最終話 『偶愛』

文字数 1,990文字

 次の日、祐典は、ありもしない出張の代わりに浅草演芸ホールで寄席を観て、その後、上野の東京国立博物館に行き、午後3時発の新幹線で帰路についた。
 新幹線に乗るまで好子から連絡はなかった。きっと観劇で友達と一緒にいるから連絡できないのだろうと思い、駅内でビールとシウマイ弁当を買って新幹線に乗り込んだ。
 新幹線に乗って1時間経った頃、好子からラインが入った。

『もう新幹線に乗ったのかな。仕事の視察、無事終わりましたか? 私は今、舞台を観終わって家に着いてまったりしているところです。昨日はありがとう。今日になって思い出すと、何だか夢みたいなひと時でした。祐くんはどうでしたか? 実は正直言うと、私がおばさんになりすぎてがっかりさせないか、会うまで、いえ今もだけど不安でした。祐くんは白髪があるだけで昔と全然変わっていなかった。話し方も、話している時、時折目線をはずす癖も(笑)。そして、言いたいことをまわりくどく言ったり言わなかったり。目をつぶると、昨日言っていた自動販売機で、初めて祐くんと話した時のことを思い出します。あの時ジュースを買わなかったら、きっと祐くんと今こうして話すこともなかった。高3になる前のお別れの手紙にも書いたと思うけど、あの時の二人の出会いを「偶愛」と書いて「めぐりあい」と勝手に名付けたんだ。愛もわからなかったのにね(笑)。出会うまでの人生より、出会ってからの人生の方が長くなっちゃったね。本当にいろんなことがあった。でも、こうしてふとした瞬間、人生の波が重なって会いたい人と会えるなんて感動。あの頃にはわからなかった人生の味わいをしみじみ感じてる。昨日お会計の時、お返しはお願いするからと言ったでしょう。祐くんに買って欲しいものがあるんだ。それはね、昔のカセットテープが聴けるテープレコーダー。お別れの手紙を送ったあと、祐くんが自宅に届けてくれた、さだまさしの「つゆのあとさき」が入っているカセットテープ。あのテープ、今でも持っているの。ずっと聴いてたんだ、いろいろとへこんだ時。でもテープレコーダーが壊れてしまって聴けなくなって……。ユーチューブで聴けるけど、あのテープの音源じゃないとだめなの。魔法がかからない。元気が出る、暖かな気持ちになれる、自分にも素敵な青春があったと思える祐くんの魔法が。ずいぶん長文の書き込みになっちゃった。昔は手紙で一生懸命気持ちを綴ってたのにね。私は私なりに人生の後半を過ごします。祐くんもきっと祐くんのように生きていくはず。遠くから心から応援しています。どうか身体には本当に気をつけて。会ってくれてありがとう。スーより』

 不覚にも新幹線の席で泣いてしまった。
 こんな思いのこもったラブレターのようなラインの書き込みに、とても返信ができそうになかった。好子は高校の時もそうだった。相手の気持ちを先取りして、別れの手紙も自分からタイミングをとらえて送って、そして黙ってピリオドを打った。
 届いた最後の手紙のことは今でもはっきりと覚えている。俺が好きだったウサギの絵の便せんに、好子しか書けないような丸い字で書いていた。
「土曜に降る雨は別れの日の夜にさみしすぎて許せない……。明日はきっと晴れるだろうから、エプロンかけて部屋を掃除してクッションをベランダに干そう。明日はきっと晴れる。必ず晴れる」
 手紙の最後だって覚えている。
「祐くんは、二人ともまだ好きなのに、なぜ悲しく別れるんだときっと思うでしょう。でも、めぐりあいがすばらしかったから、別れはきっとその分悲しいんだよ。二人の明日のためにお別れしようね」と書いていた。
 好子が言っている「偶愛」は「めぐりあい」とふりがながふられて、手紙の隅に丸くない字で添えられるように書かれていた。
 
 祐典は、いつの間にか思い出に浸るだけでなく、これからの自分を考えていた。
 好子は今も変わらず明日を見ている。東京で一人暮らして、結婚して、別れて、ふるさとに背を向けて、人生の後半を歩もうとしている。俺も不器用ながら俺のように生きていかないといけない。今回の東京の一夜は、好子がかけてくれた魔法の一夜だ。
 好子のラインにあった、さだまさしの「つゆのあとさき」の歌詞の最後が頭の中でこだました。高校2年生の5月から3月までの宝物のような日々が、頭の中でアルバムをめくるようにさだまさしの歌を背景によみがえってきた。
   《めぐり逢う時は花びらの中 ほかの誰よりもきれいだったよ
     別れ行く時も花びらの中 君は最後までやさしかった》

 ――広島に帰ったら、カセットテープが聴けるレコーダーを買って送ろう。このラインの返信の代わりに手書きの手紙を添えて。
 ――スー、いつかまた会える日を楽しみに、俺も俺なりに人生の後半を彩ってみるよ。

 祐典は、誰にもわからないよう涙をぬぐって決心した。
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