第22話 売人の果て

文字数 1,611文字



「いててて! くそ! 誰がタレこみやがった!」痩せた男は腕を背中に絞られ、軋む骨と関節の痛みに悲鳴を上げた。

「お前には弁護士の立ち会いを求める権利がある」感情なく読み上げられるミランダ・ルールの第3項。スモークミラーのサングラスに隠されていて、警官の表情は読み取れない。どうせ『また街のゴミをひとつ掃除してやった』ぐらいにしか考えてないに違いない。

 『X-Lanes』の売人ネオは臭い地面に顔を押し付けられ、指一本動けなかった。出来ることは口の中で鳴らす、負け惜しみの舌打ちだけ。

 こんな事になるなんて、10分前には想像もしていなかった。あっという間に警官が乗り込んできて、あたりは逃げ回る男と女とそれ以外の奴らでごった返した。

 そんな混乱の中でも、このグラサンのマッチョな警官はまっすぐに俺のところにやって来て、あっという間に俺を捕まえやがった。近年の汚職警官とは一線を画す手際のよさだ。
 
 俺は背心底震えていた。背中に冷たい汗が流れるのを止められない程に。ムショにぶちこまれるのが確実なのはわかっていた。だが怖いのはそんな(・・・)こっちゃない。

 警官はまだ気づいてないが、俺の座っていた椅子の下の床板を剥がせば、売れ残った商品が山ほど出てくる。あれを捌かなきゃ、俺は間違いなく犬の餌にされるだろう。

 警察署の独房だろうと、ムショの地下5階の牢屋だろうと関係ない。組織にはどこまでも深く手を伸ばしてきて、俺の心臓にナイフを突き立てる執念がある。それは確実だった。

「なあ」ネオは猫なで声で警官に話しかけた。「あんた、まだ払い終わってない家のローンとかあるだろう? ここでちょっとだけ俺を見逃してくれよ。そうしたら毎月の支払いが楽になるし、ついでに小遣いで姉ちゃんをはべらすような生活を約束するぜ……」

 ネオはこの種の駆け引きに自信があった。けれどこの場、この警官には逆効果だった。彼はむしろ締め付ける力を強くして、ネオにさらに悲鳴を上げさせた。

 警官はネオの耳に口を近づけた。「この街の警官はな。ヤクの売人を絶対に見逃すことはないんだ。安心しろ。お前には一生涯ムショで大人気のクソ不味い挽き肉(ニュートラローフ)食わせてやるからな」

「頼むよ……あんたの思惑はそうかもしれねえが、俺は飯を食うことも、反省することもねえ。そんな暇もなく奴らに冷たい体にされちまうんだよ……」ネオは本物の涙を流して懇願した。「死にたくねえ……俺は怖がりなんだ。殺すのも、殺されるのも。だから死ぬのはいちばん嫌いなんだよ……」

「なら大人しくしておく事だ」警官はネオの涙を見ても全く動じなかった。「安心しろ。寂しくないように、お仲間もボスも、まとめてしょっぴいてやったからな! ほら、見やがれ!」

 ネオは泣きながらしゃっくりを繰り返していたが、言葉の意味に気づいて、ばっと顔を上げた。腕の痛みを忘れて体を反転させ、警官の顔と同じ方向を凝視する。

 停車している警察の護送用ロング・バンのサイドガラス越しに、うなだれている人相の悪い数人の男たちが見えた。

「あ、あいつ……ボスのマーヴィンじゃねえか! おい、取り巻きたちも全員いるぜ……」

「そうだ。今回の情報はかなり貴重だったからな。じっくりと作戦を練った甲斐があって、組織を一網打尽にすることができた。大掃除、完了ってわけだ」

「は……うははっ……」ネオは涙を流したまま笑っていた。

「貴様、薬でもやってるのか? おかしな笑い方をするんじゃない!」

 警官にさらに顔を押し付けられ唇がひん曲がっても、頭に銃口を突きつけられても、ネオの笑いは止まらなかった。「やった……やった……俺は生き延びれる……もう売れない薬の在庫を気にする必要はねえんだ……」

 意味がわからず呆れる警官の前で、ネオは感謝の嗚咽と笑い声を上げた。
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