第4話 終幕 紙一重の世界

文字数 2,239文字

「ミユさん。もとの世界に帰りたいですか?」
「……分かるか?」
「顔に描いてあります」

 そういうライアに俺は素直にうなずいた。

「俺は……多少不便でも、手間暇をかけた生活っていうのもいいと思う。たとえば、今は手作り品ってすごく高いんだ。手作りのジャムとか農協に売ってるけど、スーパーの倍以上の値段なんだ。そのほかでも、もっと手間暇をかけて丁寧な生活ができたらって思う」

 生活が便利になると、空いた時間で何かができる。
 そう。
 いま流行りの日曜大工とかもいい。
 例えばベランダでちょっと野菜を育ててみたり、時間をかけて日記を書いてみたり。
 ただぼうっと空を見て、雲を眺めているだけでもいい。

 人間は一息入れる時間が必要なのだ。

「いいですよ。帰してあげます」
「ライア?」
「いったでしょ。わたしは新米なんです。だから、この世界に馴染めない人をなじませることって難しくて」

 またライアは頭をかいて少し笑った。

 その顔は、少し寂しそうで。そして、困った、という顔をしていた。
 
「どうやって帰るんだ?」
「その腕時計を外すんです」
「だってこれ、どうやっても外せなかったよ」
「これを使います」

 そう言ってライアは小さな金色の鍵をポケットから出した。
 そして、その小さなカギを、腕時計もどきの下についている穴に入れて、かちりと音がするまで回した。
 すると、するりと腕時計が俺の左手から落ちる。

 とたんに猛烈な眠気が襲ってきた。

「ま、待って、まだ寝ないぞ! ライア! 俺、君のことは好きだったよ。可愛くて一生懸命この世界のことを説明してくれて」
「わたしはまた降格処分でしょうけどね。仕方がありません」

「俺、現実に戻ったら、もう二度とここへ来たいなんて思わないようにする」
「そうですか。みんながそうだと手間が省けます」
「ライアといっときでもつがいでいれられて、楽しかった。俺、モテないし」

 眠気が頂点に達した。

「ライア……ありがとう。元の世界へ帰してくれて」

 ライアに伸ばした手は、空を切り、俺は児童公園のベンチから崩れ落ちるようにして気を失った。


 
 スマホが鳴動している。
 ブーブーと俺の耳もとで鳴り響いていてうるさい。
 それでもしつこい眠気がまとわりついていて、寝ていたら布団をはがされた。

「いつまで寝てるの! 起きなさい!」

 そこでハッと覚醒した。
 目を開けると、鬼の形相のかあさんがいる。

「かあさん……」
「何がかあさん、よ! 顔洗ってしゃっきりしなさい! 朝ごはんはパンでも食べて。
あたしは仕事行ってくるから」

 それだけ言い放ってしゃきしゃきと仕事へと向かうかあさん。

 俺は自室に取り残されて呆然とした。

 何時もの朝だ。
 左手を見ると、腕時計型の端末がない。
 その代わりにスマホがまだ鳴動していた。
 スマホの目覚まし機能を切って、状況を把握する。

 俺は青い寝間着を着ていて、そしてライアがいなかった。

 あれは夢……?
 
 たった一晩でみた明晰夢だったのだろうか。

 俺はいままで世界が生きづらい、とは感じたことは無かった。
 そりゃ、友達関係とか人間関係とか難しいけどさ。
 社会自体にそんな不満もなかった。
 俺はいま高校生で、そこまで社会のことって考えたことってなかったけど。
 
 でも、あの平行世界では、はっきりと「生きづらさ」を感じた。

 

 制服に着替えて学校へむかう。
 道には通勤途中のサラリーマンや、女性、学生、いろんな人がいる。
 少なくとも、この世界では人は人と繋がっている。

 そのことによって、ライアが言ったように弊害もあるかもしれない。
 いじめ、いやがらせ、DV、パワハラ、セクハラ、エトセトラ、エトセトラ。
 きっとライアの言う通りで、人間は人間と繋がるといさかいを起こす。

 でも、それだけじゃない。
 助け合い、協力しあい、励ましあい、慰めあい、愛しあい。
 そんなこころの動きだってあるんだ。

 俺は人と繋がっていたい、と思った。



 校門前まで来ると、紘が俺の肩をたたいた。
 
「ミユ、はよ。がっこ休むかと思った」
「……そんなこと欠片も思ってなかったくせに」

 苦笑いで紘の腹に拳を入れる真似をする。

「はは、バレた? お前そんなに柔じゃねーしな。フラれたくらいなんだ!」
「フラれた言うな!」

 俺たちは馬鹿みたいに笑いながら、校門をくぐって学校へ入って行く。

 
 
 あの世界は学校もリモート授業だったと聞いた。

 すべての人間関係が絶たれた、世界。
 すべての行動が腕時計型端末で管理された世界。
 出生の管理も、人口の管理もされた世界。

 あの世界は、俺たちの世界の『平行世界』だ。
 似て非なる世界。
 一歩間違えば、俺たちの世界も同じようになりうるかもしれないんだ。
 
 でも、そんな世界はごめんだ。

 そう、強く思いながら。
 俺は紘といっしょにクラスメイトがまつ教室へと入って行った。

『まだ、きっと間に合う』

 どうしたらこの世界があの平行世界のようにならないかなんて、今の俺には分からないけれど。

 間にあうよって、そう言う誰かの声が聴こえたような気がした。
                                    

おわり
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