第1話 DIY in JAPAN.

文字数 5,983文字

 社会復帰めいた40代後半での就職活動に必要な書類作成のため、かつてお世話になった企業さんの入社年月日とか社名とか資本金のことをネット検索して調べているうちに、短期間勤めたところがブラック企業大賞ノミネートの栄誉に与っておりまして。

 思わずヒザを16ビートで連打。なぜならば――。

「トイレ行っていいですか」と訊けば「ガマンできるだろっ」と返す刀で叱られ、「運転手当てが出ます」と説得されてやりたくないドライバーをやれば手当てがついていない、問えば「時給に含まれています」って900ヘクトパスカル級の嘘を事業所所長が。
「あ~さっさと辞めてよかった!」以外の感想が思い浮かばないのですけれども、勤めていた時期に受けた日常茶飯事の暴言・怒声に心が折れて自室からあまり出なくなったり、一転、外に出たりやさぐれたり斜に構えたり持病を持ったり心を入れ替えたり、けれど40代後半で貯蓄も家族も信用もない代わりに借金も前科もなしで息しているのだから、捨てたものではないのか詰んでいるのか自分でも分かりません。

 けれどハラスメントにブラックな働き方、いじめにDV、虐待にネグレクト、貧困に難題山積みの外交に自然災害にボスキャラのような新型コロナ、単に労働して食べて寝て、キャッキャウフフ言いながら平凡な暮らしを営みたいだけなのに、どこでどう傷を負うのか分からない世の中、樋口が犬の動画を毎晩正座して視聴するのも不自然ではないように思います。I want 癒し。We need もふもふ。

 老害街道まっしぐらの樋口をしてコレなのですから、まっとうな道を歩まれた善良な皆々様におかれましては心痛いかばかりかお察ししますと共に、昨今「人を傷つけない笑い」がトレンドなのも、むべなるかなの心境であります。
 むべなるかな、なのですが、否定じゃないのです……なんだろ……コンプライアンスもへったくれもない昭和・平成の笑いに産湯のように浸かって育った世代なものですから、自分で一度考えないと、いわゆる「人を傷つけない笑い」に対する違和感をきれいには消せないな、と。
 言い換えれば、「笑いとはなんぞや?」と自分なりの答えにたどり着かないと時を戻そうにも戻せないって言うか。

 めんどうくさくて申し訳ないです。重くてすいません。生まれて、すみません(Ⓒ太宰治)。お付き合いの程よろしくお願いいたします。

 閑話休題。
 まずスペック低めの脳みそをフル回転させて思うのですけれども、いわゆる第七世代の芸人さんを愛する主に若い世代の方と、「激おこぷんぷんだお」をまだ新しめの言葉として使っている骨董品・樋口ではお笑いに対する考えが、そも違うのかもしれません。
 いえ、単純に世代でくくってはよくないかもしれません、樋口は引きこもり時代、24時間中12時間くらい録画したお笑い番組を繰り返し繰り返し見ていた痴れ者、ちなみに残りの12時間のうち4時間くらいはテレビゲームやっていました。
 そんな樋口を悲しそうな目で見つめる今は亡き母の姿が忘れられません。心から言う、「お腹を痛めて生んでくれたのに、こんな仕上がりでごめんよ!」

 話が逸れました。えっと、要するにお笑いを語る上で樋口は一般的ではないと申したかったわけでして。
 だから、樋口の感覚を「みんなそう思っている・感じている」と考えないよう自戒したく思います。はい。

 その上で述べますが、物心がついた頃、お笑い芸人さんを現在ほどテレビで見かけることはありませんでした。
 樋口は名古屋の出身で、名古屋は全国ネットのテレビ番組も関西局の番組も観られて便利な土地ですが、う~ん、幼い頃は岡八郎さん、花紀京さん、木村進さん、原哲夫さんらがご活躍の吉本新喜劇が放送され、あと若き間寛平師匠がサルを演じておられたのでしょうか、渾身の演技の迫力に圧倒され樋口号泣というプチ事件勃発。

 話がズレましたが、この頃の樋口にとってお笑い番組はさほど好物ではなく、その距離がぐっと縮まったのが1980年代の漫才ブームであり、そのトップランナーたちが業界内における笑いの位置を変えた、あるいは地位を上げたと樋口は考えていますが、これはある程度一般論としても通用するようです。

 具体的にはビートたけしさんがベストセラー書籍を連発し役者としても存在感を発揮し映画を高く評価され、芸人であり文化人的な枠に入り。
 島田紳助さんはいち早くニュースバラエティ番組の司会を務め、お笑い芸人の潜在的なスキルの高さを証明し。
 漫才師ではありませんが明石家さんまさんは同時期に東京へ活動の拠点を移し、今となっては隔世の感がありますが、女性誌の名物企画で抱かれたい男ナンバーワンに。
 他にもザ・ぼんちさんのシングル曲がヒットチャートを席巻したり、B&Bの島田洋七さんの最高月収が8000万を記録したり、西川のりお師匠はツクツクボーシ! ツクツクボーシ! と叫び、おぼん・こぼん師匠らは当時はまだ仲が悪くなかったのか不満の種はすでに生じていたのか、片岡鶴太郎さんはまだボクシングも絵もヨガも(たしな)まれておらず、山田邦子さんが女性お笑い芸人の新たな可能性を切り拓き、時代は熱に浮かされているのか!? と言いたくなるてんやわんや。

