第6話 ルイカと薬草取りの少女⑥

文字数 3,282文字

 ルイカと言う行商人と名乗る小柄な少女が立ち去った後、リンゼンは自身が探求する賢者の石について思索(しさく)にふけていた。

「リンゼンよ、もう一度だ、もう一度導き出すのだ……」

 リンゼンが錬金術師として目指す最終到達点は、他の錬金術師達が追い求めている物と同じ等価交換の原則の否定である。

 この世界の物質変換魔法では、既に卑金属(ひきんぞく)から金への物質変換は成功しているのだが、等価交換の原則に則っている限り、同じ対価の物質交換しか錬金することができない。

 これは、その金を作り出すには、その金を購入することができる卑金属(ひきんぞく)を対価として用意しなければならないことを意味し、それは(すなわ)ち錬金術が無駄であることと同義なのだ。

 そこで、今の時代を生きる錬金術師達が己の人生を賭けて作り出そうとしているのが、賢者の石と呼ばれる原則を否定し()るアーティファクトなのである。

「等価交換の原則とは即ち理であり、理とは自然律であり……」

 リンゼンはここが亡国の王が建造した兵営跡(へいえいあと)地の遺跡であることも忘れ、携帯している石灰岩を加工して作られたペンを手に、床をノート変わりにして数式を書き続ける。

「ルイカ、あの人大人しく待ってるみたいだよ」

 モップはそう告げると、ルイカの右腕に巻き付き、ガーネットがちりばめられたブレスレットへと変化する。

「この気分であの人相手にするのか……」

 ルイカは傷心冷めやらぬまま、あの錬金術師の相手をすると思うとやるせない気持ちで胸焼けを起こしそうになる。

「そうだっ。回収してきた素材を餌にすれば、何とかなるかも知れない」

 全く根拠のない持論ではあるが、ルイカの思惑は驚くことに絶大な効果をもたらすのだった……


 ルイカが兵営跡(へいえいあと)地の一角の建物に戻ると、リンゼンはブツブツと独り言を呟きながら床一面に謎の数式を書き続けている最中だった。

「うげっ、これはいきなり強烈だなあ」

 ルイカが施した魔物除けの魔方陣は建物の天井に描かれているため支障はないのだが、何世紀か経って、この地を訪れた冒険者がこの落書きを発見したらと思うと背筋が凍りつきそうだ。

「リンゼン? 戻ったよ」

 ルイカは堂々と落書きの上を歩いてリンゼンの元まで歩み寄ると声を掛ける。

「オルゴエレザムエルの方程原理を……リエンザックの第十二理論を応用して……」

 リンゼンは珍紛漢紛(ちんぷんかんぷん)な言語の世界に旅立っていて、ルイカの気配に全く気付いていない。

「リンゼン。リンゼンったら」

 ルイカはリンゼンの肩に手を置いて揺すろうとするが、見かけによらずしっかりとしていてビクともしない。

「……そうだっ」

 ルイカは、電撃魔法でリンゼンの()やかな髪をチリヂリにしてアフロヘアーにしてやりたい衝撃を必死に抑えると、先ほど考えた餌で釣る作戦を思い出すのだった。

「あっれー、手が滑っちゃった」

 ルイカはワイバーンの巣穴で回収した貴重そうな魔石を一つ手に取ると、わざとらしくリンゼンの目の前に落として見せる。

「……っ!?」

 するとリンゼンは、目にも留まらぬ早業(はやわざ)で落ちてくる魔石を捕まえると、何事もなかったように鑑定を始めるのだった。

「うむ、これは火吐鳥の魔石だな。耐炎効果を付与するのに使える」

 リンゼンの人間離れした行動にルイカは珍しく驚きを覚え、それが楽しかったのかルイカは次々と回収した素材を落としていく。

「うむ、ルイカ君……私としては、そろそろお開きにしたいのだが?」

 リンゼンは最後に掴み取った素材を鑑定し終えて横に積み上げると、ルイカを見上げて語り掛ける。

「あら? 気付いてたのね」

 ルイカは最後にもう一度素材を落とすと、餌やりに執着する素振りもみせず、その手を止めるのだった。

「……で、ルイカ君。君の目的は達成することができたのかね?」

 ルイカが出発してからの時間を考慮すれば途中で逃げ帰ってきたと考えるのが順当ではあるが、先ほどルイカが落とした魔石や素材を鑑定した限りでは、それはないだろうとリンゼンは結論付けていた。

