四十

文字数 4,163文字


 翌朝、三人は谷口の事務所に集合し、作戦を練った――。
 そして大方の打ち合わせが終わったところで、作戦を開始した。もちろん、最前線の口火を切るのは谷口の役目であった。
「あー、谷口やが、社長はんいはりまっか」
「はい。少々お待ち下さい」
 谷口は送受話器の口を押さえながら、眼の前の二人に態度が変わっとると言った。
「村上です」
「どや。用意できたか」
「なんの用意ですか」
「なんのもクソもあるかい。口止め料の五百万や」
「そやから、なにを口止めしはるんですか」
「いつまでもとぼけとったら、承知せんど。ええか、こっちは、あんたがちゃっかりゼニをポッポないないしたことが書いたぁる文書持ってんにゃ。あんたの仲間の吉田いうおっさんが書いた小説や。それに保険金のことも、ちゃあんと書いたあるんや。
 わしも男や。約束は守る。どっかの誰かみたいに、ずるずる行ったろういう気は毛頭ない。すっぱり五百万で、その原稿と交換や。悪うない話や思うけどな……」
「し、しかし、五百万ともなると、そうおいそれとは……」
 谷口はそれを聞いて、おっ、乗ってきたぞと思った。
「ええか。いまから、受け渡しの時間と場所言うさかい。しっかり頭に入れとけ。場所は広隆寺の仁王門の石段上がったとこ。時間は今日の晩の八時十三分や。ええな」
「え、早口すぎて、その、もう一遍言うてください」
「時間は今日の晩、八時十三分きっかり。一分でも遅れたら、交渉は決裂や。場所は広隆寺の仁王門の階段の上や。わかったな。五百万入りのペーパーバッグは開けたらすぐ中が見えるように、紙袋の口は閉じんと持ってこい」
「げ、原稿は……」
「原稿は、中身が本物かどうか確認してから渡す」
「そんな――」
「心配せんでもええ。わしは約束は守る男や。お前が奇っ態な動きせんかぎり、わしもせん。ただし、いつなんどき、どんな変更があるかわからん。常時連絡できるように、いますぐそっちの携帯にこっちの番号も入れとけ」
「わかりました。いま入れます……。もしもし。村上です」
「ああ、わしや。よし、繋がったな。ほな、切るで」
 谷口は携帯を折りたたんで、ふうーっと長い溜め息を吐いた。
「さあ、これで相手がどう出るかや」
「果たして、くるでしょうか」
「うむ――」
「警察はどうする」
 里中が誰にともなく訊ねる。「例の権田さんにきてもらおうか」
「その前に、こうなった経緯を話さんと、どもならんわな」
「取り敢えず、伏見署まで行ってみるか」
「まずは、電話や。電話かけてみて、権田はんがいれば、それでよし。おらんかったら、しゃーない。例の佐々木はんでもええがな」
「わかった。かけてみるよ」
 里中は、権田からもらった名刺を取り出し、伏見署に電話を入れた。幸い権田は席を外しているが、署内にはいるようだった。
「権田さんがいた。いま席を外しているが、半時間ほどすれば戻ってくることになっているらしい。おっつけ連絡をくれるはずだ」
「そうか。権田はんなら、話速いわ」
 三人が今夜のことについて話していると、里中の携帯が鳴った。
「きた――」
 里中が二人に言って、携帯に出た。「はい。里中です」
「伏見署の権田です。先日はわざわざお越しいただきまして、ありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそ」
「なんか、お電話を頂戴しましたそうで……」
「ええ。それなんですが、例のホームレス、村上の居所が掴めましてね」
「ほう。そうですか。それはよかったですな」
「それが、よくはないんです」
「なんでですか。その男の行方を探ってらしたのではなかったので……」
「それはそうなんですが、その男が犯行を認めまして……」
「え。犯行を認めた――。どういうことです」
「つまり、あのとき言いました五千方円の一部を村上が着服したということです。実際には、三千七百方円ほどだったと思いますが、吉田が受け取った保険金だったんです。われわれは、村上がその金欲しさに吉田を殺害、ないしそれに近い行為をしたと思っています」
「そうなんでしょうかなぁ。実を言うと、あの小説のコピーが署にも保管してございましてな。里中さまがお帰りになってから、気になって読んでみましたよ。
 確かにあれには、色々と書いてございますが、あくまでもあれは小説ということで、必ずしも真実ばかりを書いたのではないと思いました。ところどころに矛盾点もありますし、思いのほうもいまひとつ一貫性がありません。
 確かに人間ですから、そういうこともありましょうが、やはり信頼性という観点からして全面的に証拠として採用するわけには行かないと思いました……」
「しかし、あれに書かれた内容は、心理描写や思いの陳述に関してはともかく、事柄そのものは実際に起こったことを書いています」
「それについては、わたしなりに裏は取らせてもらいましたよ。確かに保険金は下りておりますし、吉田栄一本人が受け取っているようではありますな。しかし、その金を村上が盗ったということについては、少し無理があるかと……」
