4、あなたの代わり【千歳】

文字数 3,271文字

「千歳ちゃんはさぁ、彼氏っていないわけ?」
「いない」
 答えると、里帆があきれた声を出した。
「じゃあ、好きな人は? あいつ見てると幸せー、とか。『ちょっといいかも』『あ、イケメン』ぐらいのやつとかさあ」
「興味がないの」
「けど、いっぱい告白されるでしょ?」
 優理が大きな目をまたたかせながら言う。ぱちぱちと音を立てそうな、長いまつげ。
「いっぱいじゃなくて、物好きなやつらがときどき来るていど」
「いーなぁー」
 香奈がため息をつく。いったい何が「いい」のかよくわからない。
「いいなあって言えば、優理は、いいなオブいいなだよね。悠一君がカレシなんだからさぁ」
「そうそう! 悠一君は瀬野君と張るバリイケメン。めちゃやさしいし、サッカーすごいって聞くし。」
 ――たしかに。
 私の目から見ても、悠一はイケメンだと思う。はっきりした顔立ちと、気持ちのいい性格。男子から絶大な人気を誇る優理とは、「美男美女カレカノ」と公認だ。
「私も悠一君のいるA組が良かったなあ。あ、そりゃあ優理の彼氏だってのはわかってるんだけどさ、目においしいじゃん?」
「うん。あたしも悠一と同じクラスがよかったな。いっしょに来ていっしょに帰ることはできるけど、ほとんどの時間が別々なのは、やっぱりさびしいもん」
「そうだ! ね、優理。授業中は悠一君の弟君でがまんしておくのはどう?」
 ――がまん?
 香奈が廊下側の席の最後列を指さした。
「一卵性の双子なんだよね? ってことはつまり、あいつ悠一君と顔いっしょじゃん?」
 薄暗い席で、ひとり黙々と昼食をとっているのは滝村悠二。滝村悠一の、双子の弟。
 彼は兄とはちがって、どちらかといえば目立たないタイプだ。物静かで、図書室で本を読んでいたり、宿題を片付けていたり。特別に成績順位が高いわけでもないけれど、読んでいる本はけっこう難しそうなものばかりだということを、図書室が好きで、そこで彼の姿をよく見かける私は知っている。
 私は悠一よりも滝村悠二に、勝手に親近感を抱いていた。
「そりゃあ悠一君と滝村君は双子かもしれないけどさあ、イメージちがいすぎるよ。暗くてキノコ生えそうじゃん。代わりになんかなんないって!」
 里帆が言ってのけた。ずきりと、胸が痛む。優理はあいまいに笑った。
 比べるほうがどうかしてる。
 双子だからって、滝村が悠一の代わりになるはずがない。
 ――万世が、幾世兄の代わりになれないのと同じように。
 里帆や香奈に悪気がないのはわかってる。それでも、お弁当がまずくなってしまったような気がして、ふたを閉じようかと思ったとき。教室の入口付近で黄色い声が上がった。
「……瀬野。何の用?」
「用がなくちゃ来ちゃだめかな?」
 そういうことは、あそこできゃあきゃあさけんでくれる子たちに言いなさい。
「だめというより迷惑なの」
 シッシッと手振りで出ていくようにうながす。
「いっしょにご飯どう?」
「終わったところ。ごちそうさま」
「千歳ちゃん、どこ行くの?」
 椅子を鳴らして席を立つと、優理がたずねてきた。
「図書室。今日、残って古典の宿題やるでしょ? 参考になりそうな本、見つけてくる」
「……ごめんね。あたし、バカだからいつも千歳ちゃんに教えてもらってばっかりで」
「そーゆーことは、言わないの」
 耳をたれた子犬のようにこちらを見上げてくる優理は、本当にかわいい。
「じゃあ私、ちょっと行ってくるね」
「僕もいっしょに行っていい?」
「よくない」
 早足に教室を出る。競歩のように足を動かして、廊下を突っ切る。瀬野が追ってくる気配はなかった。
 古典の資料を探しにいくだなんて、ただの口実。私は、一人になりたかった。
 ――幾世兄はもういない。幾世兄の代わりなんて、初めからいない。万世は幾世兄の代わりなんかじゃない。
 ぐるぐると頭の中で渦巻くこの事実を、もう一度、自分に言い聞かせてきちんと納得させるには、一人にならなくちゃいけなかった。
 だって私は、お通夜にもお葬式にも出ていない。幾世兄がいなくなったのは七年前、私がそれを知ったのは二年前。
 ……実感が、ないんだ。
 昼休みの図書室はすいている。私は古典書籍の棚に歩み寄って、源氏物語の現代語訳と参考書を数冊手にとった。分厚い本を積み上げて椅子に座り、机に突っ伏する。積み上げた本は読むためではなくて、目隠しだ。
 ひんやり冷たい木の感触。目を閉じると、幾世兄の笑顔が頭に浮かんだ。
『ちとせ、大好きだよ』
 私が小学校に上がったばかりのとき。夕日に照らされ、桜が赤いハートのように染まり舞い散る中で、幾世兄はまだ小さな手でぎゅっとしてくれて、そう言った。
『すごくすごく、ちとせのことが好き。大人になったらけっこんしよう?』
 顔を真っ赤にして、私は力いっぱいにうなずいたんだ。ませた子どもだって言われるかもしれないけれど、私だって、幾世兄のことが本当に大好きだった。
『じゃあ、約束のしるし。これ』
 言いながら幾世兄が取り出したのは、透明なプラスチックのカプセル。コンビニの入り口のところにある、ガチャガチャの景品が入っているそれだった。
『大人になったら、お母さんが持ってるような本物をちゃんと買うから。それまでは、これでがまんして』
 カプセルの中身はおもちゃの指輪。銀色にきちんとメッキされていて、真ん中には赤いビーズがついている。宝石にあこがれる、幼い女の子の心をそそるもの。
 幾世兄は私の手をとって、指にその指輪をそっとはめてくれた。ものすごくドキドキして、うれしすぎて涙が出た。
『約束のしるし』
『ぜったいだよ? ぜったい幾世お兄ちゃんのおよめさんにしてよ?』
『うん、ぜったいの約束』
 指輪をはめた私を見て、幾世兄は満足そうに微笑んだ。私が大好きな笑顔……今となっては、決して見られない笑顔。
 二年前、この約束は決して果たされることはないのだと知ってしまった。泣きくずれた私を、まだ六年生だった万世がなぐさめてくれた。三つも年下なのに、実の兄がいなくなってつらかっただろうに、万世はすでに乗りこえていた。
「ねえ、ちとせ? おれじゃあ、にーちゃんの代わりにはなれないの?」
 私が最後に会った幾世兄は、六年生だった。
 問いかけた万世も六年生で、とてもよく似た瞳で、似すぎた声で、私を「ちとせ」と呼んだ。
 ――それでも、万世は幾世兄の代わりじゃない。
 幾世兄は幾世兄なのだし、万世も同じ、万世というただひとりきりの人間なのだから。