 漫才ブーム、中でも紳助竜介に強く影響を受けたのが後のダウンタウンの松ちゃんでありまして、いわゆる第三世代、ウッチャンナンチャン、とんねるず、B21スペシャル、ホンジャマカらが、漫才ブームで生まれた現代へと通じるお笑いの流れ、それを加速させたのであります。

 この頃の樋口は第三世代を「ちょっと上のお兄さん」と感じており、たけしさんや紳助さんらと違い、なんでしょ、「さん付け」するのが恥ずかしいです。それだけ身近な存在だったのですね。
 引きこもり期には録画したダウンタウンやウッチャンナンチャンの番組を昼夜逆転するくらい見倒しました。
 ゲイとしていちばんモテる若い数年だったのに。心から言う、「もったいねえ!」

 ここで歴史的なことと絡めておきますと、お笑い第三世代が台頭し始めた頃はバブル経済に世が浮かれ騒ぎ、夜の街ではタクシーが拾えず(お客さんが多いから)、反社の方々が関わる地上げが横行、ディスコではクジャクの羽のような扇子をおっぴろげて踊りまくるご婦人とブランド物のスーツでキメキメにキメた殿方が恋の火花を散らしており、バブルが弾けた後もその余波は業界内には残り、今ならコンプライアンスやらBPOやらに引っかかりまくりのテレビ番組が公共電波に乗っていたのですね。

 引っかかりまくりの内訳は、詳しくは記さなくていいかなと思いますが、ごく簡単に例を挙げれば、頭髪にあんかけ焼きそばのあんを掛け、地面が爆発し炎が龍の如く天へと伸び、出演者がチーマーと呼ばれた不良たちにボコられ、嫌がる相手に性的なからかいをして、傷つける笑いの連続。心だけじゃなく身体も絶賛傷だらけ。

 ふー。こう書いただけで割とお腹いっぱい、中には「これの何がおもしろかったの? 若い頃のオレ」と恥じ入る例もあります。
 思うに、列記したこれらはいわゆる「良識」に立てついていたと思われます。
 いえ、演者たる芸人さんたちが、緻密な計算に基づいてそれを成したとは考えていません、直感的に馬鹿々々しいこと、乱暴なこと、不謹慎なことが「おもしろい」と感じ、番組として放送する価値があると判断したということでしょうか。もちろん業界関係者も。

 なんで良識に反する、乱暴なこと不謹慎なことが「おもしろい」かと問えば、う~ん、興奮するから? でしょうか。
 興奮により脳内物質が分泌されて、それによる反応が熱狂とか爆笑とかに作用した、のでしょうか。
「おもしろい」と感じて笑うとき、そこにはあまり批評性というか理性は関与しないと言いますか、それが関与するのは笑った後、「なんでおもしろかったんやろ……?」と分析・考察して初めて理性が働くのであって、笑い始めるその瞬間は、ほとんど反射的なものだろうと。
 また後先考えず衝動的に「おもしろい」に向かって突進できるのは若さの特権、一面好ましく、また羨ましくもあります。
 
 ――長々記してきましたが、実はここからが本題でありまして、この良識に抗う態度、既成の価値観に中指おっ立てる姿勢であり、それが喚起する熱狂は、英国ならセックスピストルズやクラッシュなど、米国ならラモーンズやテレビジョンやパティ・スミスらに通ずるのではないだろうかと思いまして。

 もちろん日本にも優れたパンクロッカー、あるいは洋楽にルーツを持ちオルタナティブな活動を展開したロックミュージシャンは数多くおります。
 そうしたミュージシャンらによって80年代後半から90年代初頭に起こされたのがバンドブームでありました。

 ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、野沢直子さん、清水ミチコさんらがレギュラーを務めた伝説的深夜番組「夢で逢えたら」の音楽コーナーには当時大人気のバンド、ユニコーンやアンジーやプリンセス・プリンセスやバンドブームを牽引し、音楽シーンを変えたひとびとが出演しておりました。
 ええと、つまり、日本においてロックバンドとお笑いは親和性が高い、互いにリスペクトし合う要素があったのではないだろうか、と。

 その要素は何かと箇条書きいたしますと、
・ロックもお笑いも、裕福ではない若者がお金なり地位なり名声なりを得る手っ取り早い手段だった。
・ロックもお笑いも、裕福ではない若者が自分でもできそう、やりたいと思える身近なジャンルだった。
・一般常識に欠けた者がロックの世界でもお笑いの世界でも一目置かれた。
・何より! やっている者は楽しい。それを見ている者も興奮し熱狂。win-winの関係。

