穴二つ:ひとつめ

文字数 4,344文字

 テーブルの上にはグラスが二つに、値の張りそうなつまみを盛った皿がいくつか。どれも空にはなっていない。
「……おまえ、俺を殺してもすぐに捕まるぞ」
 両手足を拘束された姿勢のまま、勝村(かつむら)は強がりを言った。これに反応する私は、嘲笑を浮かべていたと思う。
「何故? 今話した計画をよく聞いていなかったのか? 自宅に戻って来た途端、空き巣狙いと出くわし、運悪く刺されて死んだ。そう扱われるに決まっている」
「おまえのやり口には穴がある。それも、二つもな」
「馬鹿な」
 助かりたいがための戯れ言だ。私は相手にしないつもりで、残る作業を続けた。指紋を拭き取っておく。
「あきらめろ。もう一度言う。すぐに捕まるのが落ちだ」
 勝村の戯言を聞き流しつつ、今度は髪の毛の類が落ちていないか、床やテーブルの上をチェックしていった。
「教えてやるよ。おまえのミスは、この家で犯行をやろうとしてるってことだ」
「――はあ?」
 思わず、反応してしまった。
 建築デザイナーとして名を馳せる勝村は、自宅にも拘った。その一つ、徹底した完全防音が、私にとって好都合に働いた。ドアや窓が閉めてあれば、大声で助けを呼んでも、外の人間は決して気付かない。だからこそ私は、ここを犯行の舞台とし、勝村が居直り強盗に殺されたように偽装する計画を立てたのだ。
「特殊な仕掛けでもしてあると? 防犯カメラか?」
「……」
「そこまでは教えてくれない訳か。だろうな、実は何もないんだから」
「違う。全てを明かせば、おまえはその穴を克服して、俺を殺そうとするだろう。悪いことは言わん。警告を受け入れるんだ。少なくとも今、ここで殺すのはやめておけ」
「これはまた、おかしな言い種を。警告を受け入れて、私がおまえを別の場所に連れ出したらどうするんだい? そのときはおとなしく殺されてくれるとでも?」
「外に出れば、街はそれこそ防犯カメラだらけだ。仮に完璧な変装ができたとしても、車を使うことで足が付くだろうな」
 確かに、夜とは言え、おいそれと場所を移せる状況ではない。勝村の言葉の通り、ここで殺すか、あきらめて解放するかの二択である。
「……なあ、勝村よ。穴が二つあると言ったよな? その内の一つなら、全てを明かしてくれてもいいんじゃないかな。それが納得のいくものなら、私はおまえの言葉を信じる。警告を受け入れる気になるかもしれない。おまえにしても、残るもう一つの穴が保険になる」
「……よかろう。だが、話す前に、足の拘束は解いてくれないか。どうせ逃げられやしないことぐらい、見て分かるじゃないか」
「……」
 しばし考え、私は勝村の背後に回り、そのまま押し倒した。俯せに転がす。この体勢をさせておけば、足の拘束を解くとき、蹴り飛ばされる心配はほぼ皆無だからだ。
 そして、奴を俯せにさせたまま、話すように促した。
 勝村もまた何やら考える様子を見せる。が、程なくして口を開いた。
「まず……最初に礼を言わせてくれ。足の拘束を外してくれてありがとう」
「時間稼ぎなら、しても無駄だぜ」
「そんなことは断じてない。これから話すから、納得が行ったら、殺すのだけはやめると約束してほしい。話し合いで解決できる余地はあるだろう?」
 私が勝村を殺したいのは、女を――優美子(ゆみこ)を取られたのがきっかけだ。それだけなら殺意に発展しなかったろう。が、勝村が別の女とも付き合っているとの噂を耳にして、平常心ではいられなくなった。噂の真偽を確かめるのには苦労した(勝村の奴も優美子を警戒したのか、この自宅には他の女を一切上がらせない徹底ぶりだった)が、数週に渡る尾行で尻尾を掴めた。そうして、奴の身勝手な振る舞いに罰を与えねばと決めた。だから、今さら話し合いも何もないのだが、ここは話を合わせておくべきだろう。
 肯定の返事をよこすと、勝村は息を吐き、安堵らしき様子を少し見せた。それから改めて深呼吸をするや、思い切った風に喋り出した。
「穴の一つは、おまえの足にある」
「?」
 てっきり、この家の秘密の仕掛けが明かされるとばかり信じ込んでいた私は、肩透かしを食らった。脳裏に疑問符が駆け巡る。
「自分の眼で見てみろよ。文字通り、一目瞭然というやつだ」
「訳の分からないことを言って、私が隙を見せるのを待っているんじゃないだろうな」
「この体勢じゃ、どうしようもない」
 両手が自由ならきっと肩を大きくすくめたであろう口ぶりで、勝村は言った。
 私はそれでもなお警戒しつつ、自分の足を見た。ジーパン越しだが、どこにも異常は見当たらない。
「見るのは裏さ。右足だったかな」
 少し余裕が出て来たのか、勝村の口元には、嘲るかのような笑みがかすかに覗いた。
 私は板張りの床にしゃがむと、右足の裏に視線をやった。
「……」
 靴下に穴があいていた。それも二つ。第二指及び第三指の辺りだ。
「確かに穴だが、これがどうして殺人計画の失敗につながる?」
 おんぼろの靴下を履いてきたことを多少恥ずかしく思いながら、面に出さずに聞き返す。すると勝村は心底意外そうに眼を見張った。
「分からないのか? 物知りのくせして。足の指にも指紋があるのさ。見てみろ」
「……ああ、そういうことか」
 知らなかった訳ではない。失念していただけだ。こんな穴のあいた靴下で歩き回れば、床のあちこちに指紋が残る。犯人特定の証拠になり得る。
