最後にして最初の約束

文字数 4,837文字

「この手紙を読んでいる君へ

 僕の予測が正しければこの手紙は2020年の2月1日、高砂市立図書館の自習室に出現している筈だ。僕はそう信じて、これを目の前にある中規模高深度時空間異常に投げこむ。僕の視点では、今は2043年。つまり、これは君から見れば23年後に書かれる手紙、ということになる。
 僕は時空の歪みについて研究している者だ。ちょっとした機密組織の構成員であり、今から時空の歪みに呑みこまれてこの世からさよならするであろう死ぬ間際の人間でもある。

 これは僕の遺書で、依頼で、約束だ。

 まず目の前の時空の歪みについて軽く説明しよう。これは人為的に生み出されたもので、放っておけば一つの国が混沌に呑まれる程度の規模のものだった。ただ、研究者らによって建物一つの大きさに押さえ込まれ、いずれ消滅する定めとなった。それをやったのが僕たちのチームだ。これを読んでいる君のところでも、時が来れば発生するはずだ。君には僕たちと同じことをやってもらいたい、というのがこの手紙の要件だ。
 さしあたって、そのために参考となる文献のリストを別紙に添付している。時空を飛び越えて届く間にいくつか不可読箇所が出来るかもしれないが、理論の構築には十分なはずだ。最後のT. Xyankによる論文(2024)が一番重要だ。それといくつかの根気があれば可能だろう。今の僕と同じことが出来るようになるだろうし、ひょっとするとよりいい結末を選べるようになるかもしれない。
 続いて、理論構築のための協力者について述べる。城南大学に入学したら、入学式の翌日に図書館の最上階へ向かってほしい。ステンドグラスの前に変なやつが立っているだろうと思う。ユーリという本名からかけ離れたあだ名で呼ばれることを好む人間だ。無駄に格好をつけたがる芝居がかった変人だが、信頼は出来る。そいつこそが君の同級生であり、いずれ親友に、そして最高の共同研究者になる人間だ。そこで会えなかったとしても、まああれほどの変人ならすぐに見つかるだろう。

 無茶を言うな、勝手に進路を決めやがって、と君は思っていると思う。出来るわけがない、とも思っていたように思う。だが、君がそれを実現する事を僕は知っている。
 16歳の冬、確率の壁を超えて僕はこの文面の手紙を図書館で受け取った。そして39歳の今、かつて受け取ったものと全く同じ文章を書いている。それが答えだ。
 相手が自分とはいえ、急にこのようなものを押し付けてすまないと思っている。だが、僕はこれを実現した人生について、一切の後悔をしていない。そして、君もそうなるだろうと願い、また信じている。それだけは約束できる。

23年後から信頼を込めて 今田博嗣」



 今の自分が書き上げた手紙と、かつての自分が受け取った手紙。二通を僕は再び見比べた。もちろん、一字も異なっていない。これを読み返すのは何度目だろうか。最後の確認を終え、僕は手紙と参考文献リストを封筒に入れた。封筒だけはどうしても同じものを用意することができなかったが、これくらいの差異は許されるだろう。今からやろうとしている事に比べれば。
 確認を終え、僕は目の前に広がる空間の歪みに目を向けた。いくつもの色彩が歪み、溶け合い、光を漏らしている。あの日のステンドグラスにも似ている、と思った。

 あの日あいつと出会った時の事は今なお鮮明に思い出せる。入学式の翌日、指定された場所。まるで誰かに見守られているかのような静謐で柔らかな空気に満たされた空間。そこにあいつは一人で佇んでいた。ステンドグラスから射し込む西日が宗教画のような雰囲気を醸し出していたのを、今でもよく覚えている。それで、僕はもてる限りの勇気を振り絞って話しかけた。「前から考えていたような台詞だ」と笑いながらも、あいつはそれに応えてくれた。脚本通りに物語が進んだのだ。あの時の静かな興奮を覚えている。自分が受け取った1枚の手紙は本当だったのだ、という静かな感動を。

