-vana- 第10話「根の戒め」
文字数 2,477文字
『ああ、そうだ。朱鳥殿には、…』
山に向かいかけた銀翅は、思い出したように言った。
『村の為に山の事を知りたい、と言いなさい。決して私の名は出さぬように。…兄は私と違って忙しいから、そのお役目は私の許へ廻ってくるだろう。』
「…。」
『本家の手足になれと言われるかもしれないが…、その時は、幼い今の私には、そのような大変なお役目はこなせません、と言いなさい。けれど、絶対にやりたいのだと言い続けるんだ。』
「はい。そう伝えてみます…。」――いつも、厄介事を任されているのか。…なんとも言えない、複雑な思いがした。
『村のためにやるのだと言えば、朱鳥殿もそう文句は言わぬだろうさ。――解ったかい?』
「はい…。あ、あの」
『うん?』
「悠には、何と?」
『…君の好きになさい。…ただ、悠殿以外の他の者には一切、話してはならない。――噂など為すがまま、好きに言わせて於 きなさい。』
「は、はい…。」
『…一応言っておくが。もしも村で今の話を耳にしたら、まず君達から漏れたものと私は思うから。』
「――はい。気を付けます。」
その時は心せよと、銀翅にくぎをさされた。
『…では、私は山へ戻ろう。…これを、君に。』
銀翅は紙を一枚、ひらりと懐より取り出した。
「これは…何ですか?」
『日が落ちてしまったからね。お守りだよ。…家に着いたら、竃 にでも放り込んでしまいなさい。』
「ありがとうございます。お引き止めしてしまって申し訳ありませんでした。――道中、お気を付けて。」
おれは手短に挨拶をすると、行燈 に火を入れた。
***
「ああ。…またね。」
私はそのまま葵を見送り、山に足を踏み入れた。
――すこし進むと、青い炎がゆらりと視えた。
「えらい、遅かったな。」
「…ああ。遅くなって済まない。――どうだった?」
「それを聞くんはうちの方やろ。」
「見ていたのだろう。」
「…。」
――顕れるのが早すぎる。そう思ったので尋ねたが、返ってきたのは溜息ひとつ。
「村の者たちとはまるで違ったよ。」
十六夜の問いにそう答えながら、相変わらずだなと思いつつ、まだ肌寒い空気から逃れて暖を取りにいった。
「私を畏れぬどころか、私の身の上を聞いた上、力になりたいとすら言われた。――つい気を良くして、話し込んでしまったよ。」
「…あいつ、ほんまにこの山に来るようになるんかな。」
「そうなるかもしれない。…どうか、咎めずにおいてくれないか。」
「…。」
「君の気に障るようなら、その科は私が引き受けよう。――それで、如何かな。」
「…、気に障るわけ、あらへんやろ。」
長いような沈黙の後そう言うと、十六夜は一層顔をしかめた。
「…気に障らぬという者の表情 ではないよ?」
「うっさいな。いちいち、気にせんでええねん。」
「…。」
――よもや、心配してくれていたのか。
確かに、少し行ってくると出て行ったにしては、長居をし過ぎたから。
「…有難う。」
「…」
礼を言うと、案の定、ふん、と鼻を鳴らされた。
…それなら、素直にそう言えば良いのに。
そう思いつつ、私の言えた義理ではないかと思い直し、笑みを悟られないように顔を背けた。
程なくして、当主より言伝があった。
――話がある。すぐに来い。
文面はいつもと変わりなかったが、どうやら葵のことは、此方の思惑通りに進んだ様だった。
「来たか。…挨拶はいい。――当主は多忙故、私が託 っている。」
「はい。」
いつも通り、私の前に現れたのは兄、玄鋼だった。
「今日、お前を呼んだのはな…」
兄はそう言うと、言いにくそうに僅かに目を伏せた。
「…実は、朱鳥殿の御子息が、村の為に我らの手助けをしたい、と申している。」
