第二話 略してOOG
文字数 3,602文字
見上げるほど大きな男は、両手を前に突き出して突進してきた。
(僕を捕まえようとしている!)
間一髪で道の広い方に避ける。捕まったらどうにもならない。
男はなおも両手で掴みかかってくるが、ギリギリでかわす。男の動きはよく見える。
しかし男は、とつぜん蹴りを放った。いわゆるサッカーキックで、これも、見えてはいたものの、避けきれない。ガードしようとした手をはじかれた。そこに男のパンチが飛んでくる。反射的に目の前に両腕でガードを作ったが、男のパンチは僕の体重ごと吹き飛ばす。
後方に吹っ飛んで尻もちをついた。
しまった。これではよけられない。男が跳んでくる。
「やっぱねえ〜。子どもは、カルイ、ヨワイ、KKYだな!」
は?
耳元で突然、能天気な声が聞こえた。
「『ビギンバトル』って言えよ。助けてやるからさ」
KKYってなんだよお前こそKYじゃないか!と頭の片隅で思いながらも、すがる思いで、早口で「ビギンバトル」と唱えた。
瞬間、体の周りを柔らかい光が包んだ。
目の前に迫る男。視界が歪んだ―その次の瞬間、僕は男に、横から膝蹴りをかましていた。
体をくの字にひん曲げながら吹っ飛んだ男を、僕は見下ろした。
ん?ずいぶんと、高くから見下ろしている。
違和感。自分の手を見てみる。手が―黒い。そして表面が無機質で、まるで仮想空間ゲームの中でのグラフィックで作られた手みたいだ。ふつうにニギニギできる。タイムラグもない。
ふと地面を見やると、どこかで見たことある子ども…というか、明らかに「僕自身」が、ぼんやりした光に包まれて眠っている…ように見える。
どういうことだ?
「ワルモノ、ハヤク、追っ払う!略してWHO!!」
それじゃ保健機関だよ…とツッコむまもなく、体が動く。かろうじて立ち上がった男に強烈な足払いをかけると、男はまるでマンガのように空中を横回転した。
「ぎゃっ!」
正確には、「足払いをかけよう」とイメージしたら、体が勝手に動いた感じだった。続けて、倒れた男に馬乗りになる形で両肩をヒザで押さえ、大きくパンチの構えを取ると、男は口から泡を吹きながら「許してくれえええ!!」と叫んだ。
「テクニカルノックアウト、略してTKO!ん?フツーだな」
僕は言った。
え?僕が言ったの?
「対人戦闘は『危険回避』以外にはやっちゃならねえ。殴ったりしたら死んじまうぞ。」
自分がしゃべっているように、頭の中に直接声が響く。僕は我に返る。
身体が思ったとおりに気持ちよく動くからだろうか。我を忘れていた。危ない危ない。たしかにこれ以上攻撃する必要はない。
僕は男を解放すると、ちゃんと言うべきことを言う。
「ぬ、盗んだカバンを置いて、立ち去りなさい」
男は何度か足を滑らせながら、声も出さずに一目散に走り出した。
ほっ…。
危機は去った…が、あらゆる違和感が押し寄せてくる。疑問が多すぎて何がなんだか…。
後ろに気配を感じて振り返ると、大人の女性が立ってこちらを見ている。大人なのに僕よりもだいぶ小さいのはなぜだろう?女性は、怖かったのか心配していたのか、目が潤んでいる。あ、たぶんカバンを引ったくられた人だ…。直感的に理解。カバンは大丈夫ですよ、と言おうとしたとたん、女性が逆に言った。
「擬体…!こんなに近くで、初めて見たわ!!」
は?
僕は部品屋のガラス扉を見る。
そこには、細身の黒い体に青いLEDテープが貼られたような、人型の…、たしかに僕たちの日常には明らかに不釣り合いな、そしてスタジアムで見た戦士たちと似た、つややかな質感の、なんとも言えないものがつっ立っていた。
「おれが、おまえの、擬体!略してOOG」
僕自身が、そう言った。
っ…!!
擬体…だって?それが何を意味しているか、この世界で知らない者はいない。
まさか…。
僕が選ばれたのか?いや…、選ばれてしまったのか…??
