第49話 時間稼ぎ
文字数 4,442文字
その名前に、みぞおちが急激に冷えていく。
「花郎党 ……奴らがそう名乗ったのですか?」
「そんな訳ないさ。だが彼奴 ら、ただの物盗りじゃない。工房に押し入った手口なんて、実に見事なもんさ。あたしも今まで、随分とやばい奴らに会ってきたからね、分かるんだ。戦っちゃならねえ、逃げるが勝ちって相手がさ。連中、全身から血なまぐさい殺気がびんびん漂って、おまけに華羅の訛りときたもんだ」
「訛り、ですか」
「ああ、かすかな鄒安 訛りがあった。他の奴らには聞こえないだろうが、あたしの耳はごまかせないからね」
鄒安 は宜王朝の前、新王朝の都があった場所だ。遷都ののち荒れていたが、宜はこの旧都に、花郎党の拠点を置いたと噂されていた。
「顔は? 銀色の髪の、泰雅 の男だった?」
「いや。連中、顔は隠していた」
「そうでしたか」
晴夫は大きく息を吐いた。
「ここ数月 、蔵人が、妙な探りをあちこちに入れてるって話は聞いてたがね。そこにあの香良楼の一件さ。どんだけやばい奴らが相手なのかと思っていたんだが……。喧嘩の相手が花郎党なら納得がいく。そりゃさっさと帝都から消えるさ。あたしだってそうする」
「連中の狙いは、天星羅だったのですか?」
「そうらしいね。作業場にいたところを、いきなり工房に押し入って天星羅の在り処を訊かれたさ。そのとき、野明 が人質にされた」
「彼は……自分で喉を切ったのですね」
「は、よく分かったね」
「彼の右手、今日はじめてよく見ましたが、剣を使い慣れている手でした。おそらく腕もかなりのものかと……」
晴夫は無言で禿頭をなで上げ、視線を入り口へと転じる。つられて藍那も見やると、水を持った波群 が困惑した顔で立っていた。
「波群。水をこっちに持ってきてくれ」
晴夫が言うと駆け寄ってくる。
「師匠、水です。野明は……」
「話はあとだ。それからあたしの道具の必要最低限のものだけまとめて、今すぐ荷造りをしてくれ」
「荷造りって……どっか行くんすか?」
「ほとぼりが冷めるまで、ちょいと帝都を離れることになった」
「そ、そんな……俺は……?」
「一緒に来たいなら構わんがね。どうするよ」
「わ、分かりました。俺も荷造りします!」
慌ただしく波群が出ていくと、晴夫が藍那に向き直った。彼にしては表情に疲れが見て取れる。奥義から目覚めたせいもあるのだろうが、事 はそれだけ深刻なのだろう。
「あいつは……自分に一等ふさわしい幕の引き方をしたのさ。ずっと、己の死に場所を探していたようなものだったからね」
「天星羅はどこです?」
「奴らが持っていった――と言いたいところだが」
「だが……何なのです?」
晴夫は波群から受け取った水を一口飲んで、唇をなめた。
「時間がないから手短に話す。今から二月ほど前、蔵人から依頼を受けた。おまえさんの天星羅と全く同じ剣を一振り、作って欲しいとね。そしてそれにある仕掛けを施してほしいとも」
「全く同じって――それはいつ?」
「呉椅 んとこの茶館で、派手に負けたことがあったろう。あのすぐ後だ。わけは訊くなと言われて、随分な大金をはずんでもらったよ。
おまえさんも知ってるだろうが、あたしは自分で研ぎ直した武具は、一度見ただけで、細かいところまで覚えている。だから天星羅とそっくりな、一見すると区別のつかない複製を作らせてもらった。もちろん、蔵人が言ったある仕掛けもばっちりだ」
そこでまた一口。
「出来上がったのが十日前、すぐに引き取りに来ると言っていたが、さっぱり取りに来やがらない。まあ金はもらっているから、あたしはどうでも良かったのさ。そうしているうちに香良楼の事件と、奴の出奔だ。で……」
藍那は呆然と晴夫をみつめる。蔵人がそんな依頼を彼にしていたとは。二月 前、蔵人はこのことをすでに想定していたのか。
「昨夜、彼奴等はその偽物をまんまと持って行きやがったよ。仕掛けも上々、これ以上ない時間稼ぎになってくれるだろうさ」
「そして、本物は……」
「ここだ、ここの下」
晴夫の手のひらが尻の横、素焼き煉瓦をぺしぺしと叩く。
「虫の知らせってやつだろうね。どうも妙な予感がして、この下に貯めた金と一緒にしまっておいたってわけさ。どれ――」
そう言って立ち上がり、足元の煉瓦を一枚一枚剥がしていく。そうしてある程度剥がし終わると、手のひらで土を除けた。そこに現れたのは、
