プロローグ

文字数 4,662文字

 僕は彼女を救いたかった。

 彼女は一人ぼっちで泣いていた僕を救ってくれた。
 何もできない僕を見捨てないでいてくれた。
 そして、とっても優しくしてくれた。
 いけないことをしたら叱ってくれた。
 勉強は嫌いだった。だけど、ちゃんとできるようになると、とっても喜んでくれた。だから、いっぱい頑張った。
 僕が頑張ると、一緒に遊んでくれた。お庭で駆けっこしたり、お花を見たり、水遊びしたりしてくれて、とっても楽しくて嬉しかった。
 彼女は、一人ぼっちで死ぬしかなかった僕に、いっぱい、いっぱい、幸せをくれた。
 僕は彼女が大好きだった。
 でも……

——

 私は彼を救いたかった。
 彼は山道の小さな崖の下で蹲っていた。
 私はパパと馬車に乗って王都って所に向かっていたのだけど、その途中、彼が倒れているのを見つけた。
 彼を助けたいってパパに頼んで、馬車に乗せてもらった。
 馬車の中で、彼が死んじゃうんじゃないかと思うことが何度もあって、とても怖かった。弱った体、今にも止まってしまいそうな心音。それでも、彼は頑張って生きようと懸命に呼吸していた。
 私はそんな彼がとても愛おしかった。

 パパは王都に着くと、彼の分まで宿を取ってくれた。そして、ふかふかなベッドに彼を寝かせてくれた。
 見つけたときと比べて、彼はとても落ち着いているように見えた。スヤスヤと心地よい寝息を立てて眠っている。私はそんな彼の寝顔を見て、ほっと一安心していた。

 次の日、パパは王都に家を買った。彼も住まわせてくれた。
 私はパパのお仕事のお手伝いをすることができない。だから、彼と一緒にお家で良い子にしていることが、私のお仕事だった。
 彼は何も知らなかった。
 だから、お姉さんの私がいろんなことを教えてあげた。彼は私が教えたことをよく覚えてくれた。彼はとっても優秀だった。

 そのうち大人の人がお家に来て、お勉強を教わることになった。彼も、私が教わったお勉強を教えてあげると、すぐに覚えてくれた。ご褒美に一緒に遊んであげたらとっても喜んでくれた。私もとても楽しかった。
 でも……

 ……王都は魔物に襲われた。
 大勢の兵隊さん達が一生懸命頑張ったんだけど、魔物はとても強くて誰も敵わなかった。
 逃げ惑う足音と、沢山の悲鳴がそこら中で聞こえた。
 魔物の攻撃によって建物は壊され、燃やされてしまった。
 街の中は沢山の死体でいっぱいになった。

——

 僕は魔物が来たとき、お家でお勉強をしていた。
 算数の問題を解いていたら、ドーンと大きな音がした。
 僕はビックリして窓から街を見た。そしたら、遠くの空に真っ黒な鳥の群れを見つけた。
 真っ黒な鳥の群れは、赤く光る何かを街に向かって投げつけている。その赤く光る何かが街の建物に当たると、ドーンと大きな音を立てて建物が壊れてしまった。
 どうやら、その赤く光る何かは火の玉だったようで、壊れた建物はもくもくと黒い煙を上げて真っ赤に燃え上がっていた。

 僕は怖くなって、急いで秘密の地下室に逃げ込んだ。
 暗い地下室にも、ドーンという大きな音が響いてくる。
 怖くて、怖くて、たまらなかったけど……僕はそれ以上に彼女のことが心配だった。
 秘密の地下室には、扉の前を映し出す宝珠がある。
 これで安全を確認してから出るよう、以前から言いつけられていた。
 彼女は夕飯のお買い物に出かけていた。
 きっと帰って来る。
 そう願って、僕は宝珠をじっと見つめていた。

