭神か。普通の稲荷信仰だな。女禍は……隠しているんだろうなぁ」
 僕がぶつくさ呟いていると、隣にいる旭さんが、僕に尋ねる。
「稲の神? 五体の神様を祀ってるみたいですけど、るるせんさん、わかるんですか」
「うーん。それこそアシェラさんの専門分野なんだけどなぁ。僕が説明すると、ぐだぐだになる。それでいいなら」


  ……本殿の奥の真ん中に鎮座するのが、主祭神のウカノミタマノオオカミ。「ウカ」っていうのが、稲を中心とした作物を意味してるんだよ。
  ……4柱は、サタヒコノオオカミ、オオミヤノメノオオカミ、タナカノオオカミ、シノオオカミ。
  ……この4柱が、四季を意味する。春夏秋冬ってわけさ。
  ……稲を生み出す『霊力』への信仰こそが、稲荷信仰の現世利益パワーなのさ。


「それじゃぁ、信者さんの一番先頭にひとりいるひとが」
「教祖様ってわけだろうなぁ、きっと」



 真夜中の本殿は、ろうそくの炎が揺らめき、中を照らし出している。そこにある、陰鬱な、顔、顔、顔。

 信者たちは、なにかを詠唱し始めた。





山城の國の風土記に曰はく、可茂の社。

可茂と稱(い)ふは、日向(ひむか)の曾の峯(たけ)に天降(あも)りましし神、賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)、

神倭石余比古(かむやまといはれひこ・神武天皇)の御前(みさき)に立ちまして、大倭の葛木山(かづらきやま)の峯に宿りまし、

彼より漸(やくやく)に遷りて、山代の國の岡田の賀茂に至りたまひ、山代河(木津川)の隨(まにま)に下りまして、葛野河(かどのがは・桂川)と賀茂河との會ふ所に至りまし、

賀茂川を見迥(はる)かして、言りたまひしく、「狹小(さ)くあれども、石川の淸川(すみかは)なり」とのりたまひき。仍(よ)りて、名づけて石川の瀬見(せみ)の小川と曰ふ。

彼の川より上りまして、久我の國の北の山基(やまもと)に定(しづ)まりましき。爾の時より、名づけて賀茂と曰ふ。

賀茂建角身命、丹波の國の神野の神伊可古夜日女(かむいかこやひめ)にみ娶(あ)ひて生みませる子、名を玉依日子と曰ひ、次を玉依日賣(たまよりひめ)と曰ふ。

玉依日賣、石川の瀬見の小川に川遊びせし時、丹塗矢、川上より流れ下りき。乃(すなわ)ち取りて、床の邊に插し置き、遂に孕(はら)みて男子(をのこ)を生みき。

人と成る時に至りて、外祖父、建角身命、八尋屋を造り、八戸の扉を竪て、八腹の酒を醸(か)みて、神集(かむつど)へ集へて、七日七夜樂遊したまひて、然して子と語らひて言りたまひしく、