「扉?」
「あたしの金庫さ」
つまり、それは地中に埋められた箱の蓋なのであった。
箱の大きさは横幅が一尺、縦幅が二尺ほど。両開きになった蓋を開けると、奥行きはそれほどなく、なかには天星羅と小ぶりの素焼き壺、それからもう一振りの剣がしまってある。
「波群 は台所の下に金が貯めてあったと」
「ありゃ囮さ。こんな時のためのね。ま、そこそこの金はあったが、こっちほどじゃない。ほれ、おまえさんの天星羅だ。研ぐ時間なんぞないから、このまま返すよ。」
受け取った天星羅を鞘から抜いた。剣身に彫られた龍と七星、そして柄 を握った感触。間違いなく本物だ。剣身の細かな傷はそのままであった。
「ありがとう、晴夫。感謝します」
「こっちのほうが偽物じゃないかって、疑わないのかい」
「握れば分かります」
「まあ、そうだろうね。ところで藍那、おまえさんはその剣について、どれだけのことを知っているかね」
「どれだけ……って?」
困惑する藍那に、晴夫が続ける。
「いつかは言おうと思っていたんだがね。その天星羅――あたしにはただの剣じゃないように思える」
「ただの剣じゃないって……」
「表向きは鋼だが、なかには別の金属 が使われているんじゃないかってね。しかもそれは、あたしが今まで見たことのない類のものだ。研いでいると感じるんだよ。他の研師には分からないだろうが、あたしの耳はちゃんと聞き分けるのさ。もし、」
そのとき波群が勢いよく飛び込んできた。
「師匠、とりあえず詰められるもんは全部詰めました! い、いつでも出発できます!」
「おう、そうかい。じゃあとりあえず、藍那、おまえさんはそろそろ金亀楼に戻ったほうがいい。分かってるだろうが、もし役人があたしのことを訊ねても、知らぬ存ぜぬを通しておくれ」
そう言って、素焼きの壺を小脇に抱える。
「ところで、蔵人に頼まれた仕掛けって……」
「ああ、そうだったね、それは――」
晴夫が、言いかけたとき――。
ズズン――――!!!
地鳴りとともに、何かが破裂するような大きな音があたりに響いた。思わず音のした方へと振り向くと、背後で、しししと晴夫が笑い声を漏らす。
「予定よりちと遅かったか。ま、いいさ。これで帝都から逃げるのに十分時間が稼げるってもんさ。しばらくは、おまえさんも枕を高くして寝られるよ」
「晴夫 ……」
一種の凄みすら感じさせる笑みを浮かべ、晴夫は禿頭をなで上げる。そして悠々と、《診察所》から出ていった。
* * *
勝手口から表に出ると、裏通りには人っ子一人居なかった。どうやら野次馬の関心は、先刻の爆発へと映ったらしい。
表通りを、慌ただしく人が掛けていく。そのまま迷路のような裏通りを歩き、葡萄牙 街へと出た。巡回していた警邏たちが、何かを叫びながら、息せき切って走っていく。方角を見ると、どうやら東大参道のあたりのようだった。
(呉椅 の酒家か、それとも荒秦一家のどこかの根城ってとこか)
聖弥勒 大聖堂の広場に出る。風にのって、かすかに火薬の匂いが漂ってきた。東大参道のあたりには近寄らず、遠回りではあったが、葡萄牙 街から曾妃耶 大寺院を目指した。そこから市場 を通って、紅籠 街へと戻る。
戻ったときは夕刻近かった。
金亀楼の勝手口をくぐると、前掛けで手を拭いていた下女の一人が
「先生、おかえりなさい。先程、先生に届け物がありましたよ」
と言った。
「そういえば先生、お聞きになりました?萬貨 通りの近くで、なんとかっていうのが大きく爆ぜたらしいですわ。なんて言いましたっけ……ええと……花火の……」
「火薬ですか」
「そうそう、安瑛 さんが言ってました。もっともあの辺りは、質 の良くない金貸しが多いらしくて。昔、あたしの兄のお友達なんかもひっかかって、そりゃ大変な――」
「届け物というのは、誰が?」
話が長くなりそうだったので、慌てて訊ねる。
「届けたのは配達屋です。南の城門の近くにいつもいるそうですけど。ひょろっと背の高い、若い男に頼まれたそうですわ」
「伝言は?」
「特にありませんでした」
「そう。品物は部屋に?」
「ええ。さきほど由真に届けさせました」
「ありがとう」
部屋へ戻ると、文机の上に布包が置かれてある。二重にくるまれたそれを開くと、予想通り、蔵人の飛鏢が三振 。研がれた鏢身は、いま出来上がったように輝いている。
