第8話 ピンポンジャンケン
文字数 3,065文字
レイラさんの働くアルジェリア料理店にお邪魔して1時間ほど経過しただろうか。
そろそろ、夜の営業時間が開始することもあり、
ボクたちは「お邪魔しました」と言い、店を去った。
ヒカルは店を出てからボクに言った。
「2日連続外出でゴメンね。疲れたでしょ」
ボクは首を横に振って否定した。「いや、2日間とも考えさせる時間だったよ」と返事をした。
すると、ヒカルは「それは良かった」と言い、
「2日間の接触でヒイラギさんとレイラさんは内定だ。残すはあと1人だね」と言った。
「次の部活は明明後日に放課後の予定だよ。その日はヒイラギさん、レイラさんの2人も予定が空いてたみたいだから、僕とカオルと合わせて4人でお迎えする予定だよ」
とヒカルは話してくれた。
ボクは、最寄りの地下鉄で、ヒカルと不動先生に「さようなら」と言い、家路についた。
ヒカルにアイドル部に誘われてから、時間が早く過ぎているような気がする。
ボクは風呂上がりの自分の部屋で、
置き時計の短針がアラビア数字の10を示したときにふと思った。
ヒカルが彼女たちをプロデュースしたい理由も、
ヒイラギさんとレイラさんと話していくうちに分かった気がした。
人生は理不尽で不平等だ。
でも、大人は高校生のボクらに厳然と広がる社会の荒野についての存在に言及しない。
親も、学校の先生も、社会人も。
と、同時にボクは、現在の社会の構成員である大人たちから
重要な事実が隠されている気もしていた。
大人は嘘をつくし、権力になびくし、自分の利に聡い。
ホンネとタテマエを使い分け、平気で人を傷つける。
そして、いつの間にか自分たちの中で常識と思われている価値観が、
時の為政者や権力者に都合の良いようにねつ造されているとは気づかずに、
無批判に現状を受け入れることしかできない。
結局、ボクらはヒツジなのだ。
群れの外にいるオオカミを恐れ、群れから外れまいと集団の中で行動するヒツジ。
しかし、ボクらはオオカミと対峙しなければいけないときがあるのだ。
人間から怒りの感情を取り去ってはいけない。
自分の権利が蹂躙されたならば、怒らなければならない。
ボクの机の上にあるイェーリングの『権利のための闘争』はこう言う。
「権利の上に眠れる者は保護に値しない」と。
ボクらは他人との、社会との摩擦が少ないように生きるよう
学教教育でプログラミングされている。
しかし、それは結局、権力者・支配者にとっての都合でしかないのだ。
権力者にとっては、旧体制の維持こそが至上命題なのだから。
ところが、学校の現代社会や世界史ではこのことについて誰も言及しない。
地歴公民の授業で、価値観に言及することは文部科学省の定めにより禁じられているのだ。
少なくとも、公僕であるボクの学校のような公立学校の教員はそうだ。
学校というのは現代における文化の擁護者なのかもしれない。
格好良く言えば、文化の再生産を担う砦。
ボクらは、学校という牧草地の中にエンクロージャーされたヒツジなのだ。
ヒツジ飼いの学校の教員は、既存秩序の担い手である公権力のコマンドに沿って動く公僕。
ボクは、そんなヒツジ飼い達に飼い慣らされたくなかった。
文化の継承というものは、最初は必然的に受け身なのかもしれない。
「学ぶ」という動詞が古語の「まねぶ」から派生しているように、
ボクらは、規範<モデル>をなぞることを学校の教育課程で強制される。
ただ、一旦型を習得した後は、それを一度壊したいのだ。
そして、バラバラになった破片を組み立てたいのだ。
“Reformation”
少なからず、人類のこれまでの歴史は文化の模倣と破壊・再生の歴史ではなかったか!
