第2話 救われる

文字数 1,718文字

 ここには何もない。あるのは自分と暗闇だけ。人と話すどころかテレビや本すらない。そんな中で唯一、外界と接触でき人の温もりを感じられる時間は、階上の部屋で身体じゅうを触られている時だけだった。はじめの内はただひたすらに恐ろしく苦痛でしかなかった

だが、男が暴力をふるうような事はなく、「かわいい子だね、ぼくだけの君はとてもかわいい」と言いながら腕をさすったり抱きしめたり、自分の事をやさしく扱ってくれた。だから私も、依然として顔をマスクで覆われたままではあったが、ベッドの上で男と一緒に過ごす時間に愛着のようなものすら感じるようになっていった。

 そんな事を何度も繰り返す内に、私の身体は徐々に違う反応を示すようになっていった。それはまるで、私の中に、未知なる新しい感覚器官が生まれてくるかのようだった。 
 階上のベッドに寝かされるといつも、せわしない息づかいと共に、身体じゅうを男の舌が時にゆるく時につよく、吸いつきながら舐めまわしていく。それはマスクに覆われていない首筋から始まって胸の方に下りていき、ここに来たばかりの時とくらべ丸みをおび大きくやわらかくなってきた私の胸を、撫でたり揉んだりしながら存分に舐めまわし、ときおり乳首につよく吸いつく。
 普段から真っ暗な闇の中で過ごしている私は、視覚を補うために他の感覚が異常に発達でもしたせいなのか、身体の上をゆっくりとなぞるように這いまわる、まるでそれ自体が独立した生き物ででもあるかのような舌の、ぬめるような生暖かい感触に、飛び上がるほど敏感に反応した。そして私のやわらかい部分をしっとりと撫でまわす太い指が、なにかを確認するかのように徐々に奥へといざなわれていくと、私の身体はまるで私のものではなくなったかのように、勝手に大きく波打つように動きだす。
 すると何本かの指が抜かれてかわりにもっとずっと固くて太くて熱いものが私のなかに入り、さまざまな方向に突き上げられると、視界が閉ざされているのにも関わらず私は、まぶしい光に包まれていくような、あたまの芯が痺れるような激しい高揚感におそわれた。

 闇の中で研ぎ澄まされた私の鋭利な神経は、もたらされるものすべてを増幅しながらさらに上へ上へと昇りつめていき、私はやがて恍惚の果て、目がくらむようなむしろ神々しいとさえ思える、大きな光の渦の中へと我知らず流されていくのだった。

 もはや永遠に続くのかと思われた地下室での生活はしかし、ある日突然の終焉を迎えることとなった。

 私はいつも通り、女にマスクをかぶせられ階上へと連れられていった。ところがまわりが急に騒がしくなり、何人かの怒鳴り声や物が割れるような大きな音が聞こえてきた。私は何者かにグイと腕を引かれてマスクを脱がされた。私の目に、まるで太陽を間近で直視したかのような、突き刺さるほどのまぶしい光が飛び込んできた。同時に、たくさんの人間や物が出す雑多で狂暴な音が、耳をおおわんばかりに私に襲いかかる。私は目の前の狂乱に耐えられず、両手で固く顔をおおった。

 「もう大丈夫、大丈夫よジェシカ」

 私は見知らぬ女の人に抱きしめられた。香水の匂い……ママに会いたい。私は突然、たまらなくママに会いたくなって大声で泣き叫んだ。

「ママ! ママ! ママ! たすけてママ、私はここよ!」

 私がそんな大声を出すのは、ずいぶん久しぶりのことだった。暗闇の部屋に閉じ込められた当初は、助けを求めてあらんかぎりの大声を張り上げ、ドアや壁を、手から血がでるほど叩いて回った。しかしそれが何の意味もないことだと気づくと、すべてをあきらめ、自分の心からママの存在・元の生活の記憶をいっさい追い出していた。それは半ば無意識的に行われた。おそらく、自分自身の心を守るため、ある種の防御反応が働いたせいだろうと思う。いくら追い求めても手に入らないもののことを執拗に考えていたら、気がおかしくなってしまうだろうから。

「かわいそうに、ジェシカ。そうね、ママに会いたいわよね……かわいそうに……」

 女の人は、私のことをさらに強く抱きしめながら泣いていた。部屋の明るさに目が少し慣れてきてよく見ると、女の人は警察の服を着ていた。



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