第60話一時帰宅の許可をもらうぞ

文字数 1,847文字

そして翌日となり、辰男は三澤さんに電話を入れ、明日にでも治療を行いたいという意向を伝えたのであった。
するとその場で直ぐにその承諾を得ることができ、明日の午前10時に三澤さんと雨宮元リーダーとが我が家へと来てくれて、その他に女性看護師2名も派遣してくれる事になったのである。
三澤さんは一刻を争うこととして捉え、今日明日にでも行動出来るようにと、手筈を整えてくれていたのであった。
その後辰男は娘たちと一緒に、真知子が入院している大学病院へ向かった。
真知子は2日前に一般病棟へと移っており、その病室に娘たちを残し、辰男はひとりで事務局へ向かうことにした。
そして真知子の一時帰宅を申請してみたのだが、即座に却下されてしまったのである。
しかしそれは、辰男にとって想定内のことであった。
真知子の今の容態からすると、それが当然だとは思っていた。
そこで辰男は次の手に出てみることにした。
「真知子の意識がまだあるうちに、貯金通帳や印鑑の保管場所を確認しておきたいので、5時間だけ外出許可を出して下さい。
その時の随行者として、看護師免許を持っている2名を、こちらで用意して付けます。
そして万が一のことが起きた場合には、私自身が全責任を負います」
と書いた念書を提出したのであった。
すると渋々とでは有ったのだが、なんとか翌日の外出許可を貰えることとなった。
そしてそのことを三澤さんに伝えると、我が家に直接向かわせる予定であった看護師さんたちを、9時にこちらの大学病院に向かうようにと変更してくれることになった。
そして運命の日がやってきた。
辰男と娘たちは朝食を軽く済ませ、和室に一組の布団を敷いてから、マイカーに乗り込み3人で病院へと向かった。
そして駐車場に車を置いてから真知子のいる病室に向かい、一時帰宅の準備を始めることにした。
3人で息を合わせ、ベッドの上に横たわっている真知子の体を起こし、ガウンを着させた上に、もう一枚、紫色のカーディガンを羽織らせてみたのだが、その時の真知子の目は虚ろであった。
その後、看護師さんたちの手も借りて、ベッドから車椅子へと移し替えた。
その時に辰男は、久し振りに真知子の体全体に触れてみたのだが、すっかりと筋肉も落ちてしまい、痩せ細ってしまったという印象を受けた。
その後、部長が紹介してくれた2名の看護師さんたちとも合流をして、予約してあった福祉タクシーに、真知子を車椅子ごと乗車させたのである。
そして辰男が運転する車が先導する形となり、自宅へと向かった。
それから暫くして到着し 、玄関のドアを開けてから
「ただいま~、ほらお母さん、おうちに帰って来たよ」
と祥子が語り掛けてみたのだが真知子は、うっすらと笑みを浮かべるだけで、言葉は出てこなかった。
そして廊下に新聞紙を敷き詰めてから、その上を車椅子ごと押して行き、布団の敷いてある和室の前へと到着した。
そこで看護師さんたちの手も借りて、真知子の体を抱え上げてから、布団の上へと移し替えたのであった。
するとその時、梓が真知子に白湯を飲ませてあげたいと言い出したので、辰男とふたりして真知子の上半身を起き上がらせた。
そして梓が、用意しておいたガラス製の水飲み器を右手に持ち、真知子の口元に宛てがってみたのである。
すると真知子は嬉しそうな表情をして、その飲み口に唇を当て、ゴクンゴクンと2度、3度、喉に流し込んでいった。
しかし癌が喉にも転移している為か、その度に目をきつく閉じて、痛そうな表情を見せていたのであった。
すると今度は祥子が、梓とは反対側に腰を下ろし、真知子の左耳に言葉を投げ掛けた。
「お母さん、早く元気になろうね。
元気になったら、何か食べたいものはある?」
すると真知子は意識が混濁する中、小さな声でこう呟いたのだ。
「お稲荷さんが食べたい」
その言葉を聞いた途端、娘たちが同時に咽び泣き始めたのである。
そして「お母さん、お母さんの作ってくれたお稲荷さん、とっても美味しかったよ。
小さい頃、お弁当箱の中に入っていると、とても嬉しかったんだ。
また元気になったら、一緒に作って皆んなで食べようね」
と祥子が言うと、梓も続いた。
「私も大好きだったよ。
お母さんの作ってくれるお稲荷さんは、世界で一番美味しかったよ。
また作ろうね」
すると真知子はニコリと笑い、頭を上下に小さく振ったのである。
そうこうしていると玄関のインターホンが鳴り、三澤さんと雨宮元リーダーも合流した。
そして辰男が、そのふたりに自分の家族を紹介したところで準備は整った。
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