時間よ、止まれ!

文字数 1,533文字

 俺には、不思議な能力があるらしい。
 あれはまだ、子どもの頃だった。ひとりでサッカーボールを蹴って遊んでいた俺は、ボールを追って道路に飛び出してしまった。と、そこへちょうど車が走ってきた。次の瞬間、
 キキ―ッ!
 すごい急ブレーキの音が鳴り響いた。俺は恐怖で体がこわばり、咄嗟に目をつぶった。
 あれ? 静まり返った気配に、ボールを抱えたまま俺は恐る恐る目を開けた。すると何と言うことだろう! 周りの何もかもが止まっていた。
 俺の真ん前で止まっている車の運転手は、顔をひきつらせて目を閉じている。歩道のおばさんも何か叫んでいるように大きな口を開けたまま止まっていた。見渡す限り町全体がまるで絵のように何も動いていない。
 そして、俺が車の前を離れた途端、すべてが動き出した。運転手のおじさんが車から駆けつけてきて、俺が無事なのを見て安心して腰を抜かした。
 
 同じようなことが大人になっても起こった。
 道路を歩いていると、上の方で大きな音がした。と同時に、周りから悲鳴が上がった。上を見上げた俺の目に、きれいな青空を背景に、建築中のビルの資材が落ちてくるのが飛び込んできた。そして、もうダメだ! と目をつぶった瞬間、あれ? と思った。
 何の気配もない、あの時と同じだ。そっと目を開けてみると、やはりすべてが止まっていた。俺の三十センチ頭上には鉄の塊が迫っている。何とも居心地の悪いその場から走り出した途端、地響きとともにその資材は道路に突き刺さった。
 工事関係者が飛び出してきて、俺の無事を確認すると、冷や汗を流しながらひたすら頭を下げた。
 
 このように、不思議な能力と言っても、自由に使えるわけではない。もし、自分の意志で時を止められたらどんなにすごいことだろう。二度あることは三度あるというから、きっともう一度、俺は危険な目に合うに違いない。助かるだろうとわかっていても、気持ちのいいものではなかった。
 
 
 いつもの公園で、息子がサッカーボールを蹴っている。俺もよくここでああやってボールを追いかけ回したものだった。と、その時、息子の蹴ったボールが道路へ転がっていった。それに向かって走って行く息子を、俺は必死で追いかけた。
 ダメだっ! 危ない!!
 車の前に飛び出した息子に俺が飛びかかった瞬間、時間が止まった。
 そうだった、俺は危険に合うと時間が止まるのだった――
 この時ほど、この不思議な能力をありがたいと思ったことはなかった。俺は息子の手をひいて、車の前から離れようとした。
 だが、どうしたことだろう? 息子の手が握れない! 息子も俺の姿などまるで見えていないように、あたりをきょろきょろと見回している。
 そして、息子が自らその場を離れると、すべてが元通りに動きだした。周りの大人たちが駆け寄り、息子にケガがないか気遣ってくれる様子を、俺は呆然と見ていた。
 
 
 そうだ、俺はこの息子を抱いたことはなかった。話したこともない。この子が生まれる直前に、俺は急な病でこの世を去ったのだった。
 俺のおやじも同じだった。俺が母親のお腹にいる時に急死した。そして、今になって初めて気がついた、俺に特別な能力があるのではなく、時間を止めて俺を助けてくれたのはおやじだったのだ。俺が今、息子にしたことと同じことを、おやじがしてくれていたのだ。親とはなんとありがたいものだろう……
 この世ではいっしょにサッカーボールを蹴って、遊んでやることはできなかった。そんなこの子をずっと守っていこう。そして、いつかその役目を終えたら、おやじを探して礼を言いたい。
 そう思いながら、俺は今日も遠い空の上から、息子をそっと見守っている。

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