chapter1-3:奔走る少年

文字数 6,951文字



「……」

 空の下を、ただ一人歩く。
 肩を落とし、ふらつきながら歩く僕を、人々は迷惑そうに避けながら通り過ぎていく。

 ……クラッシュ・ロウによる惨殺事件から、およそ一時間。

 鳴瀬ユウは朦朧(もうろう)とする意識のなか、我が家への帰路に着いていた。

 ―――もう、お仕舞いだ。

 そんな言葉が絶えず脳裏に浮かんでは消えていく。


 「明日までに三億を集める」。

 そんなこと、誰にも事情を相談せずになど達成出来るわけがない。
 だが誰かに相談をすれば家族を殺され、集められなくても家族を殺され。

 正直、手詰まりだった。

 助けを求めようにも警察に駆け込んでも無駄。
 何故なら警察はブレイバーズと異能力犯罪の捜査に関して提携を結んでいるから。

 相談したことは即座に伝わるだろうし、それ以前に、今だって監視されてるかもしれないのだ。
 少しでも反抗した、と誤認されるような行動さえ、僕に取る自由はなかった。

 ―――つまるところ、ヒーローに目を付けられた以上、ただの無力な学生である鳴瀬ユウに出来ることなどありはしないのだ。

 あの、たった一回の愚かな勇気のせいで、僕は全てを失うというのか。

 ならいっそ、助けになど入らなければ―――

「……馬鹿か、僕は」

 ―――そんな思考が一瞬でも脳裏に過ったことに、深い自己嫌悪を覚える。
 そんなこと、万が一にでもあの襲われた少女の前で言えるのか。

 僕は本当に、愚かだ。


 そんな思考を脳内で延々反芻(はんすう)しているうち、目前には住み慣れた我が家が見えてきた。

 小さいながらも長年慣れ親しんで暮らしてきた、鳴瀬ユウの実家。
 新都・青葉の街の一つ、「イズミ」の住宅街にある一軒家だ。

 その門を通り、僕は玄関扉の前に立ち尽くす。
 ―――どの面を下げて、僕は家族に会えばよいのだろうか。

 自分の軽率な行動のせいで、命を脅かしてしまっている事実。
 しかもそれを口にして相談してしまえば、家族はすぐにでも皆殺されてしまうという謂わば詰みの状態。

 ……結局のところ、家族に対して今話せることはないのだから、少しの間だけでも普段通りの態度を取るしかない、だろう。

 ―――そう決意した僕は玄関扉を力なく開ける。



「―――お帰りお兄ちゃん!」

 扉が開いた瞬間、玄関から鈴の音のような澄んだ声が聞こえた。

「……うん」

 家の戸を開けると、妹――鳴瀬ハルカが満面の笑みで僕を出迎える。
 どうやら僕の帰りを待ちわびていたようで、随分前から玄関から見える階段に座って僕を待っていたらしい。

 ―――これだけなら、殊勝かつ兄思いな妹のように思えるだろう

 だが、違う。
 この妹は、兄である僕を弄り、僕で遊ぶことを史上の娯楽とする小悪魔のような女子なのだ。

 普段は僕の根暗さをここぞとばかりに弄り倒し、鋭いダメ出しをしてくるのが定例の兄妹のやり取りだ。
 ……とはいえ実の兄妹だし仲も特段悪くないから、笑って許せるレベルのものではあるのだが。