「しかし、現に彼は、われわれの脅迫に乗ってきている事実があるんですよ」
「なんですか。その脅迫というのは――」
「刑事さんのことですから、もうすでにお調べ済みかも知れませんが、彼はクリーニングパパというクリーニング店をやっていました。
 単なるクリーニング屋ではなく、フランチャイズ展開をしているクールダックスという有名な会社のフランチャイジーになっていたんです。それも、ついこの間までホームレスをやっていた一文無しの男がですよ。刑事さんは、この事実をどう捉えられますか」
「そうですか。それは知りませんでしたなぁ」
「われわれは、その事実を突き止め、彼に保険金を横取りしたのを見た、口止め料として五百万円払えというブラフをかけてみました。すると、彼が乗ってきました。吉田の原稿と引き換えに五百万円を払うというのです。つまり、これは自分の犯行を認めたということになるのではないでしょうか」
「うーむ。それは、確かに問題ですな」
「現時点では、彼が吉田を殺したかどうかまではわかりませんが、ただ単に横取りしただけなのなら、それほど簡単に脅迫に乗ってくるでしょうか。やはり、ここは吉田を殺ったからこそのリアクションと捉えるのが順当だと思うのですが……」
「うむ。一考の余地は大いにありますな」
「しかし、ことは一刻を争うのですよ。一考の余地ありなどと、のんびり構えて議論を戦わせているときではないんです。逮捕状とまでは行かなくとも、警察としていますぐ彼を確保する手立てを考えてみてほしいんです」
「うーん。そこまでは……」
「実をいうと、今夜、八時十三分に広隆寺の山門で、彼と会うことになっています」
「え。今日ですか――」
 権田刑事は感心したように言った「八時十三分とはまた、中途半端な時間ですな」
「ええ。敢えてそうしました。人間、キリのいいところで約束しますと、却って遅れてきます。そういう細かい取り決めのほうが遅れずにやってくるのです」
「ほう。そんなものなんですかな……」
「それはともかく、警察としてはどうなのでしょう」
 権田の、いかにものんびりした対応に苛立ち、里中は語気を強めた。「ご協力いただけるのでしょうか。それとも、ご協力いただけないのでしょうか」
「いやいや、ご協力もなにも……。それが私どもの本務でございましてね。民間の方にそこまでご協力いただいたからには、警察としても動かざるを得ませんですよ」
「ありがとうございます」
「いずれにせよ、あのときも言いましたが、こういうことはわれわれプロにお任せいただいてですな。今後は、二度となさらぬようにお願いしますよ」
「では、きていただけるのですね」
「もちろん、行かせてもらいます。行かせてはもらいますが、われわれの了承なしにこのような動きは、二度となさらないと約束してくださいませんことには……」
「わかりました。これからは逐一、事前に報告させていただきます」
「その前に、一度お会いしてお話を伺いたいものですな」
「そうですね。ことは急を要しておりますので、いまからではいかがでしょう」
「ええ。構いません。行くとすればこちらからお伺いしますが、どこへどうすればよろしいですかな」
「いまわれわれは、この間、一緒にお伺いした谷口という者の事務所にいます」
「それは、どこにあるのですか」
「鳥丸丸太町の近くで、歩いて五分ほどのところです。きていただけるのであれば、お待ちします」
「念のため、住所と電話番号をお聞かせいただけますか」
 里中は、谷口に電話を代わり、住所と電話番号を言わせた。
 京都の、とくにこの辺りの住所は長すぎて、里中には覚え切れなかった。町名の勘解由小路町というのも説明しにくいし、上ル・下ル、西入ル・東入ルといった表示も、下立売が東西にある通りなのか、南北に走っている通りなのかがわからない里中のような身には、実にややこしかったのである。
「里中に代わらんでもよろしか。……そうですか。ほな、お待ちしとります」
 谷口は送受話器を下ろして言った。「いまからタクシーでくるらしいから、多分、半時間ほどで着くやろ」
「了解」
 里中が安心した風に続けた。「これで、村上を一定期間拘置できれば、なんらかの結論が引き出せるだろう」
「ああ。警察のこっちゃ、上手に吐かしてくれるんちゃう」
「吉田も安心するだろうね」
「まぁな――」
「で、われわれはどうするんです」
 三田が訊ねた。「その刑事さんたちに同行できるんですかね」
「さぁ、それはどうだろ。あの雰囲気では、駄目だと言うかも知れない」
「しかし、あいつをおびきだすんやったら、わしが出なしゃーないやろ。現場行ったら、いかにも刑事らしいのが待ってたら、一遍に引いてしまうで」
「そうですよ。少なくとも交渉人には行ってもらわないと……」
 三田が言った。「単なる通行人同士が擦れ違っても意味ないですからね。やはり相手とのコンタクトはとるべきです」
「ま、その辺の細かい打ち合わせは、刑事さんがきてからのことだ」
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