私を月に連れてって (5)

文字数 1,294文字

「だけど討伐令って、討伐令って」
「壁うすいって言ってるでしょ御曹司」
 クロードは苦痛のあまり、サンハイツ堀川の安普請(やすぶしん)の壁をガンガンこぶしでなぐりつけている。ベンジャミンの制止も耳に入っていない。
 しまいには頭も打ちつけた。そのまま目をつぶって、唇を噛んでいる。

「ひどい。
 姉上。
 殺されてもべつにいいけど、憎まれるのはたえられない」

「ほんとなの? ボブ」ぱっと目を開いてロバートを見た。「『鎌倉殿の本意ではない』って本当? これほんとに芝居?
 鎌倉殿は本気で――おれに消えてほしがってる、とか、ない?」

 すすり泣きの声が部屋に響いた。

『平家物語』の中で、男たちは、よく泣く。
 人前で泣くのははずかしいなどという考えは、彼らの時代にはない。
 血が流れても平然としている彼らは、同じように平然と涙も流す。ときには声をはなって泣く。血も涙も、思いきりほとばしらせるのが彼らの世界だ。

 いまこの瞬間はさすがにそんな滝や怒涛のようなことはない。それでも、涙が落ちる。
 熱い涙が、ぽたぽたと、膝に落ちる。
 クロードのではない。

 泣いているのはロバートだ。

「九郎殿まで」男泣きにむせび泣いている。「九郎殿まで、疑ったら。
 お気の毒すぎるじゃないですか。鎌倉殿が。
 信じてあげてください。
 あのかたは、本当に、孤独なんです」

 うん、まあ、そう、そうだけどね、
 だけどいまハブられてるのは御曹司のほうだよね?
 と、ちょこっと思ったりする武蔵坊ベンジャミンだが、とても言いだせる雰囲気ではない。

「『猜疑心(さいぎしん)が強い』とみんなに言われてます、鎌倉殿は」涙をぬぐいもせずにロバートはつづける。「他人を信じない、と。心を開かない、と。
 歴史書にめっちゃ書かれてるし、『ねこねこ日本史』にまで書かれてます。
 だけど、ぼくから見ると」
「言うなボブ」目を合わせずにクロード。「もういい」
「ぼくから見ると」かまわずつづけるロバート。「あのかたの性格のせいにするのは、どうかと思う。
 むしろ、人を信じたいひとなんですよ、鎌倉殿は。
 孤独で。
 頼れる相手が、ほしくて」

「誰もいない、わけですよ。まわりに。
 あのかたの信頼を受けとめるに足る、男が」

「悪いのはぼくらのほうじゃないですか。ぼくらが、力不足で」
 血を吐くようなロバートのむせび泣きのあいだ、しばし話は中断した。

「鎌倉殿、ぼくらにいろいろ語ってくださるんです。鎌倉の町のリニューアルプランとかね。全国の荘園経営のリニューアルプランとかね。
 目をきらきら輝かせて、それは熱心に。話しだすと止まらないんです。
 正直――
 誰も、ついていけてないです。
 だいたい、始まって二分くらいでみんな寝ちゃうんです。
 だって話が壮大すぎて複雑すぎて、ぼくらの理解力では、何が何だか」

「そのぼくらを見るときの、鎌倉殿の悲しそうなご様子と言ったら、もう――
 あ、ありがとうございます」
 畠山ロバート重忠の号泣をかろうじて止めたのは、さりげなくさし出されたベンジャミンの麦茶だった。
「お菓子、いかがですか? きのこの山とたけのこの里と、どっちも冷蔵庫に冷えてますけど」
「すいません。おかまいなく」
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登場人物紹介

波多野静/アリア(はたのしずか/ありあ)


この物語のヒロイン。明るく素直で天然。特技は歌とダンスと水泳。惚れっぽいのが玉にキズ。海霊族(ネレイド)。

佐藤四郎忠信/クリストフ(さとうしろうただのぶ/くりすとふ)


アリアの同学年生(クラスは違う)。長身で俊足だが、内気で目立つのが苦手。極端な無口。女子に対する耐性ゼロ。アリアに片思い中。水狐(ウォーターフォックス)。

波多野遥/ミランダ(はたのはるか/みらんだ)


アリアの姉。妹思いでクールかつ熱血。特技はアリアと同じく歌とダンスと水泳。アリアとよく似た容貌だが、5センチ背が高い。海霊族(ネレイド)。

水原九郎義経/クロード(みずはらくろうよしつね/くろーど)