アイドル部は、その意味でも既成秩序への挑戦である。
idol―「動かないもの、客体、受け身、偶像崇拝の対象」でしかないものから、
自由意志、権利、人間として生きている証を証明する能動的な主体へと転換するのだ。
ヒカルのおじいさんの言った言葉の意味が分かった気がする。
「ボクらは、文化の担い手になれるのだ」と。
ボクは、頭の中で思索にふけりながら、瞼を閉じ、眠りにつくことにした。
明明後日は、天体の運行法則に逆らうことなく、きっかり時間通りにきた。
そして、学校の授業もきっかり、時計の長針が12を指すときにチャイムが鳴り、
長針が10を示すときに終わりのチャイムが鳴る。
まるで、生後何か月かの赤ちゃんが、
3時間おきにミルクを飲まんと、鳴き声を上げるかのように。
7限目の英語教師の、
認知言語学の知見を交えた文法教授と謳った胡散臭い50分の授業が終わった。
ボクはその足で部室に向かう。ヒカルとヒイラギさん、レイラさんがいた。
ボクは、ふと思った。
この学校は校内の関係者でもないのにたやすく校舎内に入ることができるのか、と。
ボクらは、3人目のアイドル候補生の住む実家に向かっているとのことだった。
年齢はボクらと同じ、高校2年生の<世代>で17歳とのことだった。
この<世代>という表現を使用したのは、その3人目のアイドル候補生が、
学校に通っていない<不登校生>だということをヒカルから聞いたからであった。
「どんな子かしら」ヒイラギさんは言う。
ヒイラギさんの服装は、スタイリッシュなビジネススーツに、
歩きやすいオレンジのタウンシューズ、髪はポニーテールに束ね、
顔の化粧は薄くファンデーションがされており、
唇は肌色とピンクの中間のようなフェミニンな色使いだった。
「そうね、とっても楽しみね」レイラさんはいう。
レイラさんは私服で、下は水色のスキニー、上はニット生地の長袖、
付箋紙のたくさん張ってある教科書を抱えていた。
定時制の高校で授業の後、直帰してきたように思えた。
「みんな、3人目の女の子は、リンちゃんって子なんだ。最初に会うときは、ちょっとびっくりするかもしれない。ぶっきらぼうな子だからね。でも、ボクは、彼女がこのアイドル部の一員として必要な存在だと思っている。学校に通っていないけど、自分の頭で考えて、自分の夢を現実にしようと考えている。彼女はデザイナーを目指しているんだ。学校に通っていなかったけど、中学時代に受けたテストは5教科で490点を超えていて、お勉強も両立して頑張っている。きっとみんなとも話が合うはずだよ。じゃあ、行こうか」
ヒカルはそう言ってボクたちを案内した。
リンちゃんの家の前まで来た。
いたって普通の1軒家である。物干し竿がかかっており、バスタオルが干してある。
窓のカーテンは閉められていた。
郵便受けには、外壁リフォームのチラシが入っていた。
ヒカルは言う。「じゃあ、僕ら4人でじゃんけんして勝った人がインターフォンを押そうか」
「じゃん・けん・ポン!」ボクは、グー。他の3人はチョキだった。
なぜ、ボクはこんな時だけ勝ってしまうのだろうと思った。
ボクは家の前のインターフォンを押す。
「初めまして、ヒカルの同級生の水内カオルと申します。リンさんはいらっしゃいますか」
インターフォンの声の主は返事をした。「ヒカルの友達、アンタ年はいくつ?」
ぶっきらぼうに質問された。この子がリンちゃんなのか。
「ええと、17歳です」ボクはかしこまった声で返事をすると、
「へえ、アタシとタメじゃん。アタシ、同い年嫌いなんだよね」といきなり毒舌を返された。
振り返ると、ヒカルはまあまあという表情で、「リンちゃんからだね」とボクに言う。
