act.07-01 「あっち」と「こっち」

文字数 4,178文字

「どう? これが七尾海斗。ソックリでしょ? 自分そのものでしょ?」

 唖然とした。

 目の前の液晶モニターに映し出されたのは、「俺」だった。でも、こんな写真を撮られた覚えはない。CGか何かで加工したようにも見えない。だから、これは俺じゃない。

「なんすか、これ」

 顔はもちろん、癖っ毛が飛び跳ねて落ち着かないから中途半端に伸ばす応急処置で押さえた髪型も俺と同じ。誕生日も同じ。住所も同じ。しかも皇陵の二年A組で、言われたくないけど眠そうな目をしていて、両親もライプツィヒに長期滞在中――。

 つまり、まるで俺の分身。それが、七尾海斗だった。

 これがドッペルゲンガーだったら、間違いなく俺が死んじゃうぐらいに似ていた。

「走野。ちょっと混乱すると思うけど、君は

の世界から

の世界にトランジションしてきちゃったんだ。日本語でいえば『転移』ね。何もかもがまったく同じで、まるで鏡に写ったみたいな別世界に飛び込んできちゃったの。街の様子も、住んでる人も同じなんだけど、ここは君が今までいたところとは別世界なんだよ」

 小学生を諭すような声色(トーン)で、さっきギター男を仕留めたゴーグル女性が言った。今は、白くて太いフレームに薄茶色のレンズを入れた、スポーツタイプの眼鏡にかけかえている。

 あっちとこっち?
 トランジション?
 鏡に写った別世界?

 日本語はフツーに通じてる。でも、意味がさっぱりわからない。

 ジェーンが言っていた「本部」は、大通りから裏通りに入って、さらに入り組んだ細い道に面した区画にあるビルだった。周囲には高級そうなマンションやオフィスビルっぽい大きな建物がいくつも並んでるのに、人通りも車通りも少ない。着いたときに場所を尋ねたら、ジェーンは麹町(こうじまち)だと答えた。

 それからジェーンは俺を小さな部屋に通して、一眼レフカメラで何枚も写真を撮った。「犯罪者扱いするわけじゃないからね……」と言いながら顔や全身を撮影した後で、タブレットみたいな機械で両手の指紋と掌紋を写し取り、最後には顔の前に綿棒を差し出した。

「DNAの採取。指紋と一緒に、今後いろいろと必要になるから」

 口の中に突っ込んで、ほっぺたの裏側の粘膜をこする。そうして先端が濡れた綿棒をプラスチックの容器にしまうとジェーンはどこかに行ってしまい、交代するようにしてやってきたのが白縁眼鏡の女性だった。

 ビルは十階建てぐらいで、ワンフロアもかなり広い。なんの変哲もないビルに見えたのにセキュリティーがやたらと厳重で、地下駐車場から室内に入る隠し扉みたいなのを開けるにも指紋認証が必要だった。内部には曲がりくねった迷路みたいな廊下がいくつもあり、今は立派な椅子が左右に五脚ずつ並んだ細長いテーブルがある広い部屋にいる。たぶん五階。何かの会議室のようで、それぞれの席には液晶モニターが並んでいた。

「ここはカウンター・ディザスター・ユニット。略してCDUという国家機関の本部なの。れっきとした国家機関なんだけど、その存在すら誰にも知られていない秘密の存在……と、シンプルに理解してくれればオッケー。私はそこの管理部所属、今日から君のチューターを務める紺藤(こんどう)クレアといいます。日本人なのに洋風のカタカナ名前なのは、両親がイギリスに住んでたときに生まれて十五歳まで育った帰国子女だからで、クレアっていうのは両親が大好きな昔のヒット曲のタイトルからもらったの。よろしくね」

 ウインクしそうな勢いで明るく喋る。その胸には、自己紹介どおりの内容が印字されたIDカードがぶら下げられていた。態度と口調が軽いせいで、ギター男と闘ったときの武道家みたいな印象とは別人だった。

「あの……」
「ん? どしたの?」
「あなたの話、ぜんぜん意味わかんないんすけど」
「あら残念。でも、私もわかってないんだもん。しょうがなくない?」

 ふざけてる――と思ってイラついた。思わず、眉間に皺が寄ったと思う。俺は長いテーブルの端っこに座らされていて、隣に立っている白縁眼鏡の帰国子女はあっけらかんと言葉をつなぐ。

「あ、チューターっていうのは指導者っていう意味だけどそんな堅っ苦しいもんじゃなくて、君と局との連絡係みたいなもんだと思ってくれればいいから」

 全体的には理解しがたい話だが、ここが「局」だという点には真実味があった。これまでに見た「局員」らしき人たちはみんな同じ制服を着ていたし、その胸に縫いつけられた五角形のワッペンみたいなものには何かの図形――たぶん天秤――とCDUの三文字がデザインされていた。テーブルの上座に当たる位置に十一人目の椅子があり、そこに座った偉い人が背中を向ける壁にも同じロゴマークの旗が飾ってある。

