第六章 体験飛行 -3-

文字数 5,110文字

 ヴァルトラントは素早く主計器盤に目を走らせ、機体や周囲の状況を確認した。
 未確認機のレーダー波を撹乱するチャフと、囮のデコイは放出済みだ。〈ティターニア〉と〈花組〉は、再集合の態勢に入ろうとしている。
 ヘッドアップディスプレイ(HUD)にも変化が現れていた。相手もこちらの動きを察知したらしく、一つだった光点が四つに増えている。どうやら密集したダイヤモンド隊形をとることによって一機であると見せかけ、こちらのレーダーを欺いていたのだろう。いまは二機ずつの戦闘編隊を組み、それぞれの定めた攻撃目標、つまりこちらに向かって進路を変えようとしていた。
 向こうがこちらに正対していないということは、いまの段階での攻撃はなさそうだ。しかし警報はまだ耳障りな音を立てている。
 他にもいるっ――!?
 レーダーには何も映っていない。だがヴァルトラントは直感的にそう思った。こちらの死角になるところから、攻撃しようとしてくる機があるのか。
 少年は手早くディスプレイ表示を乗務員看視モードに切り替え、エビネがきちんとエアマスクを着けているのを確認した。バイザーは上がったままだったが、眩しければ目を閉じるだろうと思い、声はかけなかった。
 唐突に機首を上げた。速度を高度に変えつつ上昇する。捻りを加えて横に逸れた直後、主計器盤のモニタが銃弾の通過を告げた。もし逸れていなければ、被弾していたことになる。
 後ろから一機迫ってきていた。思った以上に距離が近い。恐らくステルスモードで低空から接近し、急速上昇してきたのだろう。先の四機は、こちらの注意をそらすための陽動部隊だったのだ。
 そして、迫りくる戦闘機の優れた隠密性、チャフにも惑わされず照準を維持できるレーダー性能に、ヴァルトラントは心当たりがあった。というより、相手の正体は初めから判っていた。ただ、なぜいきなり攻撃してくるのかが解からなかった。
 ヴァルトラントは機体を適当なところで反転させ、今度は急降下を始めた。すでに肉眼で見えるところまで相手は来ている。機影はどんどん大きくなり、機種が判別できるまでになった。
「やっぱりね」
 ヴァルトラントは溜息混じりに独りごちた。
 向かってくる機体は、〈ガイーヌ〉の次世代機である最新型の〈アイシャ〉。そしてその機を採用し、〈機構軍〉の防衛レーダーに探知されずにこの演習空域に入ることができるのは――。
「准尉、あれは〈菩提樹の森(リンデンヴァルト)〉の部隊だよ」
 少年は、後部座席で情けない悲鳴を上げている乗客に説明した。理解できたかどうかは疑問だが。
 カリスト東部方面防衛航空隊に所属する〈菩提樹の森(リンデンヴァルト)〉は、〈森の精(ヴァルトガイスト)〉に一番近い航空隊基地である。演習空域を一部共有しており、合同演習を行うこともしばしばだ。そのため隊員同士の交流も深い。まあ、早い話が〈森の精(ヴァルトガイスト)〉の「お隣さん」で、「よきライバル」という関係であった。
 しかしよく合同演習を行うといっても、今日はそのような予定はなかったはずだ。ヴァルトラントが聞かされた訓練計画では、本日この時間この共有空域は、〈森の精(ヴァルトガイスト)〉だけが使用することになっていた。
 確かにたまたま出会った時など、即興で遭遇戦を想定した模擬戦を行うこともある。しかし今日は「客」を積んでの飛行だと、飛行計画書(ノータム)に記してあった。それを向こうが知らないはずはない。
 なのに無断で空域に侵入し、あまつさえ攻撃までしてくるとは、どういうつもりなのか。
 ヴァルトラントは無作法な相手に憤りを感じた。
 〈パック〉は上昇してくる〈菩提樹の森(リンデンヴァルト)〉機に向かって突進する。螺旋を描くバレル・ロールを行い、狙いを定められないようにした。機体の下面方向に大きくGがかかる。エビネが何やら叫んでいるが、構ってはいられなかった。とにかく向こうの真意を確かめたかった。
 手が届きそうなほど、相手の機に接近する。あわやぶつかる――というところで、両機はわずかに進路を変えた。ギリギリのところですれ違う。キャノピー越しにパイロットの表情まで確認できたほどだ。
 相手はこちらを見ていた。バイザーを下ろしていないため、暗褐色の瞳がこちらの動きを追っているのが判る。そしてヴァルトラントは、その瞳の持ち主をよく知っていた。
「アラム!」
 ヴァルトラントは同い年になる友人の名を叫んだ。通信機はオフにしてあるので聞こえるはずはない。しかしアラムの切れ長の目が、三日月型に細められた。
 一瞬、からかわれているのかとヴァルトラントは思った。マナー違反ではあるが、〈菩提樹の森(リンデンヴァルト)〉の連中は「客」のことを知ってて、わざとちょっかいをかけてきたのかも知れない。連中にしてみれば軽い余興のつもりなのだろう。しかし、不意打ちを食らわされたこっちは堪ったもんではない。
「何すんだよっ! ノータムぐらい見ろっ。こっちは『客』積んでんだから、今日は遊べないの判ってんだろっ」
 ヴァルトラントは回線を開いてライバルに苦情を述べた。間を置かず、アラムの返答があった。
「悪いな。そういう『段取り』なんだよ。というわけで、おまえを墜とす!」
「はいぃっ!?」
 ヴァルトラントは素っ頓狂な声をあげた。話がさっぱり理解(わか)らない。
「ちょ、待てっ。なんでっ!?」
 しかしアラムの応えはなかった。代わりに彼の機体である〈アインホルン〉がループを描いて反転してくる。いったん止んだ警報が、再び騒ぎたてた。
 撃たれるっ!
 一瞬対応が遅れた〈パック〉は、完全に後ろをとられてしまった。
 もちろん同じ〈機構軍〉の部隊だ。実際にミサイルや機銃の掃射などを行うわけではない。「撃たれた」といっても、コンピュータ上で「撃墜」と記録されるだけのことだ。
 しかしいくらシミュレーションとはいえ、「撃墜される」ことが戦闘機乗り(フリーガー)にとって不名誉なことに変わりはない。そしてヴァルトラントも、フリーガーの端くれだった。