——

 私は魔物が来たとき、お買い物を終えて帰る途中だった。
 今日のご飯は彼が嫌いな人参のスープと、彼が大好きなふかし芋にするため、人参とお芋を買った。
 私はそのとき橋を渡っていた。
 遠くの方から、ドーンと音がした。
 ビックリして音のした方を見ると、空に黒い鳥の群れのような何かがこちらに向かって来ていた。
 私は急いで帰ろうとしたのだけど、街の人達がみんな、慌ただしく逃げ惑っていたので、なかなかお家まで帰れないでいた。
 私は走って来たおじさんにぶつかって転んでしまった。
 痛かったけど、彼が心配だったからすぐに起き上がった。
 カゴに入っていた人参と、お芋は、ぶつかったときに落としちゃったみたいで、誰かに踏み潰されてぺしゃんこになっていた。
 私は空になったカゴを持ってお家まで急いだ。

 私はお家に着くと彼を探した。だけど、どこにも居なかったので、もしかしたら秘密の地下室に逃げ込んだんじゃないかと思い書斎に向かった。
 秘密の地下室の入り口は、パパの書斎にある。
 魔法を唱えると本棚が動く仕組みだ。
 でも、私は魔法を唱えることができなかった。
 何故かと言うと、そこにはもう魔物が居たから。

 私は書斎の扉が壊されているのを見つけて、ぎゅーっと胸が締め付けられるような気持ちになった。心臓の音が早く、大きくなって、とても怖かった。
 でも、彼が心配だったから、恐る恐る中を確認した。
 そこには、人の形をした魔物が立っていた。
 なんで魔物だってわかったかというと、大きな黒い翼が背中に生えていたから。
 でも、それ以外は人と同じだった。
 とっても怖かったけど、私は逃げなかった。
 彼を守るため、魔物がいる書斎に入った。
 彼が秘密の地下室に居るなら、見つかる心配はないかもしれない。だから、魔物が去るまでどこかに隠れていればよかったかもしれない。
 でも、私は魔物の気をそらすため、わざと書斎に入った。
 何故なら、彼にも黒い小さな羽が生えていたから。
 彼を探しに来た。
 そう思ったから。

——

 僕はじっと宝珠を見ていた。
 彼女が帰って来ると願って。
 でも、書斎に入って来たのは魔物だった。
 魔物はドアを蹴破り入ってきた。
 書斎をぐるぐる見て回っている。
 魔物には、黒くて大きな羽が生えていた。
 それは、僕の背中に生えている羽なんかよりも、ずっと、ずっと大きなものだった。
 魔物はなかなか帰ろうとはしない。
 書棚、机、本、あらゆる物をガサゴソと乱雑な音を立てて物色していた。
 ドキドキと心臓の音が大きくなる。
 宝珠を握る手がヌルヌルと汗ばむ。
 早く帰って! 僕は宝珠に向かってお願いをする。
 そんな魔法は無いのに、ぎゅっと宝珠に力を入れてしまう。

 そしたら、宝珠に彼女が現れた。
 こんなときに彼女が帰って来てしまった。
 なんで……魔物がいるのに……。
 僕の心音は、更に早く、大きくなっていった。
 全身から血の気が引いて行く。
 彼女が殺されてしまう。
 嫌だ……やめて……彼女を殺さないで……。
 強く、強く念じていた。
 魔物は彼女を見つけて「子供か……」と、言った。
 彼女は何も言わなかった。
 魔物は彼女にもう一言「羽の生えた男の子を見なかったか?」と言った。
 魔物は僕を探しに来たようだった。
 彼女は「知らない」と嘘をついた。
 魔物は「そうか」と言うと、持っていた槍を彼女に向けた。
 槍の切っ先が彼女を捉える。
 魔物は言った「悪いな、決まりなんだ」
 槍を突き付けられても彼女は何も言わない。
 彼女は、羽が生えている男の子を知っているのに。

 彼女は黙って運命を受け入れていた。
 彼女は僕に、寝るところも、美味しいご飯も、いっぱいの幸せも、何もかも全部与えてくれた。
 そして彼女は、僕に命すら与えようとしてくれていた。
 僕は彼女を救いたかった。

