第53話

文字数 2,756文字


源三郎江戸日記53

本当で御座いますか、それは目出度い、これで跡取りが出来ますと喜び、源之丞様は凄いですなあと感心したのです、目出度いので向かい酒と行きましょうと、女中に酒とイワシをと、
いいつけたのです、暫く若狭屋と歓談していてもうじき昼ですな直答の儀式も終り、引き出物が勅使に渡されて、すべてが終る頃だがと言うと、お峰が転げるように入って来て大変に、
御座りますと言って、

座敷に座り先刻、浅野様が松の廊下で吉良様に刃傷に及ばれたそうで、城は大騒ぎだそうですと言うので、何と言う事だして浅野様はと聞くと、直ちに饗応役はお役ごめんとなり大目付、
が詮議しているそうです、浅野の家臣は総て城から退去して屋敷で沙汰を待てという事だそうで、父上の郎党からの知らせが根岸にありましたので、急ぎお知らせに来たのです、旦那様、
の苦労も水の泡ですと泣き崩れたので、

抱きお越し、しつかりするのだ、詳しい経緯を調べねばならん、源信と呼ぶと、ハイ今調べてきますと声がしたのです、今屋敷に行っても他藩の者は中には入れまい、源信が帰るまで、
ここで待つしかあるまい、玄海屋にここに来るように言てくだされと言うと、若狭屋が家人に呼びに行かせたのです、七衛門が来たので船は今どこへと聞くと、一隻は佃沖で古着等、
高鍋に運ぶ物が集まるのを待っています、

もう一隻は博多を出たころで4日で江戸に着くはずですと言うので、事情を説明し、荷はもう一隻で博多経由の高鍋に行く事にして、その船はわしに貸してくれ、事情が判明し次第に、
舅殿を乗せて赤穂に向かう、早飛脚はもう出ただろうが、浅野様の殿中での刃傷くらいしか知らせられまい、夕方まで待てば何かわかるだろうと言って、お峰家に帰り赤穂への旅支度、
をしてくれ、

お峰も一緒に行くのだと言うと、わかりました、支度してお待ち申しますと根岸に帰っていったのです、若狭屋と七衛門が何と言う事をと驚き、よほど我慢出来ない事が起こったので、
しょう、多分松の廊下で吉良と鉢合わせして雑言を浴びせられたのでしょう、何と運の悪い事だちょっと時刻がずれればあわないで済むものをと言うと、七衛門が船は開けておきます、
手前も同行します、

段取りをしてきますと店を出て行ったのです、お蝶が帰って来て源信殿は幕府に仕官している根来衆に金をつかませて聞いたところ、茶坊主が見ていたそうです、赤穂の藩士は伝奏屋敷、
や城から退去させられて上屋敷で待機しているそうです、根来衆が茶坊主聞いた話しだと浅野様は後ろから呼びかけ前を向いた時に脇差で切り付け、逃げるところを後ろから切りさげた、
と言う事です、

突然の事なのでなぜ切りつけたか詳しい事はわからないそうです、ただこの遺恨覚えたかと言われたそうです、その後は梶川と言う旗本が後ろから抱きかかえ、大目付が現れ脇差を受け、
とり何処かへつれていったそうです、儀式は白書院から黒書院にうつされて無事終ったそうです、じきに浅野様がどこにおられるか源信様から知らせがあるでしょう、私はもう一度源信、
殿と繋ぎをとって来ますといったのです、

夕刻になり源信が戻って来てお蝶に言った通りですが、浅野様は田村右京太夫様へ預けられたそうです、大目付の調べでは乱心にあらず遺恨による刃傷だと言われているそうで、遺恨の、
内容は言われなかったそうです、大目付は吉良様の屋敷に詮議に向かったそうですと言うので、生きているのかと聞くと、キズは額と肩に二箇所でいずれも浅手だそうで命には別状ない、
との医者の見立てだそうですと言うので、

そうか討ちもらされたか脇差は刺すものじあ動揺されていたのだろうと言うと、舅の使いが来て急ぎ屋敷の役宅においでくだされとの事ですと言うので、使いのものと屋敷に行き役宅に、
入ると、孫太夫が婿殿の折角のお骨折りも水の泡となりもうした、先ほど老中の使いが来て今日の馬の刻に殿は切腹とお沙汰があり、田村右京太夫屋敷にて自害されるので遺骸を引き取、
るようにとの事でござる、

又赤穂藩は改易となり直ちに屋敷から退散するようにとの申しつで御座ると言うので、即日切腹とは何と言う裁きですかと言うと、吉良殿も亡くなるたのでしょうと言うので、生きてお、
ります、傷二箇所いずれも浅手だそうですというと、何と喧嘩両成敗ではないのですかと言うので、そうで御座いますと言うと、何とそんな馬鹿なと怒ったのです、それで奥方様はと聞、
くと、

ご実家の三次浅野家より向かえがきて屋敷は出られました、我々も即刻出て行かねばなりませぬと言うので、国元への書状はと聞くと、昼に刃傷の件の書状をもち大石瀬座衛門が出立し、
ました、後はうまの刻が過ぎて遺骸を引き取ったら、大学様が書状にしたためられて早飛脚を立てるそうですというので、それではその書状をもって急ぎ船で赤穂に行きましょう、船、
は佃沖に停泊しています、

3日あれば赤穂につきまする、昼の飛脚より早くつけますと言うと、そうですか、それではその事を大学様に言ってきます、それがしは遺骸を引き取り泉岳寺に埋葬した後書状と遺品を、
持ち根岸に行きまする、お待ちくだされと言うので、承知いたしました、心中はお察ししますがなにとぞ気を確かにしてくだされと言うと、役宅を出て玄海屋に寄り、うまの刻過ぎに船、
に行くので準備をするように言ったのです、

根岸に帰り母上に事情を話すと、父上にはわたしから申しておきます、気をつけていきなされ、お峰殿気をしっかり持つのですよと言ったのです、浅野様はさぞかし悔しかったのでしよ、
う、酒を飲んで笑われた顔を思い出しますと酒を飲み干したのです、起こった事を悔やんでもしかたない、大石殿がどうされるかじあなあと言うと、お峰がきと仇を取って下さりますと、
言ったのです、

源信にわしは赤穂に行くが、そなた達は幕府と吉良の様子を探ってくれ、こんなに理不尽な片手落ちの裁きは聞いた事がない、何かが動いているのだろうと言うと、承知しましたと、
言ったのです、うまの刻が過ぎて2時すると舅が現れ、泉岳寺に埋葬してきました、高岡源五衛門が大目付のお許しで最後の殿に会ったそうで、殿が田村左京太夫様に大石様へのお言葉、
を伝えてくれるように言われたそうです、

その内容がこれですと見せるので読むと、家臣達への侘びと、ただただ無念であるとしたためてあったのです、大石様だけへの遺言と切腹された小刀を残されただけで、大学様奥方様、
への遺言はありませんでしたと涙汲むので、それではまいりましょう一刻も早く大石殿にお知らせしなければといって、籠にのり佃島に向かい小船に乗り玄海屋の船に乗ったのです、

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