にじゅうに

文字数 3,214文字

 3日連続で帰りが遅くなってしまったが、家に帰ると「おかえり」だけで済んだ。もうすっかり慣れてしまったのかもしれない。前例を作ることによって、段々と心理的な門限が段々と遅くなっていくのが容易に分かる。中学生になって夜布団に入る時間が遅くなっていくように、段々と大人に近づいて行っている感じがする。しかし、こんなにも遅い時間が続いてしまうと、本当に遊びたいときに遊べなくなってしまうかもしれない。私は大澤先生の言っていたように、普段から遊びすぎないようにしようと心に誓った。
 
 また一段と寒さが増した月曜日、朝から雨が地面を打ち付けている。私は布団からなかなか出られずにいる。学校に行くことに気が進まない気持ちを抑え、傘を右手に通学路を歩いた。クラスに入るのが怖くて、何度も家に引き返したくなった。気付けば金曜日の夏実の笑顔を何度も思い出していた。
 遅刻ギリギリの時間だったが、何とか朝のホームルームに間に合った。ガラッと教室のドアを開けると、残っている生徒の中で空席が2つあった。夏実と春海の席だ。私は席に着き、祈るような気持ちで教科書を机の中に入れた。すると、後ろのドアがガラッと開いた。夏実?・・・と後ろを見ると、そこには春海が立っていた。
「ギリギリセーフ!」
 朝から少し機嫌が良い様子だ。「おはよう」と何度も笑顔を振りまいている。春海が席に着いてから数十秒後くらいに、大澤先生が到着した。
「おはよう。はい委員長号令」
「起立、礼・・・着席」
 善行のトーンが少しだけ低く感じられた。先生は善行の方をチラッと見たが、クラス全体を見渡して出席状況を確認し始めた。
「えー、欠席はいないようだな。遅刻もいない。優秀、優秀」
 先生は少し話をした後、出席簿を閉じて教室を出て行った。春海の方に目をやると、飄々としている。夏実は仮にもずっと仲良くしていた友達だったであろうに、こんなにも平気でいられるだろうか。いくら佑太郎を自分のものにするためと言っても、夏実に投票してしまった後悔とか申し訳なさとかは一切無いのであろうか。
 春海に対する怒りや憎悪で沸々と胸の中を熱くなった。一方、善行はいつもより覇気が無く元気がない様子だ。夏実の左遷の裏工作を自分が加わってしまったことの罪悪感もあったのだろう。
 