どうやら晴夫 と波群 は、無事に帝都を後にしたらしい。正規の城門を抜けたか、それとも、どこかの古い城壁に空いた《穴》を通ったか。
いずれにせよ、これでまた二人、藍那の周囲から頼るべき人間が消えた。蔵人、花蓮、そして晴夫。
偶然か、それとも何者かの意思なのか――。
(そういえば、萬貨 通りと言っていたね)
萬貨通りは、東大参道からやや南へ下ったところにある。
その名のとおり、金貸しや両替商が軒を連ねる通りだ。しかし、なかにはやくざものが裏についた、悪徳金貸しも混ざっていた。荒秦一家の息のかかった一軒が、花郎党の拠点になっていたのだろう。
あの爆発音から察するに、向こうの損害は大きい。そしてこのような騒ぎで、周囲の耳目を集めてしまった。
――しばらくは、おまえさんも枕を高くして寝られるよ。
晴夫が言ったとおり、連中も目立った動きは為難 いはずだ。油断は禁物だが、藍那が荒羅塔 へ旅立つまでの、時間稼ぎにはなってくれるだろう。
(あとは天星羅をどこに研ぎに出すか……。でも、また誰かが巻き込まれたら)
飛鏢を一本取って、鋭利な刃を覗き込む。
晴夫に天星羅を研ぎに出さなければ、野明 は命を落とすことはなかったのか。ずっと死に場所を探していたという彼に、どんな過去があったというのか。
隅の柱へ向けて腕をひと振り、鏢を放った。
止まっていた蝿を両断し、切っ先が深々と刺さる。
ひどく疲れていた。
「
「そんな訳ないさ。だが
「訛り、ですか」
「ああ、かすかな
「顔は? 銀色の髪の、
「いや。連中、顔は隠していた」
「そうでしたか」
晴夫は大きく息を吐いた。
「ここ
「連中の狙いは、天星羅だったのですか?」
「そうらしいね。作業場にいたところを、いきなり工房に押し入って天星羅の在り処を訊かれたさ。そのとき、
「彼は……自分で喉を切ったのですね」
「は、よく分かったね」
「彼の右手、今日はじめてよく見ましたが、剣を使い慣れている手でした。おそらく腕もかなりのものかと……」
晴夫は無言で禿頭をなで上げ、視線を入り口へと転じる。つられて藍那も見やると、水を持った
「波群。水をこっちに持ってきてくれ」
晴夫が言うと駆け寄ってくる。
「師匠、水です。野明は……」
「話はあとだ。それからあたしの道具の必要最低限のものだけまとめて、今すぐ荷造りをしてくれ」
「荷造りって……どっか行くんすか?」
「ほとぼりが冷めるまで、ちょいと帝都を離れることになった」
「そ、そんな……俺は……?」
「一緒に来たいなら構わんがね。どうするよ」
「わ、分かりました。俺も荷造りします!」
慌ただしく波群が出ていくと、晴夫が藍那に向き直った。彼にしては表情に疲れが見て取れる。奥義から目覚めたせいもあるのだろうが、
「あいつは……自分に一等ふさわしい幕の引き方をしたのさ。ずっと、己の死に場所を探していたようなものだったからね」
「天星羅はどこです?」
「奴らが持っていった――と言いたいところだが」
「だが……何なのです?」
晴夫は波群から受け取った水を一口飲んで、唇をなめた。
「時間がないから手短に話す。今から二月ほど前、蔵人から依頼を受けた。おまえさんの天星羅と全く同じ剣を一振り、作って欲しいとね。そしてそれにある仕掛けを施してほしいとも」
「全く同じって――それはいつ?」
「
おまえさんも知ってるだろうが、あたしは自分で研ぎ直した武具は、一度見ただけで、細かいところまで覚えている。だから天星羅とそっくりな、一見すると区別のつかない複製を作らせてもらった。もちろん、蔵人が言ったある仕掛けもばっちりだ」
そこでまた一口。
「出来上がったのが十日前、すぐに引き取りに来ると言っていたが、さっぱり取りに来やがらない。まあ金はもらっているから、あたしはどうでも良かったのさ。そうしているうちに香良楼の事件と、奴の出奔だ。で……」
藍那は呆然と晴夫をみつめる。蔵人がそんな依頼を彼にしていたとは。
「昨夜、彼奴等はその偽物をまんまと持って行きやがったよ。仕掛けも上々、これ以上ない時間稼ぎになってくれるだろうさ」
「そして、本物は……」
「ここだ、ここの下」
晴夫の手のひらが尻の横、素焼き煉瓦をぺしぺしと叩く。
「虫の知らせってやつだろうね。どうも妙な予感がして、この下に貯めた金と一緒にしまっておいたってわけさ。どれ――」