「――? いつもの様に、本家にてお預かりなさればよいのではございませんか?」
我々に何かしらの恩義を感じ、手伝いたいと申し入れた者は、本家の家人 となることが認められる。――無論、当主の許可があればの話だが。
それが、この村の常である。
「私もそう進言した。ところが葵殿は、己は幼く非力故に多くはこなせぬ、と。」
「…。子供らしいといえばそれまでですが。――成程、それも道理ですね。」
「父上もそうお考えになったのだろう。…そこで、お前に葵殿を預けよと。」
「左様で御座いますか…。」
大方、適当に丸め込んでしまえばいいと思っているのだろう。
…所詮は子どもだと、侮っているのだ。
「――村の為とあらば、喜んでお引き受け致しましょう。」
私は、そう言いながら深く頭を下げる。
用向きを受け入れながら、声を立てぬように息を殺した。
「…何よりだ。」
何も知り得ない兄は、普段と変わらぬ様子で淡々と頷いている。
――よもや、こうも上手くいくとは。
「――葵殿は村長殿の御子息故、くれぐれも無茶はさせぬようにとも仰せだ。」
「承知致しました。念の為卜占 の由 、後程わが式にてお伝え致します。それまで暫し、お待ち願えますか。」
「良し。――下がれ」
「は。有難う御座います。失礼致します。」
穢れた笑みを悟られぬまま、本家を後にする。――どうにかそれを、おさめてから。
すこしはあたたかくなってきたかな、と空を見上げ、目映さに眼を細めた。
「どうやった?」
山に戻ると、十六夜がすぐに尋ねてきた。余程気になっていたらしい。
「明日から、面倒を見るようにとの仰せだ。――この山に来るのは、もう数日ほど先の事だとは思うけれど。」
「ふぅん。」
十六夜は、私の答えに、いつもの様につまらなさそうに頷く。
「何か、御意見は?」
「ない。」
如何にも、興味がないといった風に十六夜はあっさりと頷いた。どうやら、障りないらしい。
「解った。ではその旨をお伝えするとしよう。」
障りがない。――即ち、吉である。
「…。」
私が式を放ったその先を、十六夜はぼんやりと見つめていた。
山に向かいかけた銀翅は、思い出したように言った。
『村の為に山の事を知りたい、と言いなさい。決して私の名は出さぬように。…兄は私と違って忙しいから、そのお役目は私の許へ廻ってくるだろう。』
「…。」
『本家の手足になれと言われるかもしれないが…、その時は、幼い今の私には、そのような大変なお役目はこなせません、と言いなさい。けれど、絶対にやりたいのだと言い続けるんだ。』
「はい。そう伝えてみます…。」――いつも、厄介事を任されているのか。…なんとも言えない、複雑な思いがした。
『村のためにやるのだと言えば、朱鳥殿もそう文句は言わぬだろうさ。――解ったかい?』
「はい…。あ、あの」
『うん?』
「悠には、何と?」
『…君の好きになさい。…ただ、悠殿以外の他の者には一切、話してはならない。――噂など為すがまま、好きに言わせて
「は、はい…。」
『…一応言っておくが。もしも村で今の話を耳にしたら、まず君達から漏れたものと私は思うから。』
「――はい。気を付けます。」
その時は心せよと、銀翅にくぎをさされた。
『…では、私は山へ戻ろう。…これを、君に。』
銀翅は紙を一枚、ひらりと懐より取り出した。
「これは…何ですか?」
『日が落ちてしまったからね。お守りだよ。…家に着いたら、
「ありがとうございます。お引き止めしてしまって申し訳ありませんでした。――道中、お気を付けて。」
おれは手短に挨拶をすると、
***
「ああ。…またね。」
私はそのまま葵を見送り、山に足を踏み入れた。
――すこし進むと、青い炎がゆらりと視えた。
「えらい、遅かったな。」
「…ああ。遅くなって済まない。――どうだった?」