「マジマ アキハル、12歳。お前はこの地区、アキバディストリクトの選手(ハンドラー)に選ばれた」
僕は、またアルファベット3文字の略称が出てくるのだろうとしばらく待ったが、来なかった。代わりに関係ないことを訊かれた。
「『アキハル』ってさあ、秋なのか春なのかどっちなんだ?AHD?」
どっちでもない、僕は冬生まれだ…と思いつつも、不愉快だから黙っていた。ノリの軽い声は続けた。
「そろそろ離れてもいいんじゃねえかな。『エンドバトル』…と言えよ」
僕はつぶやいてみる。「エンドバトル」
内臓ごと引っ張られるようなGを感じ、視界を失った。数秒(?)の後に目を開けると、僕は地面に座り込んでいた。
目の前には、大人の平均よりは少し背が高いくらいの、痩せ型の黒い擬体が、腕組みをしている。ちょっと悪魔っぽいのは気のせいだろうか。
そいつは言った。
「決まりなので、念のため言うぜ。お前はこのオレと、クルセード・ロワイヤルに参戦することに決まった。拒否はできねえ。逃げることもできねえ。まずはこのアキバディストリクトの中で勝ち残り、スタジアムでの本戦を目指す。」
僕の頭の中を、言葉が空虚に通り抜けていく。
ハンドラー…。クルセード・ロワイヤル…。
僕が呆気に取られて黙っていると、黒いヤツは急に媚びるように言った。
「だぁいじょうぶだってぇ〜!オレは相当強い擬体だと思うよ。たぶん。きっと。知らんけど」
なんという軽い語調だろうか。反射的に不快感を覚える。神聖なるクルセード・ロワイヤルに不似合い…というか、不謹慎じゃないか。
「ま、心配すんなって。まずは作戦会議だ。こんなところでボケっとしていると、いつバトルが始まっちまうかわからねえ」
そんなこと唐突に言われても困る。こっちはまだ、心の準備ができていないのだ。
「おまえの・やることは・多い!OYO!」
なんだそりゃ…。
「とりいそぎ、質問がある」僕は言った。
「なんでおれが選ばれたんだ?」
「しらん。」
なんちゅう役立たず…。僕は心の中で毒づいた。
「まあ、お前がオレと、一番相性が良かったってことだ」
「おれはなんにもできないよ。格闘技なんて小1でちょっとかじっただけだし」
「Oh、気にすんな。なんにもできないってのは、これからなんでもできる、と同じかもしれねえ。NNO!」
しかし、しかしだ。あらためて、まさか、まさかだ。
僕がクルセード・ロワイヤルに出る、だと?
それって…たいへんなことだぞ…。
この世界・ティルナノーグは、『偉大なるクルセーダー』により守られ、維持されている。それは誰でも知っている。ティルナノーグを取り巻く宇宙には様々な邪悪があり、クルセーダーがティルナノーグに流れ込まないように阻止しているのだそうだ。年に一度クルセーダーをマグ・メルに旅立たせることで、その秩序は維持されている。
マグ・メルとはどんなところだろう?クルセーダーはどのような生活を送り、どのようにティルナノーグを護っているのだろう?それは、ティルナノーグの民すべてにとってのあこがれであり、謎でもあった。
その偉大なるクルセーダーを決める大会―そして、各地区の威信をかけたイベントが、クルセード・ロワイヤルなわけだ。出場するのであれば、それなりの結果がほしい。あっさり負けようでもしたら学校や家族からの白い目が怖い。もともと期待していなかった人生がより一層灰色になる。
だが、地区大会で勝ち残れば、その後の人生は安泰。それが優勝ともなれば、長年語り継がれる伝説の存在になる。
誰もがその成り立ちと栄誉を疑わない―それがクルセードロワイヤルだ。
だが…僕は幼い頃から、どうしてもしこりのような違和感を感じていた。
マグ・メルに旅立ってしまえば二度と、誰も帰ってこないのに、なぜクルセーダーが無事だとわかるのか?その『謎』について、世界全体が黙殺している。「神事」に疑義を投げかけるような発言はしないほうがいい、それくらいは分かる。
だから…。「がんばる」しか…ないのか。ないのだろう。
まずは楽観的に、優勝の可能性について考えてみる。54人の選手の中で一人だけ生き残ること。確率にすると、たったの2%弱。むむ、さすがにそんな戦いに勝てるわけない…。
ん、待てよ…?僕は思い返した。数か月前に行われた「COLD DUNGEONS」の大会には、120人程が参加していた。そこで…僕は優勝したのだ。確率の話だけでいえば、やってやれないこともないのかもしれない。戦略を立て、しっかり反復練習すれば、あるいはイケるのではないか。
「たぶん、勝てるぜ、元気だせ!…略してTKG!」
…いやいや、やっぱり全然ダメだ。
そもそも僕に戦えるイメージは無いし、どう考えてもこの擬体は54体中、最悪だ。はあ。
これは厄介なことになった。悪条件からのゲームスタート。拒否権なし、待ったなし・・・。
僕の気持ちとはうらはらに、秋葉原の路地には、AOIが歌う「ハートにルージュ!?」の軽快なシンセ・ソロがむなしく流れていた。
塀の上で、灰色の猫がぐっぐっ、と笑うのが見えた。
(僕を捕まえようとしている!)