 こんな感じでしょうか。

 その上で思いますに、英国・米国では歴史的・文化的にロックというジャンルが生まれ大きく育つ土壌がありました。

 一方日本におけるロックはある時期まで輸入品、海外からのレコードやCDを聴いて感銘を受け、己らの資質に合わせて己らのコンセプトや演奏に反映するもの。
 生まれつき海外からの、また海外のミュージシャンにルーツを持つオルタナティブな国内のミュージシャンの作品を当たり前に聴いて育つ世代がプロとしてデビューするのは、平成後半ではありますまいか。SuchmosさんとかKing Gnuさんとか。その前の世代としてアジカンさんとか中村一義さんとかおられたわけですが。

 けれど日本においては「お笑い」が中世の頃に生まれ枝分かれし、やがては落語やしゃべくり漫才が誕生して、すなわち大きく育ち発展する土壌があった、のだろうと思います。
 仮に第三世代のお笑い芸人さんたちが英国や米国に生まれたらギターやマイクを握っていたかもしれないし、英国や米国のロックミュージシャンが日本に生まれていたらセンターマイクの前に立って過激な毒舌をかましていたかもしれません。
 音で歌で、あるいはギャグでボケ・ツッコミで、非日常的な空間を生み出し観客を視聴者を興奮させ熱狂させるために。

 興奮させて熱狂させることが金銭を得る仕事であり、地位を引き寄せるためでもあるけれども、何より演者自身が、自身のプレイに興奮するから。シビれるから。熱狂させること笑わせることが快感だから。
 1970年代にロンドンでニューヨークでムーブメントを巻き起こしたパンク、その行動原理の一つであるDIY主義、「Do It Yourself」の精神、「オレたちのためにオレたちでやろうぜ」の実践は、日本においてはお笑いの世界においてより顕著だったのかもしれません。

 しかし、かつてロックミュージシャンもお笑い芸人さんも、一般社会の外に出たひとびと、アウトサイダーでありスターでありましたが、時代の変化と共に有り様が変わったようです。
 作り手側が変わったのか、受け取り手側が変わったのか、ロックミュージシャンの不倫が叩かれお笑い芸人にも良識が問われる時代となりました。

 その変化その歴史を郷愁と共に振り返るのは、樋口の、あるいはもう若くはない世代の感傷でしょう。
 あの熱狂の時期、興奮を愉快と錯覚した時期、樋口は「笑われる側」、言い換えれば「傷つけられる者」のことを考えていなかったようです。
 おもしろかろうと気持ちよかろうと、誰かが誰かを「いじり」してよい道理はないですし、百歩ゆずってプロがそれをするのは、仕事や収入に直結するから。ギブ&テイクが成立しているから。
 仕事や収入に還元できない素人が真似してはいけません。

 そのギブ&テイクの関係をよいとしない傾向も強くなり、けれどプロがそれでもいじるのは、リスクを覚悟してのことでしょう。時代にフィットせず、石もて追われる覚悟。
 矜持を胸に秘めて。「オレのお笑いはコレやから。オレはコレがおもろいから」

 けれど――、売れたお笑い芸人は、少なくともある時期までの売れっ子芸人には、感受性の強い人が多かった気がします(樋口の見解です)。
 周囲の状況への感度が高く、その分、傷つきやすく情にあつい。
 そういう人が世の中をサバイブするには、失敗や自分のコンプレックスを笑い飛ばすより仕方ない、そういう戦略を取らないと生き難い人がお笑いへの道へと進んだ気がします。

 ですが、冒頭近く記しました通り、ハラスメントにブラックな働き方、いじめにDV、虐待にネグレクト、貧困に難題山積みの外交に自然災害にボスキャラのような新型コロナ、いえコロナ以前から「人を傷つけない笑い」はトレンドとなっていましたが、思うに事態は、もう笑い飛ばせる段階ではなくなっているのかもしれません。

 シャレにならない現実、そこにある貧しさ、暴力、その他克服すべき問題、その現場を体感した世代――生まれた瞬間に不況で両親の苦労する姿を見聞きし、多感な時期に東日本大震災などを経験した世代――は笑い飛ばすことよりも、手を取り合って事態の改善に努める道を選んだかに思われます。
 また心ある作り手側も、従来のお笑いのよい部分と、新しい世代の求めるよい部分のすり合わせを開始しているよう見受けられます。開始していないところのほうが多い気がしますが。
 幸いにして芸人さんの主戦場はテレビだけではなくなり、発信される場が増えれば発信される内容も多様になり、それは樋口にはうれしいことです。

 ただ、どんなに過激路線に走るにせよ、越えてはならない一線があることは知っていてほしいと願います。
「常識が分かっているから非常識ができる」
 これは、笑福亭仁鶴師匠とダウンタウン松本さんがテレビCMやテレビ番組で発言した言葉です。

 もっとも、その常識自体が、いま大いにゆらいでいるように感じますが。
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