「確かに、これは大きなミスだ。教えてくれて感謝する。納得もした」
 笑みを浮かべ、勝村に近付き、顔のそばで跪く。奴もまた表情を明るくして、早口で応じた。
「だろ? だったら、もうこんな馬鹿げた真似はやめてだな――」
「勝村、もう一つの穴は何なんだ?」
 言葉を遮り、胸ぐら辺りを掴んでぐいと引き寄せる。
「それは、言えないって、さっき……」
「どうせ、この家に関することなんだろ? おまえを始末してから、じっくり探してもいいんだぜ。防犯カメラじゃないのなら、何があるかな」
「……」
「探しても見つからないと、高を括ってるのか? いいんだぜ。いざとなったら、最後に火を放てば全ては灰になる」
「……はっきり言っておく。家を燃やしても無駄だ」
「何?」
 この期に及んで強気の台詞を吐ける勝村に、思わず怯んでしまった。相手の両目を見て、本心を探る。強がりなのか、事実を語っているのか。
 だめだ、分からない。心理的に押され始めたせいか、嘘を言っているようには見えなかった。
 こちらの動揺を察したのだろう、勝村は再び手打ちを持ち掛けてきた。
「素直になれ。このまま何もせずに立ち去ってくれたら、俺も何もしない。俺は警察なんかに報せやしないし、誰にも話さない。きれいさっぱり、忘れてやると誓う」
 信じられるか、と吐き捨てそうになった台詞を飲み込んだ。
 そもそも、信用できるできない以前に、こちらの気持ちが収まらない。だが、今はこいつからもう一つの穴について聞き出すことに意を注ぐべき。それは分かっているのだが、どうやら事態は袋小路に陥りつつある。恐らく、勝村は殺されそうになっても言うつもりはあるまい。それを吐かせるには、私から新たな交換条件を提示する必要がある。
 しかし――適当な交換条件なんてあるものか。
「優美子みたいな女のために殺人なんて大罪を背負うのは、割に合わない。そう思うだろ?」
 勝村の説得に拍車が掛かる。
「付き合っていた頃をよく思い出せ。いいことばかりじゃなかったはずだ。むしろ、悪い思い出の方が記憶に残ってるんじゃないか? 俺の見るところ、彼女は嫉妬深く、疑り深い女だ。おまえの前でもそういう面を出していたに違いない」
 心当たりがなくもない。知り合いの女性から電話が掛かってくれば、それがどんなに年嵩だろうが、どういう関係なのか問い質されたり、道を尋ねるのに若い女性を選んだだけでもジェラシーを抱かれたりした。
 にもかかわらず、私を振って勝村に走ったのは理解に苦しむ。勝村の手練手管に絡み取られたとしか思えない。
「それにな、俺がいなくなったからって、優美子がおまえの元に帰るかどうか、知れたものじゃないぞ。現にあいつには、新しい男を探している節がある」
「……勝村。嘘か真かすぐには確認できないことを並べ立てて、私の殺意を優美子に向けさせようとしているのか」
「いやいや」
 低い声での反応に、勝村は慌てたように首を振った。
「そんな気はない。嘘を言ってもいないさ。ただ、おまえが人生を賭けるほどの価値がある女かどうか、ようく考えてくれってことを言いたい。それだけだよ」
 価値があると感じたからこそ、こうしておまえを殺しに来たんだ。と、心の中で呟いた。
「なあ、こんな状況、早く終わりにしようや。今、中止にしてくれたら、俺はおまえに口添えしてやれる」
「何の話だ?」
「もし、今ここに警察が踏み込んできたとして、俺はおまえを最大限擁護してやる。何だったら、これは全て芝居の練習なんだと証言してやる手もある」
「警察って、やはり、時間稼ぎをしているんだな?」
 血管がひくつくような怒りを覚え、私は再び、勝村の胸ぐらを掴んだ。
「違う! 仮の話だ。俺がおまえを裏切らないことを信じてもらうために、たとえば『これは全て芝居の練習でした』と発言するから、それを録音するのはどうだと思ったんだよ」
「……信じ切れん」
 私は片手で頭を抱えた。八方塞がりになっていく。見えない壁が上下と四方からじわじわと迫ってきている感じだ。こいつの言うもう一つの穴っていうのが分かれば、さっさと殺して立ち去るのに!
 私は最初に指摘された穴――自分の足の裏を見ながら歯噛みした。
 靴下にできた二つの穴が、こちらを睨む骸骨の暗い眼のようだ。
「ん? まさか」
 勝村は二つの穴があると言っていた。もしかするとそれは、殺人計画に二つの欠点があるという意味ではなく、欠点は一つで、靴下にあいた二つの穴が文字通りの穴であるというつもりで、最初に言ったのではないか。
 その言葉を私は勘違いした。勝村はそれを察して、欠点の片方を教えるから助けてくれと言い出したのだ。狡賢くて、弁の立つ奴らしい手口だ。これに間違いない。
「おい、勝村」
 勝村へ視線を向けた私は、薄笑いを浮かべていたと思う。
 その表情の意味するところが理解できたのかどうか、勝村は一瞬、きょとんとした顔したが、私の手に刃物が握られているのに気付き、ごくりと唾を飲むのが分かった。
「ま、待て。もう一つの欠陥を知らなくていいのかっ? おまえ、確実に捕まるぞ。それもすぐにだ!」
 問答無用。



 目的を果たした私が、勝村宅から自分の痕跡を全て消し去り、逃走しようとしたその矢先、制服の警察官達が玄関先に姿を現した。
 何が起きたのか、どうしてばれたのか、まるで見当が付かなかった。
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