 そう、たった1枚。僕があの日受け取ったのは1枚の手紙と文献リストだった。今から僕は2枚目を書こうとしている。正しいことかどうかは自分にはよくわからない。それでも、付け加えたい事が僕にはあった。



「追伸

 僕が受け取った手紙は1枚だった。この2枚目は僕自身が付け加えた、僕が受け取らなかった筈の手紙だ。これによって君(僕)の未来(過去)は大きく変わるかもしれない。とんでもない事態を引き起こすのかもしれない。あるいは、この文章は時空の歪みの中で消えて、結局僕の自己満足に終わるのかもしれない。正直、今もこれを追加する事については迷っている。

 まず、僕はここで1枚目では書かなかった事実を僕自身に告白しなくてはならない。今、僕の目の前に広がっている時空間異常は僕の手によって生み出されたものだ。

 僕がこれをやった理由は2つある。1つは「手紙を受け取った」という事実と辻褄をあわせて状態を収束させるため。もう1つは個人的なもので、さらに重要。親友を迎えに行くためだ。
 ユーリは5年前、別の時空間異常を研究しているときにその向こうに姿を消した。僕にはどうすることも出来なかった。多分誰にもどうすることが出来なかったんだろう。あいつも覚悟は決めていたらしかったし。
 そして1年前、時空の狭間とでも呼ぶべき空間にあいつはまだ存在している事が判明した。ずっと取り残されていたんだ。自我をまだ保っているかどうか、まだ正気かどうかは定かではない。だが、たった独りであいつは生きていた。だから僕は約束を果たさなくてはならなかった。
 自分とはいえ頼みごとの連続で申し訳ないが、どうか君もあいつとの約束を守ってやって欲しい。ユーリを独りにしないでくれ。あいつは独りでいる事が苦にならないと言うだろう。それは本当のことだが、僕のことは勘定に入っていない。もっと早くに気づくべきだった。
 僕がどうするべきだったのか、今となってもわからない。あいつがこの世を去った時、何を考えていたかもわからない。ひょっとすると出会うべきではなかったのかもしれない、とすら思う日もあった。僕がその機密組織に入ったのはあいつの助力があっての事なんだが、それについてあいつは少々悔いていたらしいから。だから、もう少し別の方法で事にあたるべきだったのかもしれない。あのステンドグラスの光景を僕は一生忘れない。それでもあれは見るべきではない景色だったのかもしれない。あいつの事を考えるなら。
 僕は未来を知らずにこの結末を迎えた。その事に後悔はない。でも、君は違う。この結末を知った上で同じ路を辿るなら、僕は一向に構わない。それでも知っておいてほしいと思った。

 そろそろ時間がなくなってきた。もう右足と靴と床の区別がつかなくなっている。痛みはないが奇妙な感覚だ。
 今から僕はこれを投げ込み、そしてあいつを迎えに行く。迷いはない。親友をこんな空間に独りっきりでいさせる方がよほどどうかしていると思うからだ。

 君の未来にも後悔がないことを心から祈る。」



 僕は2枚の手紙を封筒に入れ、歪みの中央へと投げ込んだ。それがくるくると回りながら渦の中に消えたのを見て、自分もその後を追う。足を踏み込んだ瞬間、一切の平衡感覚が消失したのがわかった。
 溺れる、と思った。ごうごうという音が頭の中で響く。暴力的な光と暗闇が頭の中で爆発している。自分の体が溶けて飴細工のように周囲と混じり合っていく。こんな中で自我を保てるわけがない。

 流転。

 回転。

 拡散。

 時空の勾配。

 どれほどの時間が経っただろう。

 そもそもこの場所で時間という概念は意味をなしているだろうか。

 一体ここで何が意味を保てるというのだろう。

 全てがほどけていく。僕は誰だっけ。

 静寂が訪れる。

 ──そして、懐かしい声が響いた。

「や、久しぶりだね」

 ああ、思い出した。この声を聴きたかったんだ。でも、本当にあいつなんだろうか。あいつはこの地獄で意識を保っていたのか? 僕の気が狂っただけか? 思考が音になって漏れ出る。どうやらここでは声帯を震わせるということは出来ないらしい。頭の中で強く思えば、それが声になった。