 ヴァルトラントは火炎(フレア)を射出して「放たれたはず」のミサイルの(シーカー)をごまかすと、反撃するため操縦桿を引いた。急激な方向転換に大きくGがかかる。全身の骨がきしみ、血液が上半身から引いてゆく。このままでは貧血状態になって、視力や意識を失うだろう。
 だが闘争心を刺激されたヴァルトラントの頭は、朦朧とするどころか却って冴えわたっていた。
 「敵」を倒すためにはどうすればいいのか。そのことだけを考えている。エビネの存在など、すでに忘却の彼方だった。
 しかし。
「ヴ……ヴァル……ティ」
「――准尉っ!」
 苦しそうに吐き出すエビネの呼びかけに、熱くなりかけていた少年は我に返った。
 まず優先すべきは、エビネを無事地上に降ろすこと。
 そう考えて、ヴァルトラントはやっと自分の置かれている立場に気がついた。
「そーいうことかよっ!」
 これは「課題」だったのだ。大方、「突発的事態に遭遇した時、〈WW(ヴェーヴェー)〉はどう対処するか」というデータでもとるつもりなのだろう。データの正確さを帰すためには、ヴァルトラントを出し抜く必要があった。だから、〈菩提樹の森(リンデンヴァルト)〉とのあいだで行われていたはずのブリーフィングも、彼だけ外されたのだ。
 ヴァルトラントは准尉を気にしつつも、そのまま機体を上昇させた。〈アインホルン〉に向かって威嚇射撃してやり過ごす。そのままの高度で水平飛行に移ると、今度は反転追撃せずに全速力で戦域からの離脱を計った。「乗客の無事」を最優先させるためだ。それが「連中」の求めている答えのはずだった。
 すかさず攻撃役のアラム機が進路を変える。
 〈パック〉は〈アインホルン〉が回頭し終わるまでの時間差を活かし、距離を稼ごうとした。しかし、こちらの機はまだ現役とはいえ開発されて一〇年以上になる代物だ。片や向こうは最新型。エンジンの性能も格段に違う。
 アラム機は推力の大きさにモノを言わせて、じりじりと距離を詰めてくる。射程内に捉えられるのも時間の問題だ。
 ヴァルトラントは、アダルか〈花組〉の誰かが援護についてくれることを期待した。しかし彼らは「彼らの演習」を行っているらしく、二機で編成された戦闘隊形をとって、陽動部隊となっていた四機と応戦中だった。いまのところ、こちらの援護にまわる余裕はなさそうだ。いや、まわる気などないかもしれない。
 ということは、自力で何とかしろということか。とにかくこの空域を抜け、〈森の精(ヴァルトガイスト)〉の近くまで戻ることができれば、自分の「課題」はクリアのはずだ。しかしアラムの執拗な追撃を、無茶な機動をせずにどこまで凌げるだろうか。
 ありがたいことに、相手は百戦練磨の連中ではなく、自分と五十歩百歩という腕前のアラムだ。しかも彼は慎重過ぎるところがあり、確実に仕留められると思った時しか撃たない癖があった。その辺りをうまく利用できれば、逃げ切れる確率も上がるはずだ。
 〈パック〉はひっきりなしに方向転換を行って、〈アインホルン〉の照準から逃れた。
 だがそれにも限度があった。激しい機動で生じるGは、幾度となく経験しているヴァルトラントでさえ辛いものだ。ましてや初めて体験するエビネにとっては、かなり堪えるだろう。
「うう……っ」
 圧しつぶされそうな重圧に必死で耐えている准尉の呻き声が、ヴァルトラントを焦らせた。そろそろ腹を決めねばならないと感じた。
 スピードでは勝ち目はない。それに加えて、砲撃を避けて蛇行を繰り返すばかりでは、一向に前へは進めない。しかも相手はこちらの目的地を知っているため、当然進路を塞いでくる。
 まさに進退谷まる、といった状態だった。
「『無事に』ということは、『生きて』ということだよな。だったら――」
 少年はひとつ深呼吸して精神統一する。
 敵の行動を先読みして、相手の裏をかくことができれば優位に立てる。
 〈パック〉は無駄な加速を止めて、機体のスピードを落とした。バンクし、高度を下げて誘い込む。時折、速まってくスピードを殺すために、水平ロールを加える。〈アインホルン〉の速度を逆手にとって、オーバーシュート――追い越させた。
 が、それは相手も承知だ。そう易々と後ろをとらせてくれるわけはなく、同じように減速して、逆にこちらをオーバーシュートするように仕向けてくる。
 両機は垂直ローリング・シザースと呼ばれる、絡み合う螺旋を描きながら高度を下げていく。
「くそーっ!」
 急角度で降下していた〈パック〉は、姿勢を緩い上昇に転じた。〈アインホルン〉に対して、無防備に背中を見せた格好になる。すかさずアラムは撃ってくる。ヴァルトラントはさらに機を引き起こした。
 〈アインホルン〉は、こちらより高い位置につこうと急上昇する。速度を位置エネルギーに変換させて上昇とともに速度をおとし、方向舵(ラダー)を使って頂上で機体をすべらせ、反転。〈パック〉の後方へと機首を向けた。
 ヴァルトラントは〈アインホルン〉が下降してくるのを確認して、自機を失速反転させた。機体の進行方向が一八〇度変わる。降下による加速を咄嗟に抑えられなかった〈アインホルン〉は、〈パック〉の鼻先でオーバーシュートした。〈パック〉はすぐさま追いかけ、その後ろにピタリとついた。
 少年は、操縦桿についている機銃用トリガーの感触を確かめた。HUDに映し出された〈アインホルン〉の姿を見据える。この距離、このタイミングで外すことはない。ヴァルトラントは勝利を疑わなかった。
 しかしトリガーを絞り切る直前、突然視界が白濁した。
「な――!?」
 一瞬のできごとだったが、少年の手元を狂わせるには充分効果があった。銃弾は虚しく空を切った。
 そして青空が戻ってきた時には、〈アインホルン〉の姿は消えていた。
 ヴァルトラントは反射的に機体を傾け旋回した。首を巡らし、〈アインホルン〉の機影を求めた。だがどこにも見当たらない。
「後ろかっ」
 そう気づいた時には手遅れだった。
 警告音が鳴る。モニタが機銃の着弾を表示した。その直後、ヴァルトラントはアラート音の変化で、ミサイルの到達を知った。
「はい、そこまで!」
 アダルの淡々とした声が、愕然とする少年の耳に届いた。
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登場人物紹介