「寝てるの?」
 予想もしなかった声が鼓膜を震わせて、私はものすごい勢いで顔を上げた。
「ああ。寝てたんじゃなくて、泣いてたんだ」
 私の目の前に立っていた男子は妙なところに納得して、私の顔を見下ろした。
「もうすぐ、午後の授業始まる。顔洗ってきたほうがいいよ」
 滝村悠二――双子の、弟のほう。彼は眼鏡の下、自分のほおを指さして、涙の跡がついてると指摘した。
「沖沢さん、何か言ってたよ。寝言? あ、寝てたんじゃなくて泣いてたんだから、泣き言なのかな? 『代わりになれるはずがない』って」
「え……」
 彼は言いながら、眼鏡の奥の目を細めた。
「当番とか代役とかじゃなかったなら、だれもだれかの代わりになんて、なれるはずないもんね」
「滝村、もしかして教室での、」
 聞いてた? と問うと、彼は小さく笑った。
「でかい声だったから聞こえてた。怒っちゃいないけど。おれが悠一の代わりにならないのは、あたりまえのことだし。おれは、おれだから」
「うん」
「ちゃんと顔、洗いなよ?」
 滝村には滝村で、悠一とはちがういいところがある。それは彼が滝村悠一ではなくて、滝村悠二だからだ。
 万世にも、幾世兄とはちがういいところがある。それは万世が幾世兄ではなく、万世であるからであって。
 ――だから……幾世兄。あなたの代わりは、この世に存在しないんだ。
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登場人物紹介

沖沢 千歳(おきさわ ちとせ)

高校2年。成績優秀。面倒見は良いが冷めている。大事なものが欠け落ちてしまってから世界の色彩が失われたと感じている。友人がいないわけではないが人とは距離を置き、女子高生らしいはなやかさとは無縁の日々。初恋を大切に抱え、想い続けている。

瀬野 譲(せの ゆずる)

高校2年。千歳に次いで学年2位の成績。顔が良い。儚げ系美少年と校内で有名人。微笑めば歓声が上がり、声を掛けられた女子からは悲鳴が上がる。しかし、千歳には好意を表し続けているが、のれんに腕押しで相手にされない。暗い過去を抱え続けている。

沖沢 万世(おきさわ かずせ)

中学2年。千歳の弟。千歳至上主義。さらさらの長い髪のために街中で女子に間違えられることもしばしば。大変なシスコンと悪友の栄介は評しているが、万世自身は千歳を姉だと思ったことは一度もなく、純粋に恋心を抱き続けている。

鷺野 鈴(さぎの すず)

万世と栄介が出会った、どこぞの学校の美術部員。大変なエリート校らしいが、本人はふわふわとしてとらえどころのない、幼くさえ見える少女。

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