 4時間目の授業が終わり、給食の時間となった。束の間の穏やかな時間ではあるが、善行は一向に箸が進んでいない。周りの生徒の話には上の空で、ずっと一点を見つめている。結局、配膳された量のほとんどを残してしまっている。昼休みのチャイムが鳴り、いてもたってもいられなくなった私は、思い切って善行を屋上に連れ出した。
「善行、今日なんか元気ないけど・・・どうかした?」
「う、うん・・・実は・・・いや、でもやっぱり言えないや」
「何よいまさら。夏実のことでしょ?やっぱり、気にしてるの?」
 恐らく春海は、『佑太郎に気があるから』という理由で夏実を左遷させた。しかし善行には、『勉強とかも含めてもっと自分の時間を作りたいから』と映っている。
 そう思っているのであれば、善行の中の正義に基づいて動いた結果なのであって、捉えようによっては仕方ないことなのかもしれない。
「うん・・・ちょっとね・・・」
 落ち込む善行を慰めようと、一歩近づいて言った。
「こんな結果になってしまったけど、善行は春海のためを思って、夏実への投票に協力をしたんでしょう?理由はどうあれ裏工作をしてしまったことは良くないかもしれないけど、善行なりの正義で動いたんだったら、仕方ないと思うよ」
 私がこう言っても、柵に両手を置いたまま顔を上げようとせずにいる。
「先週だって、夏実も一緒にゲームしたじゃない!きっと許してくれたと思うよ」
 善行が柵から手を離してこちらに近づいてきた。私の目の前で立ち止まって深呼吸を1つついた。
「夏実の左遷の件なんだけど、実は交換条件だったんだ・・・」
「交換条件?」
 想定していない答えが返ってきたので、私は一瞬善行の答えを呑み込めなかった。
「そう、交換条件。僕がある人を左遷させる代わりに、夏実を左遷させるって約束をした」博?なるほど、そういうことか。善行が春海と靴箱の裏で話していたのは博が投票される少し前のタイミングだった。
 博は、善行を差し置いてクラスで1番の成績だった。善行は博に続いていつも2位につけていた。私たちのクラスは、博に続いて善行、そして奈美の順で成績が良かった。事実上、この3トップが上位に君臨していた。奈美も左遷されてしまった以上、博がいなくなれば断トツでクラスのトップになれるのだ。つまり、春海が夏実を排除したい理由が何であるかどうかなんて、善行にとっては何ら関係がなかったのだ。
「博はいつも成績がクラスでトップだった。どうしても追い付き、追い越したかった。この前のテストの点数を教えてもらったんだけど、満点取っていたよ。あれだけ難しいテストだったのに」
 私にとっては善行でさえも雲の上の存在なのに、その善行でも敵わない博はどれほどの実力なのであろう。それも、優秀な善行にしか分からない領域なのかもしれない。
「僕は、委員長はクラスの模範であるべきだと思っている。普段の生活はきちんとしなければいけないし、勉強はクラスでトップでなければいけない。そう思っているんだ。だからこそ博には、実力でテストの点数を上回らないといけないと思っていたんだ。でも、それは無理かもしれないって思ってしまった」
 善行の目には、ほんの僅かの涙が浮かんでいる。
「善行の気持ちは分かるけど、だからと言って博を左遷してトップに立ったとしても何の意味もないよ!そもそも委員長の資質って、テストの点数だけで測れるものなの?真面目さとか、リーダーシップとか、他にも色々とあると思う」
 少し説教じみてしまったが、そんな善行の気持ちを否定するようなことは本当は言いたくはなかった。放課後の掃除や日直が不在のときのフォローなど、人が嫌がることを率先してやってきたからだ。
「そういう問題じゃなかったんだ。結果を出してこそ、人は付いてくる。僕が描いていた委員長像は、負けを許さなかった」
「左遷をさせて1番になったところで、やっぱりそれは本当の勝ちじゃない!」
「そんなことは分かっている。でも当時は、そんな簡単なことが分からないくらい必死だったんだ。本当僕って、最低だよね」
 イメージと大きく違っていたのでショックであったが、一概に責められるようなことではないと思った。誰しもが羨み、嫉妬は少なからず持っている。それを自分で律することができるかどうかで、行動に表れてくるような気がする。
 誰にも嫉妬をせず、誰とも比較をせず、自分自身を『背中で語る』というのは本当に難しいことなんだろうと思った。
「・・・」
 私は返す言葉が見つからなかったが、善行は穏やかな表情で続けた。
「初めて柚季たちとゲームセンターに行ったときのこと覚えてる?」
「もちろん、だって数日前でしょ?」
「そうだったね」と笑いながら立ち上がった。
「そのとき、僕がゲームセンターに行くのを意外そうな顔をしていたでしょ?驚くのは無理はないと思うけど」
「うんうん、藍美とも後日話したけど、本当に意外だったねって言ってたよ」
 善行が手を叩いて高笑いをした。
「本当はね。僕はゲームが好きだし、前にも言ったけど『イチジク♡SEVEN』っていうアイドルも昔から好きなんだ」
 うんうんと頷く私を横目に、屋上の柵に両手を置いてそっと呟いた。
「柚季たちと遊ぶようになって、自分らしく入れるようになったんだ。完璧じゃなくてもいいんだって思うと肩の力を抜けて、楽になったんだ。」
「うん、そう思えたならよかった」
「もっと早く柚季たちと仲良くなっていたら、博を左遷させずに済んだかもしれない」
 善行は少し柔和な表情になっていた。
「私、善行のこと好きだよ」
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