第13話 喜遊曲

文字数 725文字

 それにしても、モーツァルトはいい。
 ベートーベンには、宴会の席上で、さほど盛り上がっていないと見えるテーブルにわざわざやって来て、
「盛り上がってるかい?」
 と、いちいち聞いてくる、お節介な幹事みたいな気配が感じられて、げんなりする。
 私のいる席が、しみったれていたって、いいじゃないか。

 ── そうそう、ムリしないで。こっちはこっちで勝手にやってるから、キミもキミで、勝手にやっててちょうだい。
 モーツァルトは、歌詞のない音楽で、ハッキリそう云っている。

 ピアノなら、アルフレッド・ブレンデルの弾くモーツァルトが好きである。弾くというよりも、叩いている。ソナタ11番トルコ行進曲付なんかを聴くと、根拠のない笑いが込み上げてくる。
 レクイエムなら、どこかの教会で録音した、オイゲン・ヨッフムの指揮がよい。

「魔笛」なら、ゲオルク・ショルティ、トスカニーニの「ジュピター」。「フィガロの結婚」、バイオリンとビオラのための協奏交響曲なら… と、数え上げれば、きりがない。

 同じ曲を奏でても、指揮者や演奏者によって、モーツァルトは変わっていく。たくさんの解釈がされる、たった1つの楽譜が、この世にはあるのである。ヒト、ひとりの存在と、似ているように感じるのは、気のせいだろうか。

 ディベルティメント、という器楽曲の一様式がある。これは、イタリア語で「気晴らし」「娯楽」「暇つぶし」という意味を持つ。深刻な内容は極力避け、明るく美しい楽想を中心に、軽いタッチで曲を仕上げる、という手法だ。

 こんな方法で、人生も一丁、仕上げられたらなあ、と思う。
 そして、節度を保ちながら、それぞれ、ひとりひとりが勝手にやって、仲良く、みんなと暮らしていけないものだろうか、と。
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