「夢か?」
「ご挨拶だなあ。ずっと待っていたってのに」
「……いや、でも」
「お望みなら君の知らないことでも教えてやろうか。私が君の夢でも幻聴でもない事を証明するために」
「ああ」
「君の手紙を最初に受け取ったのは私だ。あれは2020年に届かなかった」

 こいつは何を言っている? 黙り込むと、傍であいつが笑った気配がした。ぱっと視界が明るくなる。そうして気づけば僕たちは大学の教室にいた。自分が座席に座っていて、あいつが教壇の上に足を組んで座っている。行儀が悪い。……ああ、こうやって何度も空き教室で議論したっけな。

「何だ、ここ」
「夏休みの夜の教室。この歪みの中で時間と空間は意味をなさず、だからこそどこにでも繋がっているんだよ。こっちから干渉する事は出来ないが、まあ適当な場所をちょっと眺めに行くくらいなら出来ないこともない」
「……」
「話を続けよう。あの手紙は確率の壁なんか越えてないんだよ。あれは2019年の3月に私の目の前に出現した。計算でもそうなってたんだろ? 80%以上の確率で」
「でも、僕は受け取ったぞ。2020年に」
「私が置きに行ったんだよ。2枚目を抜き取って、新しい封筒に入れて。一年待って、手紙に書かれていた日に、書かれていた場所に手紙を置きに行った。そして、入学式の翌日にあの場所で君を待った。本当に来たから驚いたよ」
「信じられない。じゃあ、お前、全部知ってたのか? 全部読んで・・・・・」
「そうとも。まったく、何が『ユーリを一人にしないでくれ』だ。私はね、あれを読んだときから一度も自分を一人だと思ったことはなかった。だから君はずっとカウント外だった。だからこの空間にも耐えて待つことが出来た」
「そうか。……なあ、一つ聞いていいか」
「ああ」
「何で2枚目を抜き取った? あれが届いていれば、僕は君をこんな場所に置き去りにしなくて済んだかもしれなかったのに」

 あいつが黙り込んだ。ふっと教室の情景が暗闇に溶け込む。

「悪かった。怖かったんだよ、君が私と会わない未来が発生することが。だから、辻褄を合わせておくことにした。そういう未来を確定させる為に」

 視界は暗闇に閉ざされ、ユーリの表情は一切見えない。こういう所が格好つけなんだ。

「失望したかい? 私はただ、君に迎えに来てもらうユーリってやつが羨ましくて、だから成り代わろうとしたんだ」
「いや。僕は君と再会するために来たんだ。元のユーリが誰だって構わないよ」
「そうか」
「それに、この空間ではどうやら君が迎えに来たって感じだったみたいだし。ずっと待ってもらったらしいし」
「そうか」
「そうだよ」
「……じゃあ、お詫びと案内ついでに一つ面白いものをお見せしようか」
「?」

 何かが自分の手に触れた感覚があった。視界に再び光が灯る。光が色彩をもってぐるぐると混じりあう。ああ、この色彩には見覚えがある。

「ここ、何時のどこにでも繋がりうるんだ。タイミングが合えば、ある程度時間と場所を選んで観測することも出来る。声を聴く事だって出来るんだ。なあ、覚えてるか?」
「ああ……勿論だよ」

 ──今なお、僕はあの情景を鮮明に思い出せる。図書館の最上階、仄暗い空間のステンドグラス。まるで誰かに見守られているかのような、西日の射し込む空間。

 懐かしい声が聞こえる。ああ、そうか。

 あの手紙を受け取った僕たちは、ちゃんと約束を果たせたらしい。
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