【斜にかまえない部屋】

文字数 3,607文字

ここは「斜にかまえずに」「超素直な目で」感想を言い合う場所……

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*引用はテキストを「 」にコピペでお願いします


8:1イエスはオリーブ山へ行かれた。8:2朝早く、再び神殿の境内に入られると、民衆が皆、御自分のところにやって来たので、座って教え始められた。8:3そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ 8:4イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。8:5こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」 8:6イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。8:7しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」 8:8そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。8:9これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。8:10イエスは、身を起こして言われた。「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」8:11女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」

yomogi

さてさて、それでは「斜にかまえない」意見スタート!……それぞれの素直でピュアな心が試されますな。

「イエスを試して、訴える口実を得るために」姦通の現場にいた女性を晒すとか、まじでよくない。クソ野郎どもに見えるな。
イエスに言われて、反論できないから素直に受け止めるファリサイ派や律法学者もただの嫌なやつじゃなくて、それぞれ真剣に向き合うべきものと向き合ってはいるんだよな
年長者からいなくなったってのは、年取るほど人は罪が増えるってことなのか、罪を自覚しやすいのか、なんなのか。年長者ほど意固地なイメージあるけど、けっこうここにいた年寄りは素直に悔い改められたのな。
>みんな、結局モーセの律法じゃなくてイエスの言葉に従うのね。 (【斜にかまえない部屋】より)

ファリサイ派も律法学者も文句言わずに引っ込んだのを見ると、ある意味謙虚に相手の言うこと聞いてたのかも……人の話に耳を傾ける姿勢、嫌いじゃない。

>「イエスを試して、訴える口実を得るために」姦通の現場にいた女性を晒すとか、まじでよくない。


そこで彼女をまじまじと見ないで地面に何か書いてるイエス、マジ紳士。

罪を犯してると確信しつつも(「もう罪を犯してはならない」)、その言質を取らずにいるというのは人が人を裁いてはならないというのを徹底してるのかな
解説にもあったけど、ここでイエスがスーパーヒーローな感じで女性を助けたわけじゃないってのは大事だと思う。結局誰もが罪びとって事実から、どう振舞うべきかって話に感じた。イエス自身も最後のセリフのように、どこか疚しさがあるようにみえる。救い主であるはずのイエス自身が、どこかお茶を濁すような形でしか、罪を犯した人が生きていける世界を語り得なかったと思うととてもリアルな苦悩をイエスも抱えていたのではないかと思える。
女が「主よ、だれも」って言わなければ、律法学者たちが「女が罪を犯した」こととしたことになってしまってイエスの行動が無価値なものになるし、それでもイエスは直接聞くし、結構な綱渡りしてるなあ
この話って、イエスをやり込めようとした律法学者やファリサイ派が「やり込められた」話なのか、イエスの言葉を聞いて本当に殺すつもりだった行動を「変更した」話なのかで、彼らへの評価が分かれますな。後者だったら、頑固なイメージの彼らが「斜にかまえずに」イエスの言葉に従ったわけだから。
この女性、一時的に助かったけど、正直なところ「行きなさい」って言われても、帰る場所ないように感じるんだけど……夫にも親にも近所にも顔向けできないから、万事解決の話じゃないよねっていうのが素直な感想になりそう。
罪を犯した場面で現行犯逮捕した女をこのまま放置して帰ってよかったんだろうか…犯人をきちんとした手続きで何か罰しなくて律法学者たちは怒られないのか…
「私もあなたを罪に定めない…これからはもう罪を犯してはならない」は矛盾しているようにみえる。けれど、罪を犯したって事実を知ったとしても、それを罪として定めるか定めないかは別。認識と判断の違いか。たとえ、裏切りなどの罪を犯したと知っても、その人を罪人として罰する判断をするかは、人に委ねられている。モーセがこう書いたから、ではなく、あなたはその事実の前でどう判断(judge)するのかとイエスは問うている。この姿勢は、周りから見れば矛盾しているんだろうけど、「あなたが罪を犯したのは知っているが、私はあなたを罪に定めない。もう罪を犯してはならない」というイエスの判断は大人の重い決心を感じさせる。
> とてもリアルな苦悩をイエスも抱えていたのではないかと思える。

> 万事解決の話じゃないよねっていうのが素直な感想になりそう。


まさに罪を犯すと誰も幸せにならないって話なのかな

>8:4「……この女は姦通をしているときに捕まりました」

実はこの女性……律法学者やファリサイ派の中の誰かの妻だった? それなら朝っぱらから現行犯逮捕できたのも、彼らがワァーッとしつこく尋ねてくるのも分かる気がする。


「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」

一言も罪が許されるとは言っていないわけで、やはり姦通という罪を犯したって事実はこの女性に残り続けるんですよね。。。

石打で死ぬよりかはいいかもしれないけど、これはこれで重いことだなあ。

>まさに罪を犯すと誰も幸せにならないって話なのかな

 罪を犯すと誰も幸せにならない。それは人が、罪を犯した人を罪に定めて、石を投げるような事態を招くからだろうね。ただイエスが、「罪を犯したことのない者が、この女に石を投げなさい」と言った時、「でも、みんな罪を犯してるよね」って事実から、どう人は幸せに生きることができるんだろうかという問いも投げかけているのだと思った。


どんどん人が帰っていく中で、最後の方まで残ってた人はどんな気持ちで残ってたんだろうか。先に帰ってしまう人への怒りやイエスの発言に従う人たちにくやしさを感じながらも自分自身もどうしても従うしかない雰囲気。

>お尻ペンペンさん 「私もあなたを罪に定めない……これからはもう罪を犯してはならない」


なるほど。「人の罪を罰すること」と「その罪を繰り返させないこと」は必ずしも同じじゃないよ……って話なのかもしれませんね。

この時代だからこうやって罪を咎めずに反省するようなことができたけど、これを現代に置き換えるとすごく難しい。自分で自分を戒める必要があるわけだけど、世界が広がれば広がるほど自分だけで、もしくは自分たちだけで戒めるだけでは成り立たない世界が出て来るというか。

やはり誰かをさばく(何かを指摘したりする)場面も絶対に出て来るし、でもできればそれはしたくない。

この箇所は、モーセを権威に引っ張ってきた律法学者たちを論破したイエスという、いつものあるある構図ではないようにみえる。むしろ、姦通した者は石打ちにするという法を前に、イエスは自分自身の姿も見せながら「戸惑う」ことの大事さを教えているのだろうな。
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登場人物紹介

【ヤドナシ】

アイコンは幽霊だが中の人は現役牧師。第2回聖書ラノベ新人賞「大賞」を受賞し、季刊雑誌Ministryで『超常バトルで読み解く神学序説!』を連載中。本企画の司会進行を担当するぞ。

【お尻ペンペン丸】

元学生YMCAの若手シニア。ペンギンなので泳ぐ時はまっすぐ派……斜にかまえられるかちょっと心配らしい。

【おなかじんじん】

マックで真理を話す女子高生を自称している。聖書はプランクトンと同じくらい大切に思っているそうだ。

【限界サラリーマン】

日常生活で限界が来ててもこの企画には参加する……聖書に物申す彼のひたむきさは今日も健在だ。

【ひらちゃん】

類まれなるセンスで聖書に突っ込む学Y若手シニアのダークホース……笑いを誘うコメントからは目が離せない!

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