(一)

文字数 2,049文字

 秋葉は母親からの連絡が嫌いだ。
 内容は決まって報告の要求ばかりで、友達はどういう性格でどんな趣味でどんな経歴か、マンションはどんな人が住んでいるか、近所付き合いはどうしているか――とにかく状況把握をしようとしてくる。
 一人暮らしの条件として買い与えられたスマートフォンは位置情報を把握できるようにされていた。当初は仕方ないと受け入れたが、しばらくしてわざと壊して買い替えたりもした。それが事後報告だったので酷く怒られたが、これは父親もあずかり知らぬことだったようで「やりすぎだ」と秋葉の味方をしてくれた。
 これを母親は「あなたは息子が心配じゃないの」と言い夫婦喧嘩に発展し、面倒になった秋葉は両親がやりあっている間に一人暮らしのマンションへと帰った。夫婦喧嘩がどうなったかは知らないが、母から新しいスマートフォンが送られてきたあたり父が敗北したのだろう。
 また子供の頃のような事件を起こさないかの監視をしたいのは分かるが、さすがに嫌気がさしていた。母が送ってきたスマートフォンは初期化して母専用として使っている。用途に応じた二台持ちと思えば悪くはない。
 しかしさすがに無視できないメールが母から届いた。いつものような要求ばかりの長文ではなく、たった一行だ。

「倒れた!?」

 内容はたった一つだけで『体調が悪くて倒れました。入院は必要ないけれど、できれば顔を見せに来てくれると嬉しいです』のみだった。
 このところ電話は「うん」「分かった」「じゃあね」の三種類しか返していなかったし、写真を送る時も一言添えることもしていなかった。秋葉にしてみれば鬱陶しいだけのことだが、母にしてみれば心配が募り心労が重なることだったのかもしれない。
 週末は隆志と買い物に行く約束をしていたが、今回ばかりはそれもキャンセルして朝一番の新幹線で実家へ向かった。

「ただいま! 父さん!」
「秋葉? なんだ、どうしたんだ。急に帰って来るなんて珍しいな」
「そりゃ帰るよ。母さんは?」
「母さん? 昼ごはん作ってるぞ」
「料理? 大丈夫なの、そんなことして」
「大丈夫って、何言っ――」
「アキちゃん! よかった! 帰って来てくれたのね!」

 首を傾げる父を押しのけて飛び込んできたのは母だった。
 嬉しいわと笑いながらはしゃいでいて、顔色が悪いわけでもなく怪我をしてる様子でもなく、見るからに健康そうだ。

「父さん。母さん倒れたんじゃなかったの?」
「倒れた? なんの話だ。別に何も無いぞ」
「……は? 何? 嘘?」
「嘘? おい、まさか病気だとでも言ったのか?」
「だ、だって。そうでも言わなきゃアキちゃん帰って来てくれないんだもの」

 秋葉は大きくため息を吐き、呆れたように父親もため息を吐いた。
 母親はだってぇ、と子供のようにしょんぼりしていたがかわい子ぶりっこした素振りは不愉快なだけだった。

「友達の約束断って来たんだけど、俺。嘘って、何なのそれ」
「なあに、その言い方。お母さんとどっちが大事なの」
「本当に倒れたならそうだけど、嘘なんでしょ」
「でも本当だったらどうするのよ」
「だから! ああ、もう……」

 ――この人とは意思疎通ができないんだ。
 秋葉はそう飲み込んで、母ではなく父に目を向けた。

「連絡は全部父さんが電話でして。それ以外は無視するから」
「……そうだな。分かった」
「無視? 何言ってるの。夜の電話と写真はなきゃ駄目よ」
「もう止める。じゃあね」
「アキちゃん! 何言ってるの! 待ちなさい!」
「母さん、もういいだろう」
「よくないわ! また昔みたいになったらどうするの! ちゃんと見ててあげないと!」
「秋葉だって大学生だ。そううるさく言うな」
「うるさくなんてないわ! ねえ、アキちゃん!」
「秋葉。いい。行きなさい」
「うん」
「お父さん! どいてちょうだい!」
「いい加減にしないか。秋葉が帰ってこない理由はそれだぞ」
「何がよ! そうやっていつもいつもアキちゃんのことに無関心で!」

 ――ああ、まただ。
 距離を置けば多少気持ちが落ち着いて、家族とも冷静に会話ができるようになるだろうと思う時もある。今日だって純粋に心配をしていたのだ。
 それがいつもかみ合わずこうして不愉快な思いをして終わる。
 秋葉はきゃんきゃんと喚く母親に背を向けて、はたと思い出し父だけに顔を向けた。

「父さん。最近春陽のこと誰かに話した?」
「春陽? いや、特に無」
「ハルちゃん!? ハルちゃんがどうしたの!?」
「……特に無いな。急にどうした」
「別に。ただ――……」

 秋葉にとって、今の母親は鬱陶しいだけだ。父親については特に可もなく不可もなく。

「生きてたらどう思っただろうなって」

 玄関の戸を開くと、そこらにたくさんの金魚が飛んでいた。
 叶冬はこれが死者の魂ではないかと言った。

「あ、アキちゃん。妙なこと考えないで。アキちゃんまでいなくなったらお母さん」
「じゃあね」
「アキちゃん!」

 母の喚く声がうるさかった。もし生きていたら春陽はどう思っただろう。

「……この町は金魚が多いな」
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