ゆるり船の旅

文字数 4,066文字

一面モノクロの領域を、黒鉄の船が進む。
そこは空であり、海にも似て、砂漠とも言える。
白黒二色でありながら、瞬く量子の光が点描のように世界を彩り、見る物を感嘆させた。
高次元空間へと侵入した【ヴィーナス号】は、メインエンジンの出力を三割ほどに落とし、安定航行へと移行した。
出力の大半は船体を保護する防御シールドに回されており、推進にはほとんど使用されていない。
高次元とは空間そのものが量子を巻き込んで流動する空間主体型の領域である。
宇宙全体を循環する星間物質の流れを水路に見立て、まさしく船のように航行しているのだ。そのメリットは物理的な干渉を受けないことにある。
高次元内を流れる空間流は質量やサイズの影響を受けず、星系間を超高速で結び付け、デブリ等の障害物が邪魔をする事も無い。
何より空間の流れに乗って前進する為、移動に大量のエネルギーを使用する必要が無く、低燃費(安上り)で済むのだ。それはいつの時代にも喜ばれてきたメリットである。
むろんデメリットも存在する。
流れに乗って航行するという性質上、流れに沿った方向にしか進むことが出来無い。また出入ポイントの算定演算が複雑な為、指定区域外での航行が禁止されているのだ。
そもそも【宇宙樹(ユグドラシル)】とも称されるこの空間航路の事を人類は一割程度も理解していない。
それでもなお頻繁に使用しているのだから無茶もはなはだしい話だが、そんな無知に目をつぶってまで使用するほどにこの領域は便利であり、旨味が大きいのだ。
故に、初めての高次元空間を興味津々な様子で眺めるチェリシアを、レオンは微笑ましく受け入れ、記念に秘蔵の茶葉を開封した。
「苦いの大丈夫でしたね」
「子供扱いしないでくださいな」
頬を膨らませながらチェリシアはバックを開き、中から小さなカップを取り出した。
「てっきりドレスでも入っているのかと」
「式典用のカップです」
「式典用……にしちゃ、何といいますか」
「安っぽいですか?」
うっかり口が滑ったかと思ったが、気を悪くしているわけでもなさそうなので「少し」とレオンは答えた。
改めてチェリシアの両手に収まっているカップを見る。
白磁で質は良さそうだが、皇族が使うものには見えない。そもそもワインをカップで飲むというのはどうなのだろう?
そんな疑問をいだくレオンを尻目に、チェリシアは淹れたての紅茶を味わった。
「収穫祭では代々このカップで最初の一本を頂くのが慣わしなのです。私はジュースですけど」
「楽しみは先に取っておくのもいいでしょう」
「四年後もエスコートお願いしますね」
「その時はぜひ玄関からお越しください」
互いに微笑み合いながら同時に紅茶を味わう。微笑ましい光景である。
チェリシアはカップに関する逸話を披露した。
「第一回目は準備不足でワイングラスが足りなかったんです。それで公用艦からもグラスとカップを集めて提供したんです」
「それもその一つだったと」
「おそらく侍従用のものですね。ワインには向いていません」
「まあ、バカ騒ぎにブランド品は勿体ないでしょう。ところで【瞬間移動(テレポート)】でボルドアまでひとっ飛びとはいけないんですか?」
レオンの問いにチェリシアは首を横に振った。
「そんな長距離は無理です。王都から【輝葉】までがやっとで」
「結構行けるんですね」
思えば時折遊びに来ている事自体が異常な事だったと思い至る。
あの母娘(おやこ)を相手にしていると、どうにも感覚が麻痺してしまうようだ。
「そういえば、何でまた倉庫に隠れてたんです?」
「出航するまでは隠れていようと決めていました。それで倉庫に行きましたら、ちょうど寝心地の良い絨毯が置いてありまして。包まったままついウトウトと」
「何処の王女様ですか?……皇女様でしたね」
「そうです皇女としてお仕事をしに行くのです」
つい先程まで風景に目を輝かせていたとは思えない程、凛々しくたたらかにチェリシアは宣言した。
「なんかもう意地になってません?子供扱いされたくらいで」
「私は子供ではありません!」
――そうとうされてるんだな。
ふくれっ面を見てレオンはおおよそを察した。
「突っ走り過ぎるのもどうかと思いますよ」
「やるべきことをやっているつもりです」
頬をふくれさせてそっぽを向いたチェリシアに、それ以上何も言えず。
開いたままの口に、茶請けに用意したドーナッツを手掴みで放り込んだ。
「お行儀が悪いです」
「節約ですよ。食器を洗浄するのも水と電力がかかる。無駄を省くのも工夫です」
「そういうものでしょうか」
「そういうもんです」
そう言って今度はミネラルウォーターの栓を開け、ボトル飲みする。
「何事も不可無く準備万端でとはいきませんからね。日頃から節制して、いざ困った時にそれと気付かせずにアドリブで乗り切るのがトップの腕の見せ所です」
「アドリブですか」
「まあ、一番のコツは楽しんじまう事ですかね」
「行き当たりばったりなだけでは?」
鋭い指摘にレオンは苦笑した。
「そいつを言っちゃ御終いですよ」
そうこうする間に、目的地が近づいたことを知らせる通信が入り、二人はブリッジへと戻った。


