児童文学(国内外問わず)

エピソード文字数 1,117文字

児童文学の大家と言えば、やはりマーク・トウェインだな。代表作は『トム・ソーヤ―の冒険』『ハックルベリー・フィンの冒険』。

ハックルベリーの方はトム・ソーヤ―の続編という立ち位置になっているが、登場人物が同じなだけで、実際の内容にはそこまで繋がりがない。だからハックルベリーの方だけ読んでも、話がわからなくなることはない。

しかしこの二作、文学的評価はまったく違う。トム・ソーヤ―はあくまで子供の世界を描いたまさに児童文学と呼べるものだ。その反面、ハックルベリー・フィンの方は当時の黒人差別や名家同士の殺し合いなどが書かれている。

しかもハックルベリー・フィンは浮浪児であり、当時の常識というものを持ち合わせていなかった。だからハックルベリーの目には次々に起こる事件の理由がわからない。なぜ黒人は白人に殴られるのか? なぜ金持ちの家が金持ちの家の人間を殺すのか?

ハックルベリーはその答えを出すこともできずに旅を続ける。道中、その答えを聖書に求めるシーンがあるが、聖書にも人間が人間を殺す正当な理由は書かれていない。その結果、一貫してハックルベリーは宗教に対して懐疑的な態度を取ることになる。

長々と書いちまったが、総括すると『トム・ソーヤ―の冒険』はあくまで子供の空想の遊びにすぎないが、『ハックルベリー・フィンの冒険』はまともに学を受けてたこともない子供が見たアメリカの矛盾、という側面を押し出している。

1954年にノーベル文学賞を受賞したアーネスト・ヘミングウェイは「私たちの文学はすべてハックルベリーの子供だ」とさえ発言している。

日本ではマーク・トウェインは児童文学作家だと考えられているが、その作品には間違いなく、その時代の矛盾と普遍性を包括している。

すまないが、お上はトウェインのファンのために、まだ書かせてもらう。

それは邦訳の問題だ。

『ハックルベリー・フィンの冒険』の登場人物はみなが学の低い。だから正字法に沿ったものではなく方言で話す。序文で、トウェインはこの作品には四つの方言が登場すると書いていた。

地方の方言はもちろんとして、黒人の話す方言も含む。文法が正式でないものは当然として、単語のスペルも独特の変化が起きている。

お上は原文で読んだが、非常な苦戦を強いられた。これまでの教育機関で習ってきた英語がまったく通じないからだ。お上はそれなりの大学に入ったが、そこで教えられるものは綺麗な英語ばかりだった。

学から疎んじられた人間の英語は教えられなかったし、彼らの書く英語も十全に理解したとは言い難い。

あまり、説教臭いことは言いたくないが、本当に英語を覚えたいなら、恵まれた人間と恵まれなかった人間の両方を理解しなければならない。


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登場人物紹介

瀧川紅月(たきがわべにづき)


ここの管理者代理。

拙作『頭狂ファナティックス』第一部のメインヒロイン。

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