第1話 亡霊の帰還

文字数 1,487文字

 今度の8月のミッションを終えれば、もう二度とこのタラップを上がることはない。彼にとって、最後のミッションになるはずだった。彼のコールサイン ”Ghost” (亡霊) とは似つかない、地表の天候も、その先の状況も、これ以上ないというコンディションに恵まれた。盛夏の只中であったが、打ち上げには何の支障もない。

 タラップに上がる直前、スタッフの配慮か、乗車シーケンス直前まで来てくれた妻と娘に別れを告げることができた。最初のミッションでは妻の胸の中で気持ちよく寝ていた娘も、涙を流しながら今度は自身の娘を抱えて彼を見送っている。彼はロケットのペイロードとして積み込まれた宇宙船に乗り込み、程なく地球から遠ざかっていった。

 彼は宇宙飛行士として長年働いてきた。彼の夢は、人類がまだ知らない星や生命体を発見することだった。しかし、その夢は叶わなかった。宇宙開発は予算不足や政治的な問題で停滞していた。彼のミッションも、単なるメンテナンスや観測の繰り返しだった。
 それでも彼は諦めなかった。彼は自分の能力や経験を活かして、新しいプロジェクトに参加した。それは、地球から遠く離れた小惑星帯で採掘や調査を行うというものだった。それが彼にとって最後のチャンスだと思った。

 結果としてミッションは成功した。彼は小惑星帯で新しい鉱物や微生物を発見した。それらは人類の科学や医学に大きな貢献をする可能性があった。彼は人生の中で最大の達成感に感激した。現役として最後のミッションまで齧りついて、ついに夢が叶ったと思った。

 しかし、帰還の途中で事故が起きた。小惑星帯から脱出する際に、隕石群に衝突したのだ。彼の宇宙船は炎上し、通信も途絶えた。地球から見ていた火球としてしか見えなかった。
 地表に落下した火球のいくつかは軍隊の総力を挙げて回収された。その大半はバラバラになった宇宙船の部品だったが、一部はいわゆる脱出ポッドだった。しかし、それらもうまく本来の機能を発揮できなかったようだ。中は凄惨を極めており、大気圏再突入時の圧縮熱で完全に焼失していた。かつて有人だったポッドは、全て炭化した何かが納まっているボールに過ぎなかった。

「死んだ」と報道された。嘘だと思った。

「死んだ」と信じられなかった。

「死んだ」と泣き崩れた。そんなはずはないと。

 1年後、ひとつの流星が観測された。当初、アステロイドベルトからはじき出された小さな小惑星が某国の砂漠地帯に ”衝突” すると思われていたため、世界の天文学愛好家から注目されていた。しかし、実際には地表付近で器用に減速し "着地" したことから、慌てて当局の専門機関が現地に回収に向かった。
 それは一隻の小さな脱出ポッドだった。ハッチの上では、奇跡的に生き延びていた彼が当局ヘリのカメラに向かって手を振っている

 ”回収” された彼は、早速当局の質問攻めに合いながら、船外活動にて船の復旧を試みた結果ひとり脱出が遅れたこと。その際、研究成果とついでに生存物資を大量にポッドに持ち込んだこと。帰還に向けた最良の再突入コースの手計算に時間を要したことを伝えた。

 まったく同じ話を強請る報道にも丁寧に答えながら、ようやく記者会見場を抜けて家族のもとにたどり着いた彼は、
 ただ。「ただいま」と言って笑顔で家族に抱きついた。
 胸の中で妻と娘は、
 ただ。「おかえり」と言って涙で返事した。

 娘は涙声で彼に訴えた。「なんでこんなに遅くなったの?心配していたのよ。」
 父はその髪を撫でながら、優しく答えた。「” Ghost” はお盆に帰ってくるものさ。」
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