玄関の前まで、足音が聞こえ、ドアのカギを開ける音が家の中から聞こえた。
「ボク、何か悪いことしたのだろうか」と思わず落ち込んでしまうのが、
初めてのボクとリンちゃんとのやり取りだった。
そろそろ、夜の営業時間が開始することもあり、
ボクたちは「お邪魔しました」と言い、店を去った。
ヒカルは店を出てからボクに言った。
「2日連続外出でゴメンね。疲れたでしょ」
ボクは首を横に振って否定した。「いや、2日間とも考えさせる時間だったよ」と返事をした。
すると、ヒカルは「それは良かった」と言い、
「2日間の接触でヒイラギさんとレイラさんは内定だ。残すはあと1人だね」と言った。
「次の部活は明明後日に放課後の予定だよ。その日はヒイラギさん、レイラさんの2人も予定が空いてたみたいだから、僕とカオルと合わせて4人でお迎えする予定だよ」
とヒカルは話してくれた。
ボクは、最寄りの地下鉄で、ヒカルと不動先生に「さようなら」と言い、家路についた。
ヒカルにアイドル部に誘われてから、時間が早く過ぎているような気がする。
ボクは風呂上がりの自分の部屋で、
置き時計の短針がアラビア数字の10を示したときにふと思った。
ヒカルが彼女たちをプロデュースしたい理由も、
ヒイラギさんとレイラさんと話していくうちに分かった気がした。
人生は理不尽で不平等だ。
でも、大人は高校生のボクらに厳然と広がる社会の荒野についての存在に言及しない。
親も、学校の先生も、社会人も。
と、同時にボクは、現在の社会の構成員である大人たちから
重要な事実が隠されている気もしていた。
大人は嘘をつくし、権力になびくし、自分の利に聡い。
ホンネとタテマエを使い分け、平気で人を傷つける。
そして、いつの間にか自分たちの中で常識と思われている価値観が、
時の為政者や権力者に都合の良いようにねつ造されているとは気づかずに、
無批判に現状を受け入れることしかできない。
結局、ボクらはヒツジなのだ。
群れの外にいるオオカミを恐れ、群れから外れまいと集団の中で行動するヒツジ。
しかし、ボクらはオオカミと対峙しなければいけないときがあるのだ。
人間から怒りの感情を取り去ってはいけない。
自分の権利が蹂躙されたならば、怒らなければならない。
ボクの机の上にあるイェーリングの『権利のための闘争』はこう言う。
「権利の上に眠れる者は保護に値しない」と。
ボクらは他人との、社会との摩擦が少ないように生きるよう
学教教育でプログラミングされている。
しかし、それは結局、権力者・支配者にとっての都合でしかないのだ。
権力者にとっては、旧体制の維持こそが至上命題なのだから。
ところが、学校の現代社会や世界史ではこのことについて誰も言及しない。
地歴公民の授業で、価値観に言及することは文部科学省の定めにより禁じられているのだ。
少なくとも、公僕であるボクの学校のような公立学校の教員はそうだ。
学校というのは現代における文化の擁護者なのかもしれない。
格好良く言えば、文化の再生産を担う砦。
ボクらは、学校という牧草地の中にエンクロージャーされたヒツジなのだ。
ヒツジ飼いの学校の教員は、既存秩序の担い手である公権力のコマンドに沿って動く公僕。
ボクは、そんなヒツジ飼い達に飼い慣らされたくなかった。
文化の継承というものは、最初は必然的に受け身なのかもしれない。
「学ぶ」という動詞が古語の「まねぶ」から派生しているように、
ボクらは、規範<モデル>をなぞることを学校の教育課程で強制される。
ただ、一旦型を習得した後は、それを一度壊したいのだ。
そして、バラバラになった破片を組み立てたいのだ。
“Reformation”
少なからず、人類のこれまでの歴史は文化の模倣と破壊・再生の歴史ではなかったか!
