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文字数 3,279文字


「それにしても、さっきは肝を潰したよ!」
 
 K2中の探偵助手・内輪若葉(うちわわかば)はそう言って笑った。
「いきなり〈謎の襲撃者〉の正体がわかった、なんて言い出すんだもの! よりによって、助手であるこの僕には一切、何の説明もなしにさ?」
 処は南京町(なんきんまち)――港町のK市が誇る中華街である。
 ここは明治元年の1867年、外国船の為に港を開港したのと同時に生まれたとか。
 昭和の今現在、『南京町に行けば手に入らないものは何もない』とまで言われて、〈関西の台所〉として大いに繁栄している。K市の中学生たちはこの雑多でエキゾチックな(そして、時に退廃的な香りのする)町が大好きだった。志儀や若葉も例外ではない。今日も毛利医院から学校に戻った後で、どちらが言うともなくやって来た。
 食べそびれた昼食を思い出し、やや開けた中華風の廟のある広場で中華万をぱくついている最中である。
「それで――どうしてもダメなんだね? 僕にも、後1日待たなきゃ〈謎の襲撃者〉の正体は教えてくれないんだ……」
「ごめん」
 〈謎の襲撃者〉の名を明かさない、その名を今の時点では僕だけ(・・・)が知っている――
 このことは君のためでもあるんだ、チワワ君。
 ラムネをラッパ飲みしながら志儀(しぎ)は思った。口に出しては言わなかったが。
 今日、自分が体験した様々なこと。そこから導き出した結論。唯一つの真実……
「ねえ?」
 ここで突然、若葉が志儀の制服の袖を引いた。
「じゃ、これだけは正直に教えて。君にとって助手である僕の存在意義って何なのさ? 少しでも、君にとって僕は価値があるの? それとも、ただ厄介なお荷物……足出纏(あしでまと)いに過ぎない?」
「うん。僕もしょっちゅうそれについて考えるよ」
 弾かれたように顔を上げて志儀は答えた。
「え? 志儀君も?」
 怪訝そうに眉を寄せる若葉に慌てて志儀は訂正した。
「つまり、僕の場合は本物の探偵――僕が助手をやってる丘の上の恬淡(てんたん)な探偵に対してさ」
 一体、興梠さんは僕のこと、どう思っているのだろう? 
 僕は果たして役に立っているのだろうか? 僕はこのまま貴方の傍にいてもいいの?
 でも――
 今回助手を持つ身になって、初めてわかったことがある。
 中華万を包んでいた紙を丸めてくず入れに投げ込むと、自分を見据えている友人のその円らな瞳をしっかりと見返して志儀は答えた。
「これだけは言える。チワワ君! 君は僕にとって凄く大切な存在だよ。役に立つ、立たないではなくて、君が一緒にいてくれて、ソレだけで、今回、僕は助かった。こうして、その名を呼ぶだけで心が落ち着くもの!」
 
 ―― チワワ君! おい、チワワ君! 行こう、チワワ!

 ―― フシギ君? おい、フシギ君! いくぞ、フシギ君……!

「本当?」
 助手の顔がぱっと輝く。
「それなら、良かった! それを聞いて安心した! 僕だって何かしらの働きはしたってことだね?」
 嬉しそうに若葉は立ち上がった。
「待ってて、僕、胡麻団子(ごまだんご)も買ってくる! あの黄色い看板、あそこの店のは絶品なんだ! 一緒に食べよう」
「フフ、そう気を使わなくてもいいよ、チワワ君!」
 (でも、実際、助手がいるっていいことだな。)
 赤いランタンが揺れる通りを駆けて行くカーキー色の制服を眺めながら志儀は思った。
 (それも、明日で終わるけれど。)
 僕が始めて依頼された、母校のフシギな事件――
 〈K2中学校の怪事件〉も遂に明日でピリオドが打たれる。僕の手によって。
 勿論、実は、最後の大仕事が残っているのだが。
 ソレは、今夜、確実に訪れるだろう。
 何故なら、この僕自身が種を蒔いたのだから。
 僕は確信している。今夜、〈謎の襲撃者〉は必ず――