黒く果てない宇宙空間に僅かな小波を伴って光が灯った。
虚空から飛び出した三色の信号弾が巨大な三つつなぎの輪を描き、ほどなくして卵型の膜をまとった塊が吐き出された。
光の膜は真空の中に溶けるように消え、その中からシンプルな流線形の船体が姿を現す。
「【着宙(タッチダウン)】完了」
ミーからの報告にレオンはホッと胸をなでおろした。
「システム異常無いな?――ナット、エンジンはどうだ?」
『見たとこは問題無いが、港でチェックした方が良いな。時間もらえるか?』
頭をかきながら頼むナットに、もちらんだとレオンは頷く。
「お前は降りなくていいのか?」
『観光好きに見えるか?』
「後で差し入れ持ってく」
『楽しみにしとくよ』
内線を切り、現在位置と星区標準時を確認していると、ミーが困った顔で声を上げた。
「キャプテーン」
「何だ?」
「分かんない」
「あ?」
「正体不明の何かが隠れながらこっちを見てる」
ディスプレイを確認すると、確かに船とおもしき物体が船の背後から接近している。
「船舶識別番号は?」
「隠してるか非正規品」
その報告にマイルが不安そうな声を出げた。
「ひょっとして宇宙海賊とか?」
「お姫様狙う悪党ってのは定番だけど」
一斉にチェリシアへ目を向ける。素性は話していないが、なんやかんやで察しているようだ。
不安そうな顔をするチェリシアを安心させるように、レオンは笑顔を向けた。
「この辺りは着宙によく使われるポイントです。良からぬ連中がうろついてても不思議じゃない」
「落ち着いてないで、とっとと自治軍か同盟軍に通報したほうがいいっすよ」
マイルの言葉に、どうだろう?とシンが首を傾げる。
「この辺は星系自治軍の管轄だ。分かって近づいてるのなら、近くにはいないって確認済みと見るべきじゃないかな?」
「じゃどうする。撃つか?撃っちまうか?」
嬉しそうに聞くデミの言葉を遮り、スローが巨大な宙域図をブリッジ中央に展開させた。
「正確なぁ位置ぃーがー分かったー」
「七時方向。巡行型武装艇、距離八百」
引き継いだミーによって詳細が添付される。
「小型か」
そのデータにレオンは首を傾げた。巡行型は【ヴィーナス号】に比べて小さいものの、潜んで近づくには大きく、撃ち合うには心もとない。
「撃つか船長?」
再度確認するデミに「撃たねえよ」と答え、レオンはマイルに指示を出す。
「それとなく進路変更。恒星の死角に入ったところで最大船速。……返事は?」
「イエッサー」
返事と同時に操縦桿を傾けるマイルの姿を横目に、レオンはシンの方を向く。
「お前は【ゴーレム】に入っとけ」
「撃たないんじゃないの?」
「こっちからはな」
しかし反撃はする。そして容赦はしない。
レオンの決定を察し、シンは分かったと頷く。
「戦いは避けられない……か」
「祈っちゃいるが、時間は有意義に使わないとな。【スペクター】も火を入れとくように言っとけ」
「了解」
シンが出ていくのと同時にミーが声を上げた。
「前方に船。たぶん後ろのと同型」
「別動隊っすか!?」
撃つか?聞こうとするデミを制し、レオンは進路変更を指示した。
「明後日の方に逃げるんすか?」
「いや、進路を戻す。時間も無い」
努めて冷静に答えるレオンに、マイルは振り向いて情けない声を上げた。
「やり合うんすかぁ!?」
「最悪な。理想は隙を付いて最大船速で突破。こっちは正当防衛でしか攻撃出来ねえし、向こうもそれがわかってるならギリギリまで撃ってこねえ。何とかならぁ」
「とても分が良いとは思えないっす」
一気に青ざめた顔をレオンから逸らし、マイルは不貞腐れたようにブツブツと文句を言い始めた。
よく見れば膝が震えており、横から見たミーが思わず吹き出す。
一方でスローはといえば、震えながらもしっかりと操縦桿を握る姿に微笑ましい何かを見たのか、親指を立てて励ましのポーズをとった。
「後は【スペクター】から指示を出す。報告はこまめに」
「あーい」
「気ぃーを、付ぅけてー」
「撃つときは言ってくれ」
ブリッジを後にしようとするレオンの腕を、立ち上がったチェリシアは掴んだ。
「レオン様」
不安そうな顔をするチェリシアに、落ち着かせるよう頭を撫でた。
「大丈夫です。ちゃちゃっと片付けてくるんで、ここで待っててください」
来客席にチェリシアを戻し、改めてクルー達を見渡たす。
「他に何かあるか?」
「あっ、こないだ買った絨毯なんだけど、娯楽ルームに敷くには合わなそう」
場にそぐわない報告に、レオンはニヤリと笑った。
「飾っとけ。プレミア品だ」
きょとんとするクルー達をよそに、レオンはブリッジを後にした。
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