「どうしたの?なんかあった?」

 ……だが、そんなハルカも今のボクを見て 何かを察したのか、弄るどころか心配するような声をかける。

 そんなにも、今の兄は情けない顔をしているらしい。

「……」

 言葉が、出ない。

 ―――言えない、言えるわけがない。

 家族みんなの生殺与奪が、僕の軽率な行動のせいでヒーローに決められてしまっているなんて。

 言えば殺される。言わなくても―――

「あらお帰りユウ……どうしたの、そんな暗い顔で」

「母さん、ユウがどうかしたのか?まさか、彼女でも―――」

「お父さん、変に茶化さないの」

「もー!お父さんったらー」

 いつもの何気ない家族の一コマ。
 なにも変わらない一家の団欒の風景、普段であれば混ざって共に談笑するところで……


 ―――だが今はその一つ一つ、慣れ親しんだ家族の一挙一動が鳴瀬ユウという人間の良心の呵責(かしゃく)を刺激していく。

「……いや、なんでもない」

 ―――やっぱり、打ち明けた方がいいだろうか。

 そんな考えも一瞬よぎったが、そんな愚かな考えは直ぐに押し殺す。


「―――ちょっと、出掛けてくるね」

 駄目だ、今の僕には、ここの空気を吸う資格はない。
 資格、なんてものが存在しないことなんて百も承知の上だが、それでも。

「……?分かったけど……夕飯までにはちゃんと帰ってくるのよ?」


 だから結局。

 ―――僕は耐えられなくなって、愛すべき家族の元から逃げ出したのであった。



 ◇◇◇



「……あぁ」

 もはや日も落ちかけ、辺りは徐々に暗がりに染まっていく。

「一体、どうしたら……」

 どうすれば明日までに三億なんて集まるのか。
 考えても考えても、結局答えなどでない。

 そう、出るわけがないのだ。
 そんな一攫千金の方法なんて、そもそもに存在しないのだから。

 ―――だけど、それでも。

 あの暖かな家族を、未来ある妹を、育て上げてくれた両親を。
 何も手を打たないまま、殺させることなんで出来ない。

「―――とにかく、集めなきゃ」

 僕は考えるのをやめた。
 もう、思い付いた手段から、がむしゃらに実行していこう。
 下手な鉄砲、数撃ちゃ当たる。

 そう考え、僕は想像しうる金策を、順に実行していく。

 ―――まず最初に向かったのは銀行だ。

 新暦になってから、銀行の閉店時間は17時までが平均になった。
 伸びた理由としては、新暦になってから能力者の存在を前提とした企業や事業が爆発的に拡大。
 従来の15時閉店では純粋に処理が間に合わないという事態が発生した為である。

 また能力者による強盗事件が発生したことから、警備の警戒レベルも大きく拡大。
 常に常駐する警備員は、銃器で武装をしていた。

 そんな中、僕は頼み込んだ。
 ―――「三億を貸してくれ」、そんな妄言を。


「すみません、そのような額を学生である貴方に貸すわけには……」


 だが、にべもなくバッサリと断られる。

 ―――あまりにも当然の返答だ。

 一流の会社員だったとしても、三億の融資なんてそう簡単には取り付けられるものではない。

 ましてや学生、しかも理由を口にできないというハンデまでついている。
 却下されるには、あまりにも当たり前な申し出だった。

「そんな……そこを、なんとかお願いします!どうか―――」

 だがそれでも、僕は食い下がった。
 しまいには頭を垂れ、感情論の土下座で相手の情に訴えかけようとまでした。

 必死、必死だったのだ。

 ……だが。

「……君、○○高校の子でしょ?あんましつこいと学校に連絡しちゃうよ?」

 ―――そんな軽率かつ薄弱な思惑が、大人に見抜かれないわけがない。

 結局、その銀行はすぐに追い出された。

 当然だ、他の客に迷惑になる異物を何時までも店内に居させることを良しとする場所など、どこにだってありはしない。
 むしろ、よく撃たれたりしなかったものだ、と後になって思うほどだ。



 ―――だがそれでも、僕は諦めきれなくて、次の銀行に向かう。

 次に向かったそこは古くから地域にある銀行で、比較的他の銀行に比べて馴染みの客なども多い場所。

 だから先程の銀行のように直ぐに追い出されるようなことまではなく、少しは向こうも親身になってくれる。

 ……追い込まれていた僕は、そんな愚かな考えを抱いていたのだ。

「―――大体こんな大金、何に使うの?遊ぶ金欲しさって感じじゃないよねえ?こんな額」

「それは―――」

 だが、駄目だ。

「……言え、ません」

 もしここで恐怖に耐え、理由を言えていたら相手だって少しは温情も見せたかもしれない。
 もしくは然るべき機関へと連絡して、家族を保護するとか、そういう未来はあったかも分からない。