「汝の父と思はむ人に此の酒を飮ましめよ」とのりたまへば、即(やが)て酒坏を擧(ささ)げて、天に向きて祭らむと為(おも)ひ、屋の甍を分け穿ちて天に升(のぼ)りき。

乃ち、外祖父のみ名に因りて、可茂別雷命と號(なづ)く。

謂はゆる丹塗矢は、乙訓の郡の社に坐せる火雷神(ほのいかつちのかみ)なり。

可茂建角身命、丹波の伊可古夜日賣、玉依日賣、三柱の神は、蓼倉(たでくら)の里の三井の社(やしろ)に坐(いま)す。 





 ……これは。

「山城国風土記、だな」
「なんです、それ?」
「要するに、由来さ」
「由来?」
「こういうのは、由来がしっかりしてるってことにしないと締まらないものなのさ」
「そんなものなんですかね」
「そんなものだよ」
「稲荷大神のご鎮座に関する最も古い記録とされているのは、『山城国風土記逸文伊奈利社 条』。
秦中家忌寸(はたのなかつえ いみき)等遠祖伊呂巨(具)秦 公』の時代に、彼が『積二稲梁一有二冨祐一』であったところから『用レ餅為レ的』したところ、
それが『白鳥』と化して山の峰に飛んでゆき、『生レ子』んだ。
或いは稲が生じたので、その奇瑞によって『遂為レ社』した、そして『其苗裔悔二先過一而抜二社之木一殖レ家祷レ命也』とあり、『為レ社』した者が「伊呂巨 (具)秦公」であったことが明記されている。
この伊呂巨(具)について、「稲荷社神主家大西(秦)氏系図」によると、
『秦公、賀茂建角身命二十四世賀茂県主、久治良ノ末子和銅4年2月壬午、稲荷明神 鎮座ノ時禰宜トナル、天平神護元年8月8日卒』と記され、賀茂県主の子孫と称されているんだ。
……秦氏が賀茂氏の子孫だとされている説もあってね…………」


「なんか、匂いませんか、るるせさん。お香のような」
「ああ。香炉からだろうな」
「香炉?」
「茶室や仏具としてあるだろ。または、遊郭なんかにも。お香を入れる容器を、香炉と呼ぶ。香りはひとを惑わすものなんだよ」

「香り……? あっ! 『息』だ!」

「息?」

「もう。忘れちゃったんですか、るるせさん。アシェラ所長にあとで怒られますよ?アレです、メールの」
「ああ。『君・息・嘘』の三文字、か」
「そうですよ。わかっちゃった! 君の息は嘘っぱちだ、って意味じゃないですか!」
「うーん。君って誰?」
「そりゃぁ、るるせさんじゃないですかぁ? もしくは、ここに集まってる方々」
「うぅ、一緒くたにされてるー。……じゃあ、嘘っていうのは」
「嘘っぱちなんですよ! この団体が」
「でも、ガチで妖怪大戦争起こす気あるみたいだし、できるでしょ。嘘っていうのかなぁ」


「なんか、吐き気がしてきました。香りは良いはずなんですけど……頭痛も」
「うん。僕も眩暈が……」


「あ。『君』も『息』も、嘘だとすると」
「なんだい、今度は?」
「アナグラムです」
「ああ。ローマ字で行ってみよう。KIMI、IKI、USO、だね」
「KIMIとIKIが嘘なら、これはどうです? 『IIKIMI』=『良い気味』。どーだ!」
「いや、旭さん。それだとKがひとつ余るよ?」
「んん? じゃあ、『IMIIKIKI』=『意味行き来』で、どうでひゅきゃぁ」
「そりゃわきゃんないれひょ。『USO』は?」
「しょりぇにゃら『USO』は『SOU』=『草』でどうりぇひょう?」
「あひゃひゃほはぁ! 『草』きゃぁ! 『嘘』=『幻覚』りぇこりょかぃ?」
「あっひゃはぁはぁひょ」



 酩酊する僕と旭さん。舌が回らない。どうやらこれは……。


 僕らの背後に、誰かが立つ。

「正解だよ、旭くん。『嘘』は『草』のアナグラムだった。
潜入捜査してふらふらなまま、監視付きで姫宮くんが書いたものは、『意味、行き来』する、つまり酩酊状態を意味する」
 ああ、この声は。
「そして『草』はこの香炉の中に入っている草、ダチュラという幻覚を見せる植物を指していたのさ」
 僕は振り向く。旭さんも振り向く。

 そして旭さんは、
「く、くまー!」
 と、叫んだ。くまと叫んだのは、件の藁人形チョコ事件を含めて、これが二度目だった。

「さすが助手だよ、さすがJK(でも絶対女子高生ではない)だよ! 酩酊しながら、こんな暗号文を打ち込んだメールを送信したんだからね」
 そりゃぁ、くまもびっくりだよな、と僕は思った。
「なんれくまなんひぇひゅかぁ?」
 旭さんが回らない舌で尋ねる。なぜ、くまの着ぐるみを今回も着ているのか、と。
「愚問だよ、旭くん。ダチュラの香りをシャットアウトするために決まっているじゃないか。見てみろ、本殿の中はもうへろへろな奴らだらけだ。これがこの〈教団〉の吸引力の正体さ」
 100人くらい集まっているのは、そうか、ダチュラの酩酊を求めて。きっとこの酩酊のなかで、『大人の乱痴気騒ぎ』が、始まるのだろう。それを楽しみに、ここには〈信者〉が集まっている……。
「おきらくさんは正しかったわけだよ。毒キノコと一緒さ」

