第2話 智識結

文字数 1,123文字

 正直、仏の教えはようわからんけど、仏法をお説きになるお上人さんのイキイキと動く目や口元を見るのは好きやった。
 穏やかに話すこともあれば、ときには厳しいことを言いはることもある。目を見開いて私らを教え諭すんや。その真剣な眼差しに動けなくなったもんや。
 うちらのお上人さんは、仏はすべての民を。うちらのような女さえも、見ていてくださると言いはった。生まれながらに汚れていると言われた奴婢さえもや。なんてありがたいことやろう。気づいたら、涙が溢れたことも一度や二度ではなかった。

 そんなお上人さんの教えと人柄に惹かれて、道で説法をするたびにどんどんお弟子さんが増えていったらしい。多いときは200人くらいがお上人さんのもとに集まっていたと思う。その中には、お上人さんと同じように寺を出たお坊さんや尼さんも多かった。
 何しろ当時は、やれ尊い人が病気したいうてはどんどん出家を増やしとったから、寺の数と僧の数があわへん。朝廷が寺を増やすようにとお触れを出したら、今度はお布施目当てに建てた寺とは名ばかりものが増えてしもた。そういうところは待遇も悪い。結局おられんようになって、お上人さんのような偉いお坊さんのところに集まるねん。
 出家やなくても。在家でお上人さんに帰依する者もたくさんおった。さらにうちらみたいなお上人さんと一緒に行動する者たち。さらに、集団を渡り歩く職人たちも出入りして、ともかくお上人さんのまわりはいつもたくさんの人がいて雑多で活気があったわ。


 そんな大集団で集まって何をしてたか?そら、あんた、「智識(ちしき)」の仕事や。
 あんたらの時代は知らんけど、うちらの頃は毎年川が暴れるし、水か枯れるし、疫病もあったから、堤が欲しい。橋を掛けたい。溜池が欲しい。寺が欲しい。という要望は絶えへんかった。
 たとえば、河内に橋を掛けたい人がおるとするやろ?お上人さんに相談すると、お上人さんはすぐさま帰依する者たちを集めてこう呼びかけるんや。

「河内に橋を掛けるための智識結(ちしきゆい)を立ち上げます。どうぞ勧進なされ。」

 そのお上人さんの呼びかけは信徒を通じて、東は越後越中、西は筑前筑後まで伝わる。そして物を出せるものは物を、銭を出せるものは銭を。出せないものはやってきて働くんや。そうやって、みんなの力を合わせて橋を掛ける。

 なんでこんなことをするんかって?
 できたものに名が刻まれたり、土地の人に感謝されたりするのもうれしい。でも何より、お上人さんが心から感謝してくれるのが、一番の喜びやねん。
「ありがとうありがとう。これであなたも菩薩に近づきます」
そう言って、ひとりひとりの手を握って涙を流している姿を、何度見たことか分からへん。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み