勿論(もちろん)よ。ほらこの通り」

 ルイカは腰に巻いた鞄の中から竜茸(りゅうたけ)を数個取り出すと、広げた両手の上に乗せてリンゼンに見せる。

「うむ、これは竜茸(りゅうたけ)だな。ルイカ君、君は悪素(あくそ)でも中和しようとしているのかね?」

 リンゼンはそう言いながら悪素病(あくそびょう)の症状を探してルイカの露出している肌を眼光炯々(がんこうけいけい)な表情で観察する。 

「え、えーっ、いや、私じゃないって」

 ルイカは年甲斐もなく羞恥心(しゅうちしん)を感じ、露出している部分を隠しながらリンゼンの視界から逃げるように身をよじらせるのだった。

「うむ、冗談だ……で、ルイカ君、君に一つ尋ねたいのだが、その竜茸を必要としている人が居るのかね?」

 それはルイカがここ数十年で一番恐怖を感じた冗談だった。
 ルイカは何時(いつ)ものようにお茶を濁してやり過ごそうとも考えたのだが、リンゼンの三割増しした真剣な眼差しに負けて、竜茸(りゅうたけ)を採取しに来た経緯(けいい)を説明する。

「うむ、やはりそうか……ルイカ君。もし君が許すのなら私も同行したいのだが、どうかね?」

 てっきり錬金術とは関係ないと、話だけ聞いて満足すると思っていたルイカは、リンゼンの意外な申し出に戸惑う。

 許されるなら、ルイカはリンゼンとさっさとお別れしてすっきりしたい気分なのだが、リンゼンを送って行くと約束した一番近い安全な場所はアッカの村であり、ここでお断りをしてストー……こっそり後を付けられるのも気分が悪い。

「仕方ないなあ、でもあくまで同行を許可するだけだからね。それと……一つだけ条件」

 ルイカは馬車の中から水の入ったバケツと馬の(たてがみ)で作られたモップを取り出してリンゼンに手渡すと、床一面に書かれた落書きを綺麗に消すように言い付けるのだった…… 


 ルイカによる厳しい審査をクリアーしたリンゼンは日頃の不摂生が(たた)ってか、モップを杖にして荒々しく息をする。

「さて、掃除も終わったしちゃちゃっと薬を調合して戻りますか」

 何一つ手伝わなかったルイカは軽く数回手を(はた)くと、馬車の中から調合道具を一式取り出す。

「おや? ルイカ君、君は行商人なのに薬師(くすし)の真似事もできるのかね?」

 調合道具が発する微かな香りに鼻を鳴らしたリンゼンが、興味深くルイカに尋ねる。

「長いこと行商やってると、色々と知識だけは蓄積されるんだよね」

 ルイカはミミスに聞かれた時と同じように返答する。

「それはつまり……そう、ルイカ君。君は本格的な薬の調合ができないという意味で捉えて構わないのかね?」

 確かにルイカが調合する薬は混ぜ物調合と呼ばれるものであり、抽出(ちゅうしゅつ)作業などを伴う本格的な薬の調合は行ったことがない。

「そうね。知識はあるけど、実際にやれるかどうかは分からないわ」

 そもそもルイカは不老不死なので、例え四肢(しし)がもげたとしても死ぬことはないし、自然治癒の力でその内新しく再生するので必要がない。

「やはりそうか・・・・・ならば話は早い。ルイカ君、君が行おうとしている薬の調合を私に任せ(たま)え」

 リンゼンは、ルイカが馬車から運び出した調合道具から香るはずのあの薬剤の匂いがしなかったことに、ある仮説を立てていたのである。

「えーっ、リンゼンが調合するの……」

 ルイカは今日一番の猜疑心(さいぎしん)に満ち溢れた表情を露骨に見せる。

「ハッ、それは面白い顔芸だな。まあ騙されたと思って私が今から伝える素材を用意してみるといい」

 リンゼンはそう言うと、それほど珍しくもない素材をルイカに要求するのだった。

「それでは始めるとしよう」

 リンゼンはルイカから受け取った素材を空中に浮かべると、不純物が入り込まないよう空中に無塵(むじん)の空間を生成し錬金術を発動させる。

 リンゼンの組み込んだ術式に従って、無塵(むじん)の空間の中に生を受けたかのように素材達が動き回り始めると、ある物は熱され、またある物は分解され、赤い糸で結ばれているかのように引き寄せられ混ざり合っていく。

「うむ、これで完成だ」

 全ての行程が終わり、無塵(むじん)の空間の中に完成体として浮かぶその液体を数本の小瓶に分け入れて蓋をすると、リンゼンは出来上がった物を見て満足そうに頷き、調合薬の完成を宣言するのだった……
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