第2話 米澤広樹君の取扱説明書
文字数 1,520文字
その小学生の男の子は、大坪さん製作の鉄道ジオラマの前で動かなくなった。まるで魂がジオラマの中に入ってしまったかのように。
水色のハンドタオルを噛みしめている。母親が汗を拭き拭き恐縮しながら言った。
「こうなったら、テコでも動かないので」
大坪さんは母親に椅子を差し出し、座るように促した。
その小学生は米澤広樹 君といった。
頻繁にオオツボ模型に来るようになり、一緒に種原山ジオラマを作った。
粘土で何を作っているのかと思ったら、レンガだった。たくさんの小さな小さなレンガを作り、種原山の周囲を万里の長城のように配置していくのが、今のお気に入りのようだった。
たまに思うようにいかないときは、ハンドタオルを噛んでぐしょぐしょにしていた。
広樹君が作業に熱中しているとき、母親と大坪さんの会話が聞こえてきた。
「もうお気づきかと思いますが、広樹は発達障害なんです」
いつもは程よく作業の音がする店内が静まりかえっていた。
「広樹の特徴を言いますね。共感能力が乏しくコミュニケーションが苦手、空気を読んだりは無理。具体的な指示でないと動けない。突発的な出来事でパニック。不安になるとパニック。ルーティンを崩せない。強いこだわり。大きな音、人混みが苦手。いっぱいあります」
大坪さんはノートにそれらをメモしていた。
山田さんが振り向き小声で言った。
「おまえらもそうじゃん」
すると鯨君が大真面目な顔で「否定はしません」と返したので、俺も右手を挙げ “俺も” といった風に左人差し指で自分を指さした。
「鯨は置いといて、ナリちゃんは違うだろ」
塚田さんが笑いながら突っ込んだ。
そんなことはないんです。鯨君の方がよっぽど普通です。
失踪して、見つけ出して、そこもまた失踪した親父が高確率で発達障害なんです。
親父自ら病院なんか行かないから診断はついていませんよ。でも、そうとしか思えない。
だから自分も心配なんです。遺伝が怖いんですよ。現に俺の顔は親父にそっくりだ。
口数が少ないのは大人しいからじゃないんです。自分に自信が無くてボロが出ないよう控えめにしているだけなんです。
結局のところ親父は、あのとき念書まで書かせて支払いを約束させた養育費を、2回払っただけでした。合計4万円です。
俺の名前をダシにして親父が失踪費用として借りた学資ローン50万円は、案の定延滞して毎月銀行から督促状が届きました。
母さんは封筒の中身を見てもいません。今は銀行から保証会社に移ったようです。どうなっているのか……わからないし、もうどうでもいいです。
そしてみんなに嫌な思いをさせて親父に書かせた離婚届は、母さんズルズルと放置して出していないんです。
いつも帰ってくるとビールを飲んで、コタツテーブルで寝落ちしているだらしない母さん。
俺はつき合うなら母さんとは反対の、頭のいいしっかりした女の子がいい。
作業をしていると、無心になれる日と、雑念が壊れたラジオのように流れてくる日がある。今日はラジオの日だ。
大坪さんは、広樹君ルールを作った。
① 工具を使うときは店長に見せること
② 店長がいないときは知っている人に見せること
③ 米澤君に話しかけるときは、1人ずつ、静かにゆっくり驚かさないこと
④ 説明は簡潔に具体的にすること
⑤ 説明はボードや紙を使用して工夫すること
⑥ タオルを口元に持っていったら黄色信号、噛んだら赤信号。そこでストップすること
⑦ みんなで統一して『広樹君』と呼ぶこと。
真剣に粘土を積み重ねる米澤君。睫毛が長くて色白でとても可愛い。小学4年生というが、もっと幼く見える。
俺もイケメンとよく言われるけど、自分の顔は好きじゃない。甘ったるくて頭が空っぽみたいな顔だから。
水色のハンドタオルを噛みしめている。母親が汗を拭き拭き恐縮しながら言った。
「こうなったら、テコでも動かないので」
大坪さんは母親に椅子を差し出し、座るように促した。
その小学生は
頻繁にオオツボ模型に来るようになり、一緒に種原山ジオラマを作った。
粘土で何を作っているのかと思ったら、レンガだった。たくさんの小さな小さなレンガを作り、種原山の周囲を万里の長城のように配置していくのが、今のお気に入りのようだった。
たまに思うようにいかないときは、ハンドタオルを噛んでぐしょぐしょにしていた。
広樹君が作業に熱中しているとき、母親と大坪さんの会話が聞こえてきた。
「もうお気づきかと思いますが、広樹は発達障害なんです」
いつもは程よく作業の音がする店内が静まりかえっていた。
「広樹の特徴を言いますね。共感能力が乏しくコミュニケーションが苦手、空気を読んだりは無理。具体的な指示でないと動けない。突発的な出来事でパニック。不安になるとパニック。ルーティンを崩せない。強いこだわり。大きな音、人混みが苦手。いっぱいあります」
大坪さんはノートにそれらをメモしていた。
山田さんが振り向き小声で言った。
「おまえらもそうじゃん」
すると鯨君が大真面目な顔で「否定はしません」と返したので、俺も右手を挙げ “俺も” といった風に左人差し指で自分を指さした。
「鯨は置いといて、ナリちゃんは違うだろ」
塚田さんが笑いながら突っ込んだ。
そんなことはないんです。鯨君の方がよっぽど普通です。
失踪して、見つけ出して、そこもまた失踪した親父が高確率で発達障害なんです。
親父自ら病院なんか行かないから診断はついていませんよ。でも、そうとしか思えない。
だから自分も心配なんです。遺伝が怖いんですよ。現に俺の顔は親父にそっくりだ。
口数が少ないのは大人しいからじゃないんです。自分に自信が無くてボロが出ないよう控えめにしているだけなんです。
結局のところ親父は、あのとき念書まで書かせて支払いを約束させた養育費を、2回払っただけでした。合計4万円です。
俺の名前をダシにして親父が失踪費用として借りた学資ローン50万円は、案の定延滞して毎月銀行から督促状が届きました。
母さんは封筒の中身を見てもいません。今は銀行から保証会社に移ったようです。どうなっているのか……わからないし、もうどうでもいいです。
そしてみんなに嫌な思いをさせて親父に書かせた離婚届は、母さんズルズルと放置して出していないんです。
いつも帰ってくるとビールを飲んで、コタツテーブルで寝落ちしているだらしない母さん。
俺はつき合うなら母さんとは反対の、頭のいいしっかりした女の子がいい。
作業をしていると、無心になれる日と、雑念が壊れたラジオのように流れてくる日がある。今日はラジオの日だ。
大坪さんは、広樹君ルールを作った。
① 工具を使うときは店長に見せること
② 店長がいないときは知っている人に見せること
③ 米澤君に話しかけるときは、1人ずつ、静かにゆっくり驚かさないこと
④ 説明は簡潔に具体的にすること
⑤ 説明はボードや紙を使用して工夫すること
⑥ タオルを口元に持っていったら黄色信号、噛んだら赤信号。そこでストップすること
⑦ みんなで統一して『広樹君』と呼ぶこと。
真剣に粘土を積み重ねる米澤君。睫毛が長くて色白でとても可愛い。小学4年生というが、もっと幼く見える。
俺もイケメンとよく言われるけど、自分の顔は好きじゃない。甘ったるくて頭が空っぽみたいな顔だから。