 僕も聞いたことがある。
 例えばベニテングダケという毒キノコ。
 これは猛毒で、嘔吐、眩暈、昏睡を引き起こして死に至るのだが、幻覚も見えるらしく、その幻覚目当てに、死を覚悟して食すひとも絶えないらしい。
 そして、幻覚状態で山から里に下りていくと、〈狐憑き〉と呼ばれる……。そうだ、〈狐〉なんだな。これも。
 ウォルトーさんのゾウのアシッドの話も、そこに繋がる。
 と、いうことはアシェラさんもあおきらくさんも、このことを最初から知っていて……。



「さてさて。信者御一行様のところへはせ参じようではないか、諸君」
 かぶりを振る僕と旭さん。
 しょうがないなぁ、このくらいでヘタレるなんて、と肩をすくめてから、くまの着ぐるみ姿のアシェラさんは、本殿の中に入っていった。
 誰も気づかない。そんな精神状態ではない。ところどころで、教団の信者たちがわめき散らしていて、統制が取れてない。
 よくもまあ、こんな集団で〈玉藻の前〉の命を狙おうとしたもんだ。
 それとも、深夜の乱痴気騒ぎの直前に訪れたからなのだろうか?


 教祖と思しき人物の肩を叩くくまの着ぐるみ。振り向いて飛び上がってる。
 飛び上がったところに、アシェラさんは、畳みかけるように、拝詞を捧げた。
 どこに?
 たぶん、神々に向けて。




「……これのかむどこにます かけまくもかしこきあまてらすおおかみ
 (……此れの神床に坐す 掛けまくも畏き天照大神) 
 ……うぶすなのおおかみたち もろもろのおおかみたちのおおまえに
 (……産土大神等 諸々の大神等の大前に)
 ……かしこみかしこみももうさく
 (……恐み恐みも白さく)
 ……おおかみたちのひろきあつきみめぐみを かたじけなみまつり
 (……大神達の広き厚き御恵みを辱み奉り) 
 ……たかきとおとき みおしえのまにまに
 (……高き尊き神教のまにまに)
 ……なおきただしき まごころもちて まことのみちに たがふことなく
 (……直き正しき真心持ちて 誠の道に違ふことなく) 
 ……おひもつわざに はげましめたまひ いえかどたかく みすこやかに
 (……負ひ持つ業に励ましめ給ひ 家門高く 身健に) 
 ……よのため ひとのために つくさしめたまへと
 (……世の為人の為に尽くさしめ給へと)
 ……かしこみかしこみももうす
 (……恐み恐みも白す)」


 本殿奥で破壊音。
 石像がぶち壊される破砕音だ。……拝詞によって、隠しておいた〈女禍〉像が壊れたのだろう。
 破砕音を聞いて、教祖は白目をむいた。


「さぁ、ご到着のようだよ」
 アシェラさんは出入口を見る。



「そこまでだッッッ!」
 くろいの警部を筆頭に、警察の皆様方が一斉になだれ込んできた。
〈女禍〉像が壊されるのを待っていたかのように。

 捕まっていく〈女禍教団〉の人々。


 そして僕は。
 ……役目を終えた僕はうつぶせに倒れる。
「あ……れ? また、道化役じゃん、僕?」

 アシェラさんは旭さんをくまの着ぐるみのままお姫様抱っこをして、その場から颯爽と去っていく。

「あー、なんだ、そもそも僕は探偵じゃないんだってば……」
 そう。だから勘違いされて捕まってもおかしくない。
 ていうか、間違えられて、本当に僕も警察に捕まったのだった。