「その国家機関っていう話、ホントなんすか? 日本にもCIAかMI6みたいなやつがあるってことですか」

 俺は真面目に聞いた。でも紺藤さんは口元でふふふと笑う。

「あー。走野はその手の映画とかドラマが好きな子なんだね? でもCDUは諜報機関とかじゃないよ。何かを捜査するわけじゃないし、誰かと戦ったりもしない」

「さっき、ギターの奴とやったじゃないっすか」
「あれは緊急事態で、特別中の特別。私たちの仕事はただひとつ、『守ること』なんだ。そして、その警護対象のひとりが……この子」

 グレーのような水色のような、角度によっては銀色に見えるマニキュアを塗った指で液晶モニターを指さす。映し出された七尾海斗の顔を見る表情が心配そうだった。母性本能というか、母親が子どもを見るような(まな)()しだった。

「でも今日、海斗に突発的な出来事が起きちゃった。だから君が、急遽こっちの世界にトランジションしてくることになったわけ」

 そう言われても、そもそもトランジションが理解できない。

 それはもしかして、テレポーテーションみたいなもんなのか? そんなこと現実に起こるはずもないのに、なんで大真面目に話すんだ? 信一郎と健吾のふざけたイタズラは、こんなにも大がかりな仕掛けだったのか?

「わけわかんないっていう顔してるから、わけわかんないんだよね? ともかく、君のその根本的な疑問を早いとこ解かなくちゃならないから、そこから順に説明していくね。この世界はひとつじゃなくて、ふたつの世界が並行して存在している。――最初に、ここんとこをサクッと理解してちょうだい」

 んな馬鹿な。理解なんか絶対に無理だ。でも紺藤さんは「わかりやすい動画があるから、まずはこれ見て」と言って、液晶モニターの画面をタッチした。

「動画はジャスト三十分。私は仕事があってちょっと席を外すけど、最後まで真剣に見てね。終わった頃に戻ってきて、そこからまた詳しい説明をしてあげる。今すぐ話したくて、実はうずうずしてるんだからさ」

 紺藤さんは動画の再生ボタンを押すと、「じゃ、後で」とにこやかに手を振りながら部屋を出ていった。ずいぶんマイペースな人だった。

          *

 動画の内容は、彼女の説明に何重もの輪をかけたぐらいに奇想天外だった。世界中の神話や寓話を集めても太刀打ちできないというか、要するに何かを超越しちゃったタイプの話だ。

 今から千三百年ほど前、日本に未曾有の天変地異が続いた。台風、洪水、地震、あるいは火山の噴火……。なかでも最大の出来事は、大きな火の玉が空から落ちてきたことだった。今の時代なら、それは隕石の落下だろうという理解も可能だが、当時はそんな科学もない。おそらく鳥取砂丘と思われる場所に落ちたらしい隕石は五つに割れた。それぞれの大きさは、片手でも持てるほどだった。

 空を切り裂いた光に人々は恐れおののき、うろたえた。得体の知れない、(よこしま)なものたちが襲ってきたと怯えた。抗いようもなくパニックが蔓延し、敵ではない者まで敵と見なすようになった。狂った人々の心は新たな狂気を貪欲に求め続け、果てしない争いごとが止めようもなくなった頃には、いくつもの川が血で真っ赤に染まっていた。そこで五人の祈祷師が立ち上がり、それぞれの石に魂を込めて封印した――。

 以来、五つの石は「(かなめ)(いし)」と呼ばれ、祈祷師たちは「五聖者」と崇められるようになった。封印された場所は日本各地に散らばり、「聖蹟(せいせき)」として現在も残っている。もちろん、石が霊力によって封印されていることも当時のまま。

「聖蹟がどこにあるのかを知ってるのは上層部だけで、私は知らない。この話自体の発端も千三百年前だから、実をいえば史料らしい史料もない。ただ、こうして要石が封印されたことで災いは影を潜めたし、人々には平静が訪れた――。今、この世界が存在していられるのは要石のおかげなの」

 紺藤さんは缶コーヒーを二本持って戻ってきて、一本を俺にくれた。ファンタジックな話をサラッと言うときも、白縁眼鏡の奥にある目は笑っていなかった。

「簡単にいえば、五つの要石がこの世界のバランスを取ってくれてるってこと。そして、それはどうやら、君がいた

とのバランスを最適化してるってことなのよ。だから――」

 プシュッという音とともに開けた缶コーヒーに口をつけて、話にひと呼吸の間を置いてから胸の紋章を指さす。

「ほら。CDUのマークも天秤なのよね」
「そんな妄想、信じろっていうほうが無理でしょ」

 俺は間を置かなかった。

「まあ待って。とにかく、最後まで話を聞いて――」

 紺藤さんは、白縁眼鏡の眉間のところを右手の中指で押し上げる。さっきから何回もやってるから、たぶん癖なんだろう。

「ここから、もっと信じられない話になるんだから」

 意味ありげに口元で微笑(ほほえ)むと、今度は眼鏡を外してハンカチでレンズを拭いた。息を吹きかけて隅々まで丁寧に拭き終えてから細部を念入りに確認し、視界がクリアになった眼鏡を満足げに耳にかけた。でも、彼女が(ぬぐ)ったのはレンズの汚れだけで、俺の心はどんよりと重く曇ったままだった。
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