間一髪で道の広い方に避ける。捕まったらどうにもならない。
男はなおも両手で掴みかかってくるが、ギリギリでかわす。男の動きはよく見える。
しかし男は、とつぜん蹴りを放った。いわゆるサッカーキックで、これも、見えてはいたものの、避けきれない。ガードしようとした手をはじかれた。そこに男のパンチが飛んでくる。反射的に目の前に両腕でガードを作ったが、男のパンチは僕の体重ごと吹き飛ばす。
後方に吹っ飛んで尻もちをついた。
しまった。これではよけられない。男が跳んでくる。
「やっぱねえ〜。子どもは、カルイ、ヨワイ、KKYだな!」
は?
耳元で突然、能天気な声が聞こえた。
「『ビギンバトル』って言えよ。助けてやるからさ」
KKYってなんだよお前こそKYじゃないか!と頭の片隅で思いながらも、すがる思いで、早口で「ビギンバトル」と唱えた。
瞬間、体の周りを柔らかい光が包んだ。
目の前に迫る男。視界が歪んだ―その次の瞬間、僕は男に、横から膝蹴りをかましていた。
体をくの字にひん曲げながら吹っ飛んだ男を、僕は見下ろした。
ん?ずいぶんと、高くから見下ろしている。
違和感。自分の手を見てみる。手が―黒い。そして表面が無機質で、まるで仮想空間ゲームの中でのグラフィックで作られた手みたいだ。ふつうにニギニギできる。タイムラグもない。
ふと地面を見やると、どこかで見たことある子ども…というか、明らかに「僕自身」が、ぼんやりした光に包まれて眠っている…ように見える。
どういうことだ?
「ワルモノ、ハヤク、追っ払う!略してWHO!!」
それじゃ保健機関だよ…とツッコむまもなく、体が動く。かろうじて立ち上がった男に強烈な足払いをかけると、男はまるでマンガのように空中を横回転した。
「ぎゃっ!」
正確には、「足払いをかけよう」とイメージしたら、体が勝手に動いた感じだった。続けて、倒れた男に馬乗りになる形で両肩をヒザで押さえ、大きくパンチの構えを取ると、男は口から泡を吹きながら「許してくれえええ!!」と叫んだ。
「テクニカルノックアウト、略してTKO!ん?フツーだな」
僕は言った。
え?僕が言ったの?
「対人戦闘は『危険回避』以外にはやっちゃならねえ。殴ったりしたら死んじまうぞ。」
自分がしゃべっているように、頭の中に直接声が響く。僕は我に返る。
身体が思ったとおりに気持ちよく動くからだろうか。我を忘れていた。危ない危ない。たしかにこれ以上攻撃する必要はない。
僕は男を解放すると、ちゃんと言うべきことを言う。
「ぬ、盗んだカバンを置いて、立ち去りなさい」
男は何度か足を滑らせながら、声も出さずに一目散に走り出した。
ほっ…。
危機は去った…が、あらゆる違和感が押し寄せてくる。疑問が多すぎて何がなんだか…。
後ろに気配を感じて振り返ると、大人の女性が立ってこちらを見ている。大人なのに僕よりもだいぶ小さいのはなぜだろう?女性は、怖かったのか心配していたのか、目が潤んでいる。あ、たぶんカバンを引ったくられた人だ…。直感的に理解。カバンは大丈夫ですよ、と言おうとしたとたん、女性が逆に言った。
「擬体…!こんなに近くで、初めて見たわ!!」
は?
僕は部品屋のガラス扉を見る。
そこには、細身の黒い体に青いLEDテープが貼られたような、人型の…、たしかに僕たちの日常には明らかに不釣り合いな、そしてスタジアムで見た戦士たちと似た、つややかな質感の、なんとも言えないものがつっ立っていた。
「おれが、おまえの、擬体!略してOOG」
僕自身が、そう言った。
っ…!!
擬体…だって?それが何を意味しているか、この世界で知らない者はいない。
まさか…。
僕が選ばれたのか?いや…、選ばれてしまったのか…??
