第47話 両親の今後
文字数 890文字
この先どうしたらいいのかわかりません。私のストレスは溜まる一方です。
今日は父の病院に付き添った。昨夜の寒気が、今朝は雪雲に変わり、病院へ行く道のりは吹雪の中にあった。私は凍結した道を走るのが怖い。だから両親と同居する義妹に運転してもらった。私が頼んだ。父は車に乗るだけ。もちろん乗降のときは義妹に礼を言っていた。当たり前だ。だが、直接義妹に
「車を出してくれないか」
と頼むことができない。もう30年以上も同居しているのに……
私の実家は両親が建てた物で、弟の結婚と同時に二世帯同居になった。と言っても結婚当初は嫁と姑が1つの台所を使って別々の食事を作っていた。最初から同じ食卓についていない。そのうち台所でのやり取りが上手くいかなくなり、弟夫婦は自分たちの居場所である2階に台所を作った。資金は自分たちで出したのだろう。この出来事を境に両親と義妹の間に溝が出来た。
お互いが嫌っている。私にはそう見える。深い溝。どちらも埋めてこようとしなかった。そのツケが高齢の両親に重くのしかかっている。どちらも歩行困難になりつつある。車の免許は数年前に返納させたので、自力で買物に行けない。週末、弟が父を車に乗せ買い出しに。それ以外の用事は私が実家に帰ったときにまとめて処理することが多い。
不自由な身体になりつつある両親は義妹に助けてもらうことなく、炊事や洗濯をしている。主に動ける父の仕事。やり方が雑だと母が私に愚痴をこぼす。父はもうすぐ89歳だ。まともに出来なくて当たり前だと思うが、母には通用しない。父の居ない所で愚痴を言い続ける。
「そんなに大変なら、Aさん(義妹)に頼んだら」
私は数年前から言い続ける。何度か義妹に断られたらしく
「もう怖くて言えない」
と母は弱気になる。日常生活のアレコレは、私には解決出来ないことが多い。ましてや生活に踏み込むことなど出来ない。それでも以前は解決策も提案したが、歩み寄りはなかった。現実は想像以上に厳しい。今後の介護生活が私には想像できない。
まさか自分の親がこんなにも頑なになるとは思ってもいませんでした。頼みの綱である弟に最後の希望を託します。
今日は父の病院に付き添った。昨夜の寒気が、今朝は雪雲に変わり、病院へ行く道のりは吹雪の中にあった。私は凍結した道を走るのが怖い。だから両親と同居する義妹に運転してもらった。私が頼んだ。父は車に乗るだけ。もちろん乗降のときは義妹に礼を言っていた。当たり前だ。だが、直接義妹に
「車を出してくれないか」
と頼むことができない。もう30年以上も同居しているのに……
私の実家は両親が建てた物で、弟の結婚と同時に二世帯同居になった。と言っても結婚当初は嫁と姑が1つの台所を使って別々の食事を作っていた。最初から同じ食卓についていない。そのうち台所でのやり取りが上手くいかなくなり、弟夫婦は自分たちの居場所である2階に台所を作った。資金は自分たちで出したのだろう。この出来事を境に両親と義妹の間に溝が出来た。
お互いが嫌っている。私にはそう見える。深い溝。どちらも埋めてこようとしなかった。そのツケが高齢の両親に重くのしかかっている。どちらも歩行困難になりつつある。車の免許は数年前に返納させたので、自力で買物に行けない。週末、弟が父を車に乗せ買い出しに。それ以外の用事は私が実家に帰ったときにまとめて処理することが多い。
不自由な身体になりつつある両親は義妹に助けてもらうことなく、炊事や洗濯をしている。主に動ける父の仕事。やり方が雑だと母が私に愚痴をこぼす。父はもうすぐ89歳だ。まともに出来なくて当たり前だと思うが、母には通用しない。父の居ない所で愚痴を言い続ける。
「そんなに大変なら、Aさん(義妹)に頼んだら」
私は数年前から言い続ける。何度か義妹に断られたらしく
「もう怖くて言えない」
と母は弱気になる。日常生活のアレコレは、私には解決出来ないことが多い。ましてや生活に踏み込むことなど出来ない。それでも以前は解決策も提案したが、歩み寄りはなかった。現実は想像以上に厳しい。今後の介護生活が私には想像できない。
まさか自分の親がこんなにも頑なになるとは思ってもいませんでした。頼みの綱である弟に最後の希望を託します。