その5の1 俳優修業

文字数 1,348文字

(2008/12/28)

 自分の戯曲を演出したくて、演出家の修業をしようと決心した。理由は単純だ。稽古場にいたいからだ。
 いったん演出家に渡してしまうと、戯曲は劇作家の手を離れる。その後は劇作家は蚊帳の外。ひとりぼっちで本番まで待たなくてはならない。さみしい。

 私の処女作(ところでどうして作家が男性でも「処女」なのでしょうか。「童貞作」とはどうして言わないのでしょうか? 後でじっくり考えてみようっと。)の初演の時は、演出家さんが寛大にも、私を稽古場に入れてくれた。舞いあがって、ついいろいろ口出しして、大ヒンシュクを買ってしまった。稽古場では演出家が舵を握っている。そこへ横から手を出されたら、当然、船は大揺れする。
 思い出すたびに冷や汗が出る。演出家さんも俳優さんたちも、よく許してくれたと思う。いや、じつは許されていないのかもしれない。
 ……
 考えないでおこうっと。

 演出家の立場からすれば、劇作家なんていうものは、シェイクスピアみたいに死んでくれているのがいちばんありがたい。でも、申し訳ないことに、私はまだ生きている。
 それなら自分が演出家になっちゃえ、と無謀な決心をしたわけだ。

 さて、演出家になるには、どうしたらいいのでしょう?
 作・演出・主演をこなす世の多くの劇団主宰の方々からの、アホか!!というツッコミが、脳内空間にガンガン響いてくる。でも、真実、本気で、マジで、どうしたらいいかわからなかったのです。私は、ある日天のお告げを受けて(ウソ)突然戯曲を書きはじめるまでは、劇場になんてろくに足を運んだことがなかったのだ。

 演出家の方は、たいてい、俳優か舞台監督・演出助手などの修業を積んできている。まずは私も、女優修行から始めることにした。こういう変なダンドリを踏みたがるのが私のバカなところだけど、バカなんだから、しかたない。

 私の女優歴は小学校の学芸会でストップしている。五年生のときの役は「村の子ども十四」で、台詞は二行しかなかった。文末に「だべ」がついていた気がする。
 三年生のときの演目は「さるかに合戦」で、私の役は「牛のフン」だった。
 悪いサルは、クリにはぜられハチに刺され、ほうほうの態で逃げ出して、戸口を出たところで牛のフンを踏んでずるっとすべる。そこへ、どーん! ウスがとび乗って、大団円。
 なのだけど。

 牛のフンですよ、牛のフン。
 これでも女の子なのに。

 台詞をもらった記憶はない。「そうだ、そうだ」くらいは言ったかもしれない。演技といっても、手足をちぢめてうずくまっていて、サル役の子に踏まれるだけだ。
 しかも、お面を自分で描かされた。画用紙で輪っかを作ってかぶれるようにして、そこにそれぞれの役の絵を貼りつけるのだ。黄色と茶色と黄土色のクレヨンをにぎってぐるぐる回しながら、「同じ茶色なら、クリがよかったな」と悲しくなった。
 クリ役は同じクラスのカオルちゃんで、みつあみのおさげの似合う、文句なしの美少女だった。お嫁さんにしたい女子ナンバーワンでもあった。どう見ても、勝ち目はなかった。

 それでもやっぱり楽しかったのだ、「さるかに合戦」。
 踏まれたって、牛のフンだって、コートの中いやいや舞台の上では平気なの、かもしれない(昭和だ)。

(5の2につづく)
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