「マジマ アキハル、12歳。お前はこの地区、アキバディストリクトの選手(ハンドラー)に選ばれた」
僕は、またアルファベット3文字の略称が出てくるのだろうとしばらく待ったが、来なかった。代わりに関係ないことを訊かれた。
「『アキハル』ってさあ、秋なのか春なのかどっちなんだ?AHD?」
どっちでもない、僕は冬生まれだ…と思いつつも、不愉快だから黙っていた。ノリの軽い声は続けた。
「そろそろ離れてもいいんじゃねえかな。『エンドバトル』…と言えよ」
僕はつぶやいてみる。「エンドバトル」
内臓ごと引っ張られるようなGを感じ、視界を失った。数秒(?)の後に目を開けると、僕は地面に座り込んでいた。
目の前には、大人の平均よりは少し背が高いくらいの、痩せ型の黒い擬体が、腕組みをしている。ちょっと悪魔っぽいのは気のせいだろうか。
そいつは言った。
「決まりなので、念のため言うぜ。お前はこのオレと、クルセード・ロワイヤルに参戦することに決まった。拒否はできねえ。逃げることもできねえ。まずはこのアキバディストリクトの中で勝ち残り、スタジアムでの本戦を目指す。」
僕の頭の中を、言葉が空虚に通り抜けていく。
ハンドラー…。クルセード・ロワイヤル…。
僕が呆気に取られて黙っていると、黒いヤツは急に媚びるように言った。
「だぁいじょうぶだってぇ〜!オレは相当強い擬体だと思うよ。たぶん。きっと。知らんけど」
なんという軽い語調だろうか。反射的に不快感を覚える。神聖なるクルセード・ロワイヤルに不似合い…というか、不謹慎じゃないか。
「ま、心配すんなって。まずは作戦会議だ。こんなところでボケっとしていると、いつバトルが始まっちまうかわからねえ」
そんなこと唐突に言われても困る。こっちはまだ、心の準備ができていないのだ。
「おまえの・やることは・多い!OYO!」
なんだそりゃ…。
「とりいそぎ、質問がある」僕は言った。
「なんでおれが選ばれたんだ?」
「しらん。」
なんちゅう役立たず…。僕は心の中で毒づいた。
「まあ、お前がオレと、一番相性が良かったってことだ」
「おれはなんにもできないよ。格闘技なんて小1でちょっとかじっただけだし」
「Oh、気にすんな。なんにもできないってのは、これからなんでもできる、と同じかもしれねえ。NNO!」
しかし、しかしだ。あらためて、まさか、まさかだ。
僕がクルセード・ロワイヤルに出る、だと?
それって…たいへんなことだぞ…。
この世界・ティルナノーグは、『偉大なるクルセーダー』により守られ、維持されている。それは誰でも知っている。ティルナノーグを取り巻く宇宙には様々な邪悪があり、クルセーダーがティルナノーグに流れ込まないように阻止しているのだそうだ。年に一度クルセーダーをマグ・メルに旅立たせることで、その秩序は維持されている。
マグ・メルとはどんなところだろう?クルセーダーはどのような生活を送り、どのようにティルナノーグを護っているのだろう?それは、ティルナノーグの民すべてにとってのあこがれであり、謎でもあった。
その偉大なるクルセーダーを決める大会―そして、各地区の威信をかけたイベントが、クルセード・ロワイヤルなわけだ。出場するのであれば、それなりの結果がほしい。あっさり負けようでもしたら学校や家族からの白い目が怖い。もともと期待していなかった人生がより一層灰色になる。
だが、地区大会で勝ち残れば、その後の人生は安泰。それが優勝ともなれば、長年語り継がれる伝説の存在になる。
誰もがその成り立ちと栄誉を疑わない―それがクルセードロワイヤルだ。
だが…僕は幼い頃から、どうしてもしこりのような違和感を感じていた。
マグ・メルに旅立ってしまえば二度と、誰も帰ってこないのに、なぜクルセーダーが無事だとわかるのか?その『謎』について、世界全体が黙殺している。「神事」に疑義を投げかけるような発言はしないほうがいい、それくらいは分かる。
だから…。「がんばる」しか…ないのか。ないのだろう。
まずは楽観的に、優勝の可能性について考えてみる。54人の選手の中で一人だけ生き残ること。確率にすると、たったの2%弱。むむ、さすがにそんな戦いに勝てるわけない…。
ん、待てよ…?僕は思い返した。数か月前に行われた「COLD DUNGEONS」の大会には、120人程が参加していた。そこで…僕は優勝したのだ。確率の話だけでいえば、やってやれないこともないのかもしれない。戦略を立て、しっかり反復練習すれば、あるいはイケるのではないか。
「たぶん、勝てるぜ、元気だせ!…略してTKG!」
…いやいや、やっぱり全然ダメだ。
そもそも僕に戦えるイメージは無いし、どう考えてもこの擬体は54体中、最悪だ。はあ。
これは厄介なことになった。悪条件からのゲームスタート。拒否権なし、待ったなし・・・。
僕の気持ちとはうらはらに、秋葉原の路地には、AOIが歌う「ハートにルージュ!?」の軽快なシンセ・ソロがむなしく流れていた。
塀の上で、灰色の猫がぐっぐっ、と笑うのが見えた。