ああ、かちわってやりてえ!

エピソード文字数 732文字

 ある老人が森のなかを散歩していると、木こりが斧を振り下ろすたびに大きな叫び声をあげた。
「ああ、かちわってやりてえ!」
 老人は思わずクスッと笑い、木こりのところへ近づいた。
「なぜ、斧を振り下ろすたんびに、『ああ、わってやりてえ!』と言っておるんじゃ?」
「あっ!」木こりはかっと眼を見開いて老人を睨みつけた。
「それを言うなら、わってやりてえじゃなく、きりたおしてやりてえと言うもんじゃろ――最近の若造どもは、言葉の使い方をまったく知らんようじゃって、ほっほっほっ」
 木こりは終始無言のままタオルで汗をぬぐった。
 老人は腰に両手をあてがいながら、この場を去った。
 木こりは切り株にどっかりと腰をおろした。
 遠ざかる老人の小さな背中をじっとみつめた。「――なんだ、あのクソ(じじ)いは?」

 しばらくの間、木こりは腕組みをしながら黙りこくった。
 蟋蟀(こおろぎ)の鳴き声がした。
 とつぜん一枚の葉っぱが宙を舞った。
「わかったぜ! あのクソ爺いは聞き違いをしやがったんだ――いわば空耳ってやつさ」
 木こりは胸ポケットから煙草をとりだした。
 煙草に火をつけた。
 煙が目にしみた。
 切りくずが日焼けした毛深い両腕に絡みついたままだ。
「おれは間違っちゃいねぇ」木こりはにやりと笑った。「ああ、かちわってやりてえ!」
「今晩、うちの浮気女房と娘と坊ずの頭を、一人残らず、この斧でかち割ってやる」
 木こりは目の前に飛んできたヤブ蚊を手で払いのけた。
 
 木こりはひと息ついた後、ふたたび斧を振り下ろした、つぎの瞬間、斧の刃がスポンッと抜けて高々と宙を舞い、落下してきた刃が彼自身の頭をかち割ってしまった……。


 
 

 



  
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