第3話

文字数 2,132文字

 チン!
 到着のチャイムが鳴り、ようやくドアが開いた。出てみるとそこにはレストランが……無かった。
 そこにはまっすぐ通路が伸びており、蛍光灯が暗闇を照らしているが、その先は全く見えない。少なくとも数百メートルはありそうである。気温が低いせいか厚手のつなぎにも関わらす、鳥肌が立たずにはいられなかった。
 視界の隅に嫌なものが入った。まさかこれを使えと言うのだろうか?
「サイクリングでもしゃれ込もうじゃないか。最近運動不足だろ?」
「まだ続くのか。いい加減にしてくれ」
「ここまで来てそれは無いだろう。俺がどんな苦労をして予約を取ったか知らないくせに」
 怒り口調ではあったが富田の顔は晴れやかだった。何も知らされていない松崎の不安は益々募るばかりである。
「判ったよ。この先にレストランがあるんだな」自転車にまたがった松崎は明らかに渋い顔でペダルを漕ぎだした。
「ああ、約束する。最高の隠れ家だよ」富田もペダルに足を掛ける。
 隠れ家どころの騒ぎではない。これではまるで核シェルターである。
 重いペダルを漕ぎ続ける。松崎は息を切らせながらゆっくりと進んでいく。前方を走る富田からは悠々と鼻歌が聞こえてきた。
 進めど進めどゴールは見えない。足に疲労を感じる松崎は流れ出る汗を拭いながら懸命にペダルを動かし続けた。

 自転車を走らせること四十分。ようやく終わりが見えてきた。
 突き当りにはまたドアがあり、その横に自転車を止める。しかしまたヤバいものが置いてあるのを松崎は見逃さなかった。
「なんでこんなところにライト付きのヘルメットがあるんだ? それにナップサックや軍手まで」
「よく気が付いたな。さすがは松崎だ」
 さすがも何もそれしか置いていない。しかもこれ見よがしにである。これでは目に入らない方がどうかしているといえた。
「まさかとは思うが、この先は洞窟でもあるのか」
 そのまさかであった。富田は無言のままドアを開けると、その中には水の匂いを感じる洞穴が続いていた。一応ライトがあるものの、明らかに天然の鍾乳洞であり、道は上下左右に折れ曲がっている。
「ここを進めと言うのか? だからこんな格好なのか」
 改めて自分の格好を見ると、上下のつなぎがまるで囚人服に思えた。孤独な牢獄に捕らわれた、哀れな罪人。そんな気持ちになると、ここに来たことを後悔せざるを得ない。恨めしい目で富田を見ると、彼はしてやったりとばかりにスニーカーを鳴らした。
「さあ、ここからが本番だ。俺が先導するから後についてきてくれ」
「ここからが本番って、さっきも言ってなかったか?」
「そうだっけ? 覚えていないな」
 惚けるのもいい加減にしろと言いたかったのだが、ここはグッと我慢する。騒いだところでもう後戻りはできない。ひたすら前に向かって進むしかないのである。
 デコボコの通路には僅かに水が流れ、足を取られそうになった。何とか踏み留まるも、さしずめ探検隊の気分である。
 溜まった疲労の為に言葉を発しない松崎は、さっきから足取りの軽い富田を憎まずにはいられなかった。
 だまし討ちみたいな真似をしやがって。こんなに大変なら最初から言えってんだ。きっと富田も最初に連れて来られた時は、自分と同じ気持ちだったのだろうが、だからと言って親友である俺にこんな仕打ちは無いだろう。
 しかしどこまで続くのだろうか。ヒーローものの特撮ドラマに出てくる悪者のアジトだって、もう少しアクセスの良い場所を選ぶに違いない。
 喉が渇き、ナップサックから取り出したペットボトルのミネラルウォーターのキャップを捻る。口に当てようとした時に突然、ある音が聞こえてきた。
 バサバサバサッ! こうもりが現れた。
 驚きのあまり足を滑らせ尻もちを突く。お尻や軍手がぐっしょりと濡れ、つなぎも泥だらけである。当然ながら開けたばかりのペットボトルは半分以上が地面にこぼれ、残り少ない水を一気に飲み干す松崎であった。
 三百メートルほど歩いたところで道が二手に分かれている。両方とも明かりが続いており、富田はポケットから地図を取り出すと、こっちだと右を指さした。
「任せてくれ、もう何度も来ている」
 とはいうものの、分かれ道に着くたびに地図を広げて右や左へと進んでいくが、途中で行き止まりになり引き返したことも一度や二度ではない。
 さすがに空腹を憶えた松崎は休憩を取りながらナップサックをまさぐる。
「食べ物は無いぜ。着いてからのお楽しみだ」
「だからいつ着くんだ? 腹が減って力が出ない」
「子どもみたいなことを言うんじゃない。どうせいつもは会社の部下たちに根性出せとか言っているんだろう? 上司であるお前がへたばってどうする」
「それはそうだが、まさかこんな目に合うとは思ってもみなかったからな」
 松崎はがっくりと肩を落とし、薄靄(うすもや)色の目を富田に向ける。
「冒険にトラブルは付き物だ。会社だって人生だって、それこそお前の家族だって上手くいっていないとこの前俺にこぼしていたよな。忘れたとは言わせないぜ」
「これが冒険であることは認めるんだな。もしこの先にレストランが無ければ、お前を訴えるから覚悟しろよ!」
「大丈夫。俺を信用してくれ」
 そう言って腰を上げた富田は勢いよく足を進める。
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