アイドル部は、その意味でも既成秩序への挑戦である。
idol―「動かないもの、客体、受け身、偶像崇拝の対象」でしかないものから、
自由意志、権利、人間として生きている証を証明する能動的な主体へと転換するのだ。
ヒカルのおじいさんの言った言葉の意味が分かった気がする。
「ボクらは、文化の担い手になれるのだ」と。
ボクは、頭の中で思索にふけりながら、瞼を閉じ、眠りにつくことにした。
明明後日は、天体の運行法則に逆らうことなく、きっかり時間通りにきた。
そして、学校の授業もきっかり、時計の長針が12を指すときにチャイムが鳴り、
長針が10を示すときに終わりのチャイムが鳴る。
まるで、生後何か月かの赤ちゃんが、
3時間おきにミルクを飲まんと、鳴き声を上げるかのように。
7限目の英語教師の、
認知言語学の知見を交えた文法教授と謳った胡散臭い50分の授業が終わった。
ボクはその足で部室に向かう。ヒカルとヒイラギさん、レイラさんがいた。
ボクは、ふと思った。
この学校は校内の関係者でもないのにたやすく校舎内に入ることができるのか、と。
ボクらは、3人目のアイドル候補生の住む実家に向かっているとのことだった。
年齢はボクらと同じ、高校2年生の<世代>で17歳とのことだった。
この<世代>という表現を使用したのは、その3人目のアイドル候補生が、
学校に通っていない<不登校生>だということをヒカルから聞いたからであった。
「どんな子かしら」ヒイラギさんは言う。
ヒイラギさんの服装は、スタイリッシュなビジネススーツに、
歩きやすいオレンジのタウンシューズ、髪はポニーテールに束ね、
顔の化粧は薄くファンデーションがされており、
唇は肌色とピンクの中間のようなフェミニンな色使いだった。
「そうね、とっても楽しみね」レイラさんはいう。
レイラさんは私服で、下は水色のスキニー、上はニット生地の長袖、
付箋紙のたくさん張ってある教科書を抱えていた。
定時制の高校で授業の後、直帰してきたように思えた。
「みんな、3人目の女の子は、リンちゃんって子なんだ。最初に会うときは、ちょっとびっくりするかもしれない。ぶっきらぼうな子だからね。でも、ボクは、彼女がこのアイドル部の一員として必要な存在だと思っている。学校に通っていないけど、自分の頭で考えて、自分の夢を現実にしようと考えている。彼女はデザイナーを目指しているんだ。学校に通っていなかったけど、中学時代に受けたテストは5教科で490点を超えていて、お勉強も両立して頑張っている。きっとみんなとも話が合うはずだよ。じゃあ、行こうか」
ヒカルはそう言ってボクたちを案内した。
リンちゃんの家の前まで来た。
いたって普通の1軒家である。物干し竿がかかっており、バスタオルが干してある。
窓のカーテンは閉められていた。
郵便受けには、外壁リフォームのチラシが入っていた。
ヒカルは言う。「じゃあ、僕ら4人でじゃんけんして勝った人がインターフォンを押そうか」
「じゃん・けん・ポン!」ボクは、グー。他の3人はチョキだった。
なぜ、ボクはこんな時だけ勝ってしまうのだろうと思った。
ボクは家の前のインターフォンを押す。
「初めまして、ヒカルの同級生の水内カオルと申します。リンさんはいらっしゃいますか」
インターフォンの声の主は返事をした。「ヒカルの友達、アンタ年はいくつ?」
ぶっきらぼうに質問された。この子がリンちゃんなのか。
「ええと、17歳です」ボクはかしこまった声で返事をすると、
「へえ、アタシとタメじゃん。アタシ、同い年嫌いなんだよね」といきなり毒舌を返された。
振り返ると、ヒカルはまあまあという表情で、「リンちゃんからだね」とボクに言う。
玄関の前まで、足音が聞こえ、ドアのカギを開ける音が家の中から聞こえた。
「ボク、何か悪いことしたのだろうか」と思わず落ち込んでしまうのが、
初めてのボクとリンちゃんとのやり取りだった。