29.アオイ、「M」と対面する
文字数 3,035文字
幸田に指定されたスナックは、新宿駅南口を出て、都庁とは反対側の雑然とした一角にあった。ビールケースが積まれている勝手口に回ってノックした。
いらっしゃい、どうぞ、中へ入って。
山科アオイ さんね。
幸田君から、話だけは聞いているでしょう。私がM。このスナックのママだから、M。よろしくね。
Mと名乗った女性が右手を差し出してくる。
アオイは恐々、その手を握る。温かい手が少し力を込めて握り返してきた。
あなたが、私達に隠れ家とお金を提供してくれているM……スナックのママさんだからM……(心の中で)ベタなネーミングだなぁ……
アオイさんは、私のことをマフィアのドンとか、謎の実業家みたいだと想像してた?
はい。ゴールドフィンガーとかブロフェルドみたいな……
あら、ビックリ。若いのに、古い映画を知っているのね。『007』でしょ。
でも、『007』でMと言ったら……
私は、幸田君の上司じゃなくて、「世話役」。幸田君は、あなたのボスじゃなくて「保護者」でしょ。幸田君と私の関係も、それと同じ。
そうなんですか。(心の中で)幸田は「保護者面」し過ぎて、ちょっとウルサイけどな。
あら、ごめんなさい。飲み物を出すのを忘れてた。スナックのママ失格ね。
Mがアオイにカウンター席を勧め、自分はカウンターの中に入る。
何がいい? 幸田君から、あなたはジンジャーエールとクリームソーダが好きだと聞いているけど。他にも、オレンジジュース、アップルジュース、カシスジュース、コーヒーと紅茶のホットとアイスができるわ。
(心の中で)幸田の奴、そんなことを「M」に報告してあったのか!
じゃ、クリームソーダ、お願いします。
「M」がアオイにクリームソーダを差し出す。M自身はカシスジュースのグラスを手に、アオイを相手に映画の話を始める。アオイとMは映画の好みが合っていて、二人の話は弾んだ。
そして、アオイのクリームソーダが空になったところで……
さて、ここからは「世話役」として話をさせてもらうわね。
私は遠回しな話し方は嫌いだから、単刀直入に言うわね。あなたと幸田君は、これ以上、私たちのグループから保護を受けることはできない。
それは、私が国防総省とCIAから追われる身になったからですか? あっ、それだけじゃないですね。カスミという時限爆弾がついているミツキを仲間に入れてしまいました。
あなたが国防総省とCIAから追われているだけなら、グループの保護を受けられていた。だって、この2年間、あなたを国防総省とCIAからかくまってきたのだから。あなたがカスミさんを無力化できるなら、私たちはミツキさんをあなたと一緒に守ってあげてもよかった。
私がまだカスミを無力化できていないから、グループの保護を受けられなくなるのですか?
そのことなら、私たちは待つことができた。幸田君がやり過ぎたことが、あなたたちがグループから追放される理由なの。
幸田がー―いえ、幸田さんがー―大島病院と「肉屋」の関係を暴いたことが追放の理由ですか? あれは、私が幸田さんを脅してやらせた事です。幸田さんに責任はありません。
私の言う通りにしなかったら非接触放電で殺すと言って、脅しました。私は、「肉屋」に復讐したかったのです。
あら? 幸田君から聞いた話と違うわね。彼は、あなたが幸田君が「肉屋」と大島病院の関係を追及するのを止めようとしたと言ったわよ。
それは、幸田さんが私をかばって、ウソをついたのです。私に本当に幸田さんを止める意志があったら、接触放電で気絶させていました。
Mが、穏やかだがアオイの心の底まで見透かすような目でアオイを見る。
わかりました。幸田君は、あなたに脅されてやったのだと仮定しましょう。けれども、私は、あなたが、幸田君の知り合いのフリージャーナリストが「肉屋」を追及していたことまで知っていたとは思わない。
そのフリージャーナリストの事は、幸田さんから聞いて、知っていました。
あら、いやだ。幸田君は、口が軽すぎる。そんなダメな「保護者」だったとは知らなかった。
幸田は、口の軽い人間なんかじゃありません! 幸田は、私をとことん守ってくれる「保護者」です!
あなたはウソをつけない人ね。それに、あなたは友達をとても大切に思っている。幸田君が、あなたを大好きになるのも不思議はないわ。あっ、「大好き」と言っても、異性としてという意味じゃなくて「人として」ということよ。
幸田があたしの事を好きだなんて、Mさんは、大きな勘違いをしてます。
「肉屋」と大島病院を攻撃しようと誰が言い出したにせよ、幸田君がフリージャーナリストを巻き込んだことが、あなたと幸田君が追放される原因なの。私たちのグループは、追跡者と闘う時にグループの「保護者」と「世話役」以外の人間に助けを求める事を禁じています。幸田君は、そのルールを破ったの。
そうなんですか。ルールを破ったのなら、追放されても仕方がありません。
幸田さんとあたしが、お互いに納得してやった事ですから。
あなたが追放されることに納得できるなら、いいわ。それから、追放されるのはあなたたち二人だけではなくて、もう一人いるから。
えっ、私たちは、グループの他の人にも迷惑をかけてしまったのですか?
その人間は、迷惑をかけられたとは思っていないわよ。自由に国防総省と闘ういいチャンスを与えてもらったと思って、喜んでいる。
はい。実は、私は国防総省に個人的な恨みがあるの。幸田君が「肉屋」に恨みがあるのと同じ。だから、国防総省に一泡吹かせてやる機会を待っていた。アオイさん、私と幸田君があなたの「世話役」と「保護者」で、ごめんなさいね。
とんでもない。「M」さんと幸田さんが私の「世話役」と「保護者」でいてくれて、私はツイてます。正直言って、隠れて回るのにはうんざりしていたんです。私も国防総省に一泡吹かせてやりたいです。
でも、相手は巨大な敵。完全に倒せるなどと非現実的な望みは持たないでね。日本で活動しにくくしてやるくらいが、私たちにできる精一杯のところよ。
では、私の「世話役」としての話は、これでおしまい。
アオイさん、お腹すいたでしょ。
幸田君から、あなたはオムライスが好きだけど、彼は上手く作れなくて困っていると聞いているわ。たまたま、私は、オムライスにはちょっと自信があるの。オムライスでよければ、私が作るけど……
(心の中で)幸田の奴、そんなことを気にしてたのか……まったく……
オムライス、お願いします。
10分後、テーブル席で、Mと向き合ってオムライスを食べるアオイ。
このオムライス、美味しいです。子どもの頃、母が作ってくれたオムライスと同じ味がします。
そう言ってもらえると、嬉しいわ。作った甲斐があった。
アオイ、こみ上げてくるものがあって、言葉を続けることができない。
テーブルの上のペーパーナプキンで目をぬぐうアオイだった。
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