 ―――だが、そのすべては今潰えた。

「はぁ……お帰りはあちらです、当行をご利用いただき、ありがとうございました」



 結局のところ僕は、見えないヒーローへの恐怖に怯えて何一つ真実を口にすることができず。


「あのさぁ、子供がそんな額持ってどうするわけ? 」

「働いたこともねぇ子供が、馬鹿なこといってんじゃねえ!」


 ただ罵声を浴びせられ、時には銃を向けられ、何度もその場を後にすることしかできなかった。


 ―――今や時間は18時を回った。

 殆どの銀行は既に閉まりきっている。
 となれば、後に大金を借りれる場所など表の世界にはありはしない。

 ……だから僕は路地裏の雑居ビル、そのなかに居を構える闇金業者の元に向かった。



「失せろ餓鬼がッ!」

「ぐあ……!?」



 ―――だが、駄目。
 どこにいっても決まって暴言を浴びせられ、悪ければ暴行を振るわれ、叩き出される。

 もはや額を提示する段階にすらいかない。
 入った段階で威圧を受け、殴打され、追い出されるだけだ。

 むしろよく殺されなかったものだ、とも思ったものだが、だからとてここで諦めるわけにはいかない。

 ―――家族を助けるためだ、自分の命だって惜しむものか。

 そんな決意と共に愚かな少年、鳴瀬ユウはその額から血を流しながら、力なく路地裏を歩き続ける。

 あぁ、でも。

 ―――もう、駄目なのかもしれない。

 無知な学生であった僕には、これ以外の金策は思いつかない。
 銀行、闇金。
 金融会社のATMではカードを持たない僕は金を借り入れることはできないし、他に場所なんて―――

 ……場所、そうだ。

 そこに来て、僕はやっとひとつ心当たりを思い出した。


 ―――そうだ。

 旧暦からこの街に居を構えている、裏社会を象徴するような存在がまだいるではないか。

 金貸し、とは少し性質が違うその組織にいくことなど、まともな精神状態の人間がする判断ではあり得ないだろう。
 ―――だが万事休し、万策尽きた僕にとっては、それは地獄に垂らされた一本の蜘蛛の糸のように思えたのだ。

 そして、鳴瀬ユウは歩き出した。


 目的の地、かつて歓楽街であったスラム街―――「クニワケ」、そこにある反社会勢力「劫龍会(ごうりゅうかい)」の事務所のひとつへと。


 ◇◇◇



「―――お前みたいな餓鬼に貸す金はねぇ!失せろ!」


「ぐぁ……!?」

 ―――もはや、慣れ親しんだ痛み。

劫龍会(ごうりゅうかい)」の事務所の扉に叩き付けられた僕は、もはや痛みすら微弱にしか感じなかった。

 脳が麻痺しているのか、焦りでそれどころではないから。
 何れにしてもまともな精神状態ではないことは、目の前の構成員の目にも明らかだっただろう。

 ―――あれから数十分、事務所のチャイムを鳴らした僕は、出てきたアロハシャツのような服を着た輩のような服装の男性へと形振り構わず告げた。

「三億を貸してくれ」、と。

 ―――すぐに、怒鳴られた。
 そして振り上げられたその拳が僕の鼻っ柱を正確に捉え、強烈な打撃が脳にまで響かんとばかりに伝播する。

 かくして鳴瀬ユウは、再び頼みの綱である場所から追い出される羽目になって―――

 だが、その時。

「……おい、何してる?」


 ―――その衝突音を聞き付けたのか、奥の部屋から一人の男性が姿を表す。

 高級感のある白いスーツに身を包んだ、強面の男性。
 ラフな服装のチンピラ構成員とは明らかに雰囲気が違うその男性は、人目で彼らを纏める役についている人物であろう。
 その手には葉巻が握られ、その姿は如何にもステレオタイプな「本職」といった様相だ。