          **********



 朝を迎えて。
 僕は釈放された。
 当たり前だ。
 僕は悪くない。その場に居合わせただけだ。
 迎えに来たのは、女性陣ではなく、アシェラさんだった。



 蘆屋探偵事務所。午前八時。通勤ラッシュの真っ最中であろう時間帯。
 ここは静かなものだ。

「怒らない怒らない。珈琲飲むかい? うちの事務所で淹れる珈琲にはこだわっているよ」
「怒らないでいられますか! ぷんすか!」
「君がぷんすか! って頬を膨らませても、怖くも可愛くもなんともないよ、るるせくん」
 淹れてもらった珈琲を飲む。確かにおいしい。
「はぁ。いったい、今回の件はどういうお話だったんですか、アシェラさん」
「考えてもみるんだ、今回は僕じゃなくて、助手に任せて放っておいた事件だったんだよ。それが不測の事態になって、僕の出番になった」
「て、ことは」
「だいたい、どの程度の事件かは、わかっていたようなものさ」
「姫宮さんや旭さんは、体調もとに戻りましたか」
「彼女らなら大丈夫さ。タフじゃなきゃ、探偵はできないからね」
「僕。ちーっとも、なんにもならなかった!」

 ふふ、と気障っぽく微笑む探偵は、僕に言う。

「まぁまぁ。どうしようもならん、のが、どうにかなる。これが僕自身の思想さ」


「そうやっていつもごまかすんだもんなー、このひとは」


 僕は冷めないうちに、珈琲をすする。おいしい。
 飲み終えた僕は、いつもの日常に戻るために、事務所を出ようと入口のドアノブに手をかける。
 これから部屋に帰って、スマートフォンゲームでもしていよう。

 ここにはどんどんひとが集まってきている気がするが、それはまた別の話だろう、きっと。

 僕はアシェラさんをチラ見する。
 事件現場から持ってきたのであろう香炉を手に持ち、
「これ、いくらで売れるかなー」
 と、のんきなことを言っている。
 香炉はもうたくさんだよ、と僕は辟易した。

 これが今回の事件、玉藻香炉事件のあらましなのだった。



〈了〉
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登場人物紹介

【アシェラ/蘆屋都々(あしやとと)】

電子文芸部を発足した人。推理しない探偵事務所所長。

NOVEL DAYS内にて『天使と悪魔の聖書漫談』を連載。

Twitterで気になる人にクソリプを送りまくる性癖あり。

来るもの拒まず、去るのは寂しい、ただのオタク。

【成瀬川るるせ】

眠ることが大好き。宵越しの金は持たない主義でありたい、ただのアブノーマル男子。

NOVEL DAYSで『死神はいつも嘘を吐く』、『【抹茶ラテの作法と実践(The Book of Matcha Ratte)】』シリーズなどを掲載している。

NOVEL DAYSの個人ページはこちら

【そばえ】

カクヨムで連載小説を書きつつ、バーチャルとリアルを行き来している不器用なのにあちこち手をつける多趣味な人間。

妖狐の娘の道すがら-ミレハ帰郷記』(玖山 戯)

【姫宮未調】

作中は所長により、所長助手のJKの肩書きを持つ仔犬系女子。

実際は年齢不詳女性。自称人間になりたい豆柴。

カクヨムをメインに風呂敷を広げ、ジャンル問わず50作品以上書いている。

時違えども君を想ふ』はエブリスタの妄想コンテストの優秀作品の末端に入れた唯一作品。

それ以外はマイナー街道をひた走り、マイナー受けしかしないものばかり書いてしまう残念系中性女子。

【旭山リサ(あさひやま・りさ)】

おしゃれなパスタより、チャーシュー大盛り豚骨ラーメン大好き女子。

作者ページは、こちら

【おきらく】

しがない物かき。Twitterではうるさかったけど、最近は比較的うるさくない。現在、過去作を掲載中。アイコンは自創作キャラのハジメです。

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