「?」
 
 自分の腕を引っ張る気配を察して志儀は我に返った。
 目を上げると、いつの間にか真横に派手なシナ服を着た男が立っていた。
 〈占い師〉と一目でわかる。
 当世、この界隈にはこの種の胡散臭い連中がウヨウヨいた。尤も、呼び止められたのは初めてだ。よほど客が来ないと見える。
 即座に志儀は手を振り放した。
「悪いけど、僕は結構だよ。占いに興味はない。自分の未来は自分で切り開く主義さ」
「誤解スル、ダメ。商売チガウネ。占イ師ノ良心。教エル、坊ッチヤン」
 シナ服の占い師は頭を寄せると志儀の耳元で奇妙な日本語で囁いた。
「クレグレモ用心スル、大切ネ。危険スグソコ。死相出テイル」
「!」
 志儀はポケットを探って1円札を取り出すと占い師に握らせた。
「警告、感謝するよ。で、でも、僕は大丈夫さ!」
「オオ! コンナニ?  過分ナ御心遣イ感謝ネ!」
 満面の笑顔で札を押し頂きながら占い師は片目を瞑って見せた。
「勿論、坊チャンハ大丈夫ヨ! コンナニ心優シイ坊チャン。私、間違エタ。死相、アチラ。アノ坊チャンネ!」
「え?」
 袖を振って占い師が指差した方角へ目をやると――
 なんと、そこに、ちょうどこちらへ全速力で戻って来る若葉の姿があった。
 (馬鹿な――)
「チワワ君だって? 冗談も休み休み言え!」
 志儀はカッとして占い師を突き飛ばした。
「縁起でもないや! だから、占いは嫌いなんだ! 心付けは渡した。さあ、とっとと消えちまえ! このホラ吹きめ! これ以上チワワ君からも巻き上げようったってそうはいくか!」
「お待たせ、ほら、これが人気の胡麻団子だよ、食べてみて!」
 駆け寄った若葉は湯気の立つ中華菓子を差し出しながら、
「アレ? どうしたの? 顔色が悪いけど? 志儀君、真っ青だよ?」
 志儀は乱暴に腕で顔を拭った。
「ふん、ちょっと……占い師に絡まれて腹を立てたのさ!」
誰だって(・・・・)?」
「シナ人の占い師だよ。派手な服を着た、辮髪(べんぱつ)の。ほら、君も見てたろ? 僕にシツコク纏わり付いてたのを」
「いや、そんな人、僕は見なかったけど?」
「何言ってるんだ! 君も見たはずだ! さっきまで僕の横にいた、僕が突き飛ばした奴だよ!」
「?」
 怪訝そうに自分を見つめる円らな瞳。
 志儀は口を閉ざした。胡麻団子を噛み千切る。
「いや、何でもない。気にしないでくれ」
 さっきのは幻影?
 あの毛利医院の特別病棟で目にした三宅さんと毛利さんのように、またしても、僕は幻を……白昼夢を見たのだろうか?
 「クソッ!」
 今夜の決戦を前に、平気な振りをしているけど、内心では僕もかなり緊張してるってことか?
 志儀は胴震いすると自分自身を叱咤した。
 しっかりしろ、志儀!
 こんなんじゃK2中の探偵失格だぞ!  

「大丈夫? 志儀君?」
 そんな志儀に心配そうに若葉が訊いた。未だボーイソプラノで通用する可憐な響き。
「なんなら、今夜、僕の家に泊まるかい?」
 素早く息を継いで、
「遠慮は要らないよ! と言うか、そうしてくれた方が僕は嬉しいんだけどな! いつかの夜みたいにさ?」
 ウットリと目を細めて若葉は言うのだ。
「あの日は楽しかったなあ!」
「僕もだよ、楽しかった! でも……」
 キッパリと頭を振る海府志儀(かいふしぎ)
「今夜は遠慮するよ。僕は行くところがある」
 
 よしんば、先刻の占い師が予言した如く、今夜が〈最後の夜〉になるのなら――

 いや、僕の人生で『この夜が最後の夜になる』と言われたら。
 その時は、未来永劫、いついかなる時でも、きっと、僕はそこに行く。
 僕が〝最期〟の夜を過ごすのはあそこ(・・・)だ。
 あそこを置いて他にはない。
 前回は、あんな冷たい態度だったけど、でも僕はわかっている。
 訪ねて行ったら、いつでも快く扉が開かれるあの場所――
 丘の上の洋館。流行らない探偵社。
 僕の探偵は必ずこう言って、笑って迎え入れてくれるはずだ。
 
 ―― 興梠探偵社へようこそ!



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