「あ、兄貴!実はこの餓鬼が、3億貸せってしつこくて……」

 構成員は少し困ったような顔で、スーツの男性に事情を説明する。彼等としても事を荒立てず、穏便に事を済ませたかったのだと思う。

 ただでさえ異能者の合流対策で反社会勢力への締め付けを強化しているのだ、余計な尻尾は出したくないのだろう。

 そんな中、面倒ごとを上司に知られてしまったというのは、彼らにとっては大きな失敗で―――



「―――おい坊主、何にこんな大金を使うつもりだ?」

 スーツ姿の男は跪き、地面に転がる僕へと声をかける。
 きっと、理由を知りたいのだろう。
 餓鬼が反社会勢力の事務所にまで乗り込んで、金を無心した理由を。

「それは……言えない」

 ―――だが、やはり言えない。
 言ってしまえば、家族の命がないかもしれない。そんな恐怖のなかでは、誰にであれ打ち明けることなど出来ない。

 だがそのふざけた返答にも、男は少しも表情を変えずに言葉を続けた。

「返すあてはあんのか?」

「……ない、です」

 ―――当然、ない。
 あのヒーローにもし三億が渡せたとしても、その後の事など何も考えていない。

 いや、考えられないのだ。

 頭のキャパシティは既に「どうにかして三億を集めて家族を助ける」、というところに全リソースを注いでオーバーしていた。



「話にならねぇな……」

 ため息をつき、立ち上がる男。

 ―――駄目だ、この機会を逃したら、もう二度とは。

 死なせたくない。
 僕は死んだとしても、せめて家族だけは―――

「ん?」

「なっ……」

 周りの男達の困惑の声。
 だがそれに構わず、僕は、叫んだ。


「―――お願いします!僕の命はどうなっても構わないです!だから、どうか……!」


 倒れた姿勢から、痛む身体に鞭を打ち土下座の姿勢へと移行し、頭を下げる。


「お願いします!僕のことは、殺してくれたって、鉄砲玉にしてもらったって一向に構わないから、だから―――」

 地に頭を擦り付け、血が出るのでないかというほどに力を籠める。
 そして声の限り発したのだ。
 ―――「僕の命の代わりに、金を貸してくれ」と、愚かな叫びを。

「てめぇ!兄貴にそんな―――」

 構成員たちの怒りの声。

 だが、それに構ってこの姿勢を崩すわけにはいかない。
 元より非力な学生である自分にできることなんて、これしか訴えかける方法は―――



「よせ」



 その時、スーツの男の声が部屋中に響いた。
 ドスの聞いた、低く重い声。
 その迫力に気圧されたのか、僕に対して罵声を浴びせていた構成員たちも皆、黙り混んでしまう。

 そして、男が近付く音が僕の耳元に響いた。



「……!」



 ―――あぁ、流石に殺されるか。
 それを自覚した瞬間、頭の中が少しすっとした。
 家族を守る、あの浚われた女の子を助ける。

 そんな分不相応(ぶんふそうおう)な重責から、少し解放された気がして、



 ―――でも。


 やっぱり諦めたくない。

 死にたくは―――



「―――2億、だ」

「え……?」

 え?

 この男性は、今なんといった?二億を……貸してくれる……?

「それだけなら、貸してやる。残りは自分で何とかしろ。そんで、必ず返せ」

 男は僕の顔を上げさせ、真っ直ぐに見据えてそう口にする。
 ……その言葉に嘘偽りがないことは、憔悴(しょうすい)しきり朦朧(もうろう)としているなかの僕にも、直ぐに分かった。

「おい兄貴!そんなこと……」

 周りの構成員たちは、自分たちの上司の信じられない言葉に困惑している様子だ。
 当然だ、こんな意味の分からない子供に、急に2億を貸すと言い出したのだから。

「……この件は、俺が責任を持つ。この2億が回収できなきゃ、指を詰めるなり海に沈むなりしてお前たちの手柄にしたって構わねぇ。だから頭たちには伝えんな、いいな?」

「……まぁ、兄貴がそこまでいうなら」

 だが、発された男の言葉は、まさしく自分自身の命をかけたもの。
 そんな覚悟を前にしては、部下達は引き下がらざるを得なかった。

 ―――なんて、ことだ。

 初めて、初めて自分に金を貸してくれる人に巡り会えた。
 この数時間の奔走(ほんそう)は、きっと無駄じゃなかったんだ。

「……あり、がとう……!ありがとうございます……!」

「礼は、金を返すときにしな」



「……はい……!」

 残り、1億。
 確かに膨大な額ではあるけども、少し光明が見えた気がする。

 人の優しさに触れるということは、かくも心を癒して、暖めてくれるのか。

 ―――だから行こう、まだ頑張ろう。

 行ける場所、思い付く場所は全部行ってお願いをして回ろう。



 そう考え、僕はふらつく足で歩き出したのだった。
 この真夜中でもけたたましい音の鳴り響く雑多な街を、





 ―――その果てが一体、どんな末路であるかも知らずに。

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