「それを聞くんはうちの方やろ。」
「見ていたのだろう。」
「…。」
――顕れるのが早すぎる。そう思ったので尋ねたが、返ってきたのは溜息ひとつ。
「村の者たちとはまるで違ったよ。」
十六夜の問いにそう答えながら、相変わらずだなと思いつつ、まだ肌寒い空気から逃れて暖を取りにいった。
「私を畏れぬどころか、私の身の上を聞いた上、力になりたいとすら言われた。――つい気を良くして、話し込んでしまったよ。」
「…あいつ、ほんまにこの山に来るようになるんかな。」
「そうなるかもしれない。…どうか、咎めずにおいてくれないか。」
「…。」
「君の気に障るようなら、その科は私が引き受けよう。――それで、如何かな。」
「…、気に障るわけ、あらへんやろ。」
長いような沈黙の後そう言うと、十六夜は一層顔をしかめた。
「…気に障らぬという者の
「うっさいな。いちいち、気にせんでええねん。」
「…。」
――よもや、心配してくれていたのか。
確かに、少し行ってくると出て行ったにしては、長居をし過ぎたから。
「…有難う。」
「…」
礼を言うと、案の定、ふん、と鼻を鳴らされた。
…それなら、素直にそう言えば良いのに。
そう思いつつ、私の言えた義理ではないかと思い直し、笑みを悟られないように顔を背けた。
程なくして、当主より言伝があった。
――話がある。すぐに来い。
文面はいつもと変わりなかったが、どうやら葵のことは、此方の思惑通りに進んだ様だった。
「来たか。…挨拶はいい。――当主は多忙故、私が
「はい。」
いつも通り、私の前に現れたのは兄、玄鋼だった。
「今日、お前を呼んだのはな…」
兄はそう言うと、言いにくそうに僅かに目を伏せた。
「…実は、朱鳥殿の御子息が、村の為に我らの手助けをしたい、と申している。」
「――? いつもの様に、本家にてお預かりなさればよいのではございませんか?」
我々に何かしらの恩義を感じ、手伝いたいと申し入れた者は、本家の
それが、この村の常である。
「私もそう進言した。ところが葵殿は、己は幼く非力故に多くはこなせぬ、と。」
「…。子供らしいといえばそれまでですが。――成程、それも道理ですね。」
「父上もそうお考えになったのだろう。…そこで、お前に葵殿を預けよと。」
「左様で御座いますか…。」
大方、適当に丸め込んでしまえばいいと思っているのだろう。
…所詮は子どもだと、侮っているのだ。
「――村の為とあらば、喜んでお引き受け致しましょう。」
私は、そう言いながら深く頭を下げる。
用向きを受け入れながら、声を立てぬように息を殺した。
「…何よりだ。」
何も知り得ない兄は、普段と変わらぬ様子で淡々と頷いている。
――よもや、こうも上手くいくとは。
「――葵殿は村長殿の御子息故、くれぐれも無茶はさせぬようにとも仰せだ。」
「承知致しました。念の為
「良し。――下がれ」
「は。有難う御座います。失礼致します。」
穢れた笑みを悟られぬまま、本家を後にする。――どうにかそれを、おさめてから。
すこしはあたたかくなってきたかな、と空を見上げ、目映さに眼を細めた。
「どうやった?」
山に戻ると、十六夜がすぐに尋ねてきた。余程気になっていたらしい。
「明日から、面倒を見るようにとの仰せだ。――この山に来るのは、もう数日ほど先の事だとは思うけれど。」
「ふぅん。」
十六夜は、私の答えに、いつもの様につまらなさそうに頷く。
「何か、御意見は?」
「ない。」
如何にも、興味がないといった風に十六夜はあっさりと頷いた。どうやら、障りないらしい。
「解った。ではその旨をお伝えするとしよう。」
障りがない。――即ち、吉である。
「…。」
私が式を放ったその先を、十六夜はぼんやりと見つめていた。