第28話 愛情を尊重にかえても

文字数 1,043文字

親子のすれ違い。
関係のねじれ。

考えれば考えるほど、やりきれない気持ちになりました。

今はずいぶん前向きな気持ちになることができています。


私なりの考えなのですが……。

「愛情」という言葉を持ち出すから話がややこしくなっていませんか?

親が子を「愛しているから」と信じて疑わない。その上ですることなら全て許されると。こどものためになるのだと。

その「愛している」や「愛情」を、「尊重」にかえても成立しますか?

なんの文句があるんだ! こんなに「愛している」のに

なんの文句があるんだ! こんなに「尊重している」のに

やっぱり後者は違和感があるように感じます。

成り立っていないように思うのです。

そこに「尊重」がないのではないでしょうか。

親が子をしつけと称して虐待するのも、愛を振りかざして配偶者やパートナーを苦しめるのも同じなのではないでしょうか。

赤の他人に「愛」を振りかざして自分のすき放題するなんてことありませんよね。
場合によっては犯罪です。

それが、親子なら、夫婦なら、恋人なら許されるのですか?

私のすきなことばに「terima kasih テレマカシー」ということばがあります。
マレー語の「ありがとう」です。

そのまま訳すと
「あなたの愛を受け取りました」
という意味になるそうです。
それが感謝のことばになるのがとてもすてきだなぁと思ってすきなんです。

Hey!Say!JUMPの『「ありがとう」〜世界のどこにいても〜』という、これまただいすきな曲の歌詞に出てきて学びました。

コンサートに行ってもいつも、JUMPのみなさんに「テレマカシー!!」と心のなかで叫んでいます。
「愛を受けとりましたよ〜(*´∇`*) ありがとう〜!!」って。
ファンは愛されてるって思うんです。

「愛をおくる」
「愛をうけとる」

愛の渡し合いならうまくいきます。

「愛だ。さあ、受け取れ」
「えっ……」

という状態では「ありがとう」となりません。

そこに「尊重」がなかったら、ただの「暴力」なのではないでしょうか。

「愛情」という概念の取り扱いは相当難しいのだと思います。

そんな難しいものを行動の裏付けにせずに「相手を大切にする」「尊重」でいいのではないでしょうか。

私は自分が扱える範囲のもの、身の丈にあったものを携えたいと思います。

「愛情」は、私には難しいです。

「こんなにすきなのに」となると事がこじれていくように思います。「こんなにすき」なのは、私の勝手なのです。

それを免罪符のように、印籠のように使うことのないように気をつけたいと思います。

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