そう言って立ち上がり、足元の煉瓦を一枚一枚剥がしていく。そうしてある程度剥がし終わると、手のひらで土を除けた。そこに現れたのは、
「扉?」
「あたしの金庫さ」
つまり、それは地中に埋められた箱の蓋なのであった。
箱の大きさは横幅が一尺、縦幅が二尺ほど。両開きになった蓋を開けると、奥行きはそれほどなく、なかには天星羅と小ぶりの素焼き壺、それからもう一振りの剣がしまってある。
「
「ありゃ囮さ。こんな時のためのね。ま、そこそこの金はあったが、こっちほどじゃない。ほれ、おまえさんの天星羅だ。研ぐ時間なんぞないから、このまま返すよ。」
受け取った天星羅を鞘から抜いた。剣身に彫られた龍と七星、そして
「ありがとう、晴夫。感謝します」
「こっちのほうが偽物じゃないかって、疑わないのかい」
「握れば分かります」
「まあ、そうだろうね。ところで藍那、おまえさんはその剣について、どれだけのことを知っているかね」
「どれだけ……って?」
困惑する藍那に、晴夫が続ける。
「いつかは言おうと思っていたんだがね。その天星羅――あたしにはただの剣じゃないように思える」
「ただの剣じゃないって……」
「表向きは鋼だが、なかには別の
そのとき波群が勢いよく飛び込んできた。
「師匠、とりあえず詰められるもんは全部詰めました! い、いつでも出発できます!」
「おう、そうかい。じゃあとりあえず、藍那、おまえさんはそろそろ金亀楼に戻ったほうがいい。分かってるだろうが、もし役人があたしのことを訊ねても、知らぬ存ぜぬを通しておくれ」
そう言って、素焼きの壺を小脇に抱える。
「ところで、蔵人に頼まれた仕掛けって……」
「ああ、そうだったね、それは――」
晴夫が、言いかけたとき――。
ズズン――――!!!
地鳴りとともに、何かが破裂するような大きな音があたりに響いた。思わず音のした方へと振り向くと、背後で、しししと晴夫が笑い声を漏らす。
「予定よりちと遅かったか。ま、いいさ。これで帝都から逃げるのに十分時間が稼げるってもんさ。しばらくは、おまえさんも枕を高くして寝られるよ」
「
一種の凄みすら感じさせる笑みを浮かべ、晴夫は禿頭をなで上げる。そして悠々と、《診察所》から出ていった。
* * *
勝手口から表に出ると、裏通りには人っ子一人居なかった。どうやら野次馬の関心は、先刻の爆発へと映ったらしい。
表通りを、慌ただしく人が掛けていく。そのまま迷路のような裏通りを歩き、
(
戻ったときは夕刻近かった。
金亀楼の勝手口をくぐると、前掛けで手を拭いていた下女の一人が
「先生、おかえりなさい。先程、先生に届け物がありましたよ」
と言った。
「そういえば先生、お聞きになりました?
「火薬ですか」
「そうそう、
「届け物というのは、誰が?」
話が長くなりそうだったので、慌てて訊ねる。
「届けたのは配達屋です。南の城門の近くにいつもいるそうですけど。ひょろっと背の高い、若い男に頼まれたそうですわ」
「伝言は?」
「特にありませんでした」
「そう。品物は部屋に?」
「ええ。さきほど由真に届けさせました」
「ありがとう」
部屋へ戻ると、文机の上に布包が置かれてある。二重にくるまれたそれを開くと、予想通り、蔵人の飛鏢が
どうやら
いずれにせよ、これでまた二人、藍那の周囲から頼るべき人間が消えた。蔵人、花蓮、そして晴夫。
偶然か、それとも何者かの意思なのか――。
(そういえば、
萬貨通りは、東大参道からやや南へ下ったところにある。
その名のとおり、金貸しや両替商が軒を連ねる通りだ。しかし、なかにはやくざものが裏についた、悪徳金貸しも混ざっていた。荒秦一家の息のかかった一軒が、花郎党の拠点になっていたのだろう。
あの爆発音から察するに、向こうの損害は大きい。そしてこのような騒ぎで、周囲の耳目を集めてしまった。
――しばらくは、おまえさんも枕を高くして寝られるよ。
晴夫が言ったとおり、連中も目立った動きは
(あとは天星羅をどこに研ぎに出すか……。でも、また誰かが巻き込まれたら)
飛鏢を一本取って、鋭利な刃を覗き込む。
晴夫に天星羅を研ぎに出さなければ、
隅の柱へ向けて腕をひと振り、鏢を放った。
止まっていた蝿を両断し、切っ先が深々と刺さる。
ひどく疲れていた。