アリアの同級生で恋人。小柄だが学年一の美貌で、すでに女子の半数は陥落させている(推定)。身体能力、とくに跳躍力に優れ、お気楽な言動で周囲をふりまわす。ベンジャミンたちから「御曹司」と呼ばれている。樹霊族(ドリュアード)。

武蔵弁慶/ベンジャミン(むさしべんけい/べんじゃみん)


アリアの同級生。筋骨たくましい大男だが、冷徹な知性派でもあり、クロードの暴走をつねに(かろうじて)食い止めている。じつは料理男子。人馬族(ケンタウロス)。

佐藤三郎嗣信/フロリアン(さとうさぶろうつぐのぶ/ふろりあん)


クリストフの兄。容貌・性格・身体能力ともにクリストフとよく似ている。ただし左肩から右脇腹にかけて貫通創あり(一度死亡)。ミランダに片思い中。火狐(ファイアーフォックス)。

水原由良頼朝/カミーユ(みずはらゆらよりとも/かみーゆ)


クロードの異母姉。アリアやクロードたちとは別の全寮制高校に学ぶ。男装して生活している。頭脳明晰、真面目で誠実だが、男心も女心もまったく解さないのが玉にキズ。樹霊族(ドリュアード)。

遠藤盛遠/文覚/バルタザール(えんどうもりとお/もんがく/ばるたざーる)


カミーユとは中学時代からの先輩後輩の仲。アリアとミランダとは江ノ電の中で知り合う。荒海を一喝して静める法力の持ち主。性格は豪快で、人情に厚い。水霊族(ナイアード)。

後白河雅仁/ローレンス(ごしらかわまさひと/ろーれんす)


法皇。この国の権力構造の最高位にありながら、一見ひょうひょうとした異端児の風貌を持つ。が、その本心は未知数。バルタザールとは熊野での修行仲間。龍族(ドラゴン)。

土佐昌俊/ジョバンニ(とさしょうしゅん/じょばんに)


ベンジャミンのかつての修行仲間。その後カミーユに仕えていたはずだったが、詳細不明の経緯によって刺客となり、謎のダイイング・メッセージを残して世を去る。土霊族(ノーム)。

畠山次郎重忠/ロバート(はたけやまじろうしげただ/ろばーと)


クロードとベンジャミンのかつての同級生。いまは転校してカミーユの高校にいる。清廉潔白な人柄で「坂東武士の鑑(かがみ)」と称される。見た目しゅっとしているのに力持ち。人馬族(ケンタウロス)。

北条政人/オーギュスト(ほうじょうまさと/おーぎゅすと)

カミーユの同級生。寮では隣室。そつのない完璧な優等生。影となり日陰となり(?)カミーユを支えるが、いまだに友達以上恋人未満の生殺しポジションに置かれている。水霊族(ナイアード)。

滋子/ジェニファー(しげこ/じぇにふぁー)

後白河院の女御。院号は建春門院。かの平清盛の義妹(妻の妹)。美貌と知性と気くばりを兼ね備えたパーフェクトなレディ。溺愛してくる夫を甘やかしつつ、さりげなく手綱をとっている。樹霊族(ドリュアード)。

横川覚範/セバスチャン(よかわかくはん/せばすちゃん)


比叡山延暦寺(天台宗)の荒法師。四郎忠信とは宿命のライバル(に今後なるはず)。山霊族(オレアード)。

阿野全成/アントワーヌ(あのぜんじょう/あんとわーぬ)


醍醐寺(真言宗)の荒法師。クロードの同母兄、カミーユの異母兄※。悪禅師(あくぜんじ)の異名を取る。謎の使命を帯びてアリアに近づく。樹霊族(ドリュアード)。

※史実では頼朝より年下ですが、このお話ではお兄さんに設定してあります。

金王丸/マルティノ(こんのうまる/まるてぃの)


土佐坊ジョバンニの弟。推定年齢十歳前後(ヒューマノイド換算)。聡明で献身的。思いがけない形で佐藤兄弟の前にあらわれ、ある重大な秘密を告げる。土霊族(ノーム)。化体はカナヘビ=草蜥蜴(グラスリザード)。

巴/パトリシア(ともえ/ぱとりしあ)


一人当千の女武者。ミランダの盟友となる。素はおちゃめで尽くし好き。恋人の木曽義仲を失い、彼の菩提を弔って生きていたが、正直たいくつしていたところだった。土霊族(ノーム)。

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