◆《グレムリン》1号・ヴァルトラント。とても10歳とは思えない言動をする小生意気なガキ。
◆彼にはいろいろと「事情」があったりするのだが、それはお話が進むにつれて明かされる……はず。

◆《グレムリン》2号・ミルフィーユ。ヴァルトラントに振り回されつつも、絶妙なコンビネーションで《森の精》を引っ掻き回している。ヴァルトラントより5ヶ月遅生まれだが、成績は上らしい。理系には強い。

◆グレパパ1号・とーちゃんこと、ウィルドレイク・ヴィンツブラウト大佐。本来、本能で行動するタイプなので、ゴチャゴチャ考えるのは苦手。事務仕事は、ほとんど副官が片付けている。
◆ちなみに読者の間では、グレキャラ随一の人気を誇る。《グレムリン》とエビネの立場は一体……。

◆《グレムリン》のいたずらによって《森の精》に赴任することになった気の毒な新米士官、エビネ・カゲキヨ准尉。
◆実は、彼は意外な特技――というか資格をもっていたりする。

◆《森の精》基地副司令官アダルベルト・クリストッフェル少佐。機体を精確に飛ばす技術ならヴィンツブラウト大佐を上回る。
◆自称《グレムリン》擁護派筆頭で、大佐たちが《グレムリン》たちのしでかすことに頭を悩ませる中、少年たちのいたずらを純粋に楽しんでいる。

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