——

 魔物は思ったとおり彼を探しに来ていた。
 魔物が私を見て「子供か……」と呟いた。
 私はじっと魔物から目を逸らさなかった。
 魔物は続けて「羽の生えた男の子を見なかったか?」と話しかけて来た。
 ドクンと、一段と大きな音を立てて私の心臓が跳ねた。
 握りしめた手に、じわじわと汗が溢れ出す。
 やっぱり、この魔物は彼を探しに来たのだ。
 私は「知らない」と嘘をついた。
 魔物は「そうか」と言うと、持っていた槍を私に向ける。
 私の目の前に槍の切っ先が置かれた。
 私は、とても、とても、怖かった。
 魔物は「悪いな、決まりなんだ」と言った。
 私は殺されるのだと理解した。
 私は彼を救いたかった。
 私が何も言わなければ彼は助かる。そう思った。
 私の大好きな彼が助かるのなら……私はとても嬉しい、そう思った。

 魔物が槍を引いた。
 後は私を突くだけ。
 怖くないと言えば嘘になる。
 これでいい……そう思っているのだけれども、心の奥底では、悲鳴を上げていた。
 お願い……誰か、助けて!
 怖くて、怖くて、でも、彼のためならばと、私は、魔物を睨みつける。
 私は死を受け入れていた。
 彼が私の視界に入ってくるまでは。

——

 僕は駆け上がった。
 命を投げ出そうとしている彼女を救うため、無我夢中で走った。
 魔法の書棚を開け、今まさに槍を突こうとしている魔物に向かって叫んだ「ユキに手を出すなぁぁぁああああ!!」
 魔物は驚いて振り向き、槍を向けようとしたが、遅い。
 僕は地下にあった魔法の銃を魔物に向かって放つ。
 引き金を引くと、大きな音と共に銃口が赤く光った。
 僕は大きな音にビックリして目を瞑ってしまった。さらに、僕の小さな体では発砲によって起こる反動を吸収できず、勢いで尻餅をついた。
 銃を持っている腕が痛い。
 大きな音で耳がちょっと変になっていた。
 僕は体の異変に戸惑いながらも、魔物がどうなったか確認するため目を開けた。

——

 私が彼の姿を見つけたと同時に、彼が叫んだ。
 彼は私を助けに来てくれた。
 私の名前を叫び、地下に保管されていた魔法銃を向けていた。
 私は彼が現れて焦った。でも、助けに来てくれたことがとても嬉しかった。そして、死んでしまうことがとても怖くなった。
 魔法銃は非常に威力が高く、とても危険な武器だと教わっていた。
 私は咄嗟に床へ伏せた。
 同時に大きな爆発音が鳴る。
 当たっただろうか?
 魔物を見るために顔を上げる。
 頭がクラクラする程の大きな音のせいで、動作が一瞬遅れてしまった。
 そこには、魔物の姿は無かった。

 私は焦り、クラクラする頭を懸命に奮い立たせて立ち上がる。
 彼の所へ行くために。
 彼を守るために。
 彼に向かって走っている途中、私は後ろを振り返った。
 そこには、魔法銃によって吹き飛ばされた魔物の姿があった。
 魔物は胸から先が無かった。
 魔法銃の弾丸が通った跡が壁に残されていた。
 ぽっかりと円状に壁が貫かれていて、そこから外が見える。

 街は真っ赤に燃え盛っていた。
 街の人達の叫び声は聞こえなかった。
 私はその光景を見ても足を止めない。
 目に映った大きな絶望より、目の前にある小さな希望の方が大切だった。
 彼は力を使い果たし動けないようだった。
 彼は死んでいない。
 彼は魔物に打ち勝った。
 彼は私を助けてくれた。
 周りをいくら絶望で埋め尽くされようとも、私を救ってくれた彼が生きているだけで嬉しかった。

 私は彼に手を伸ばし「リュウ……ありがとう」と、お礼を言った。
 笑顔で答えるリュウ。
 私も笑顔で答えた。
 そして、私は急いで小柄な彼を担ぎ、秘密の地下室に逃げ込んだ。





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