第2話

文字数 2,317文字

 ある日の事だった。
 事務所で打ち合わせにやってきていた大森に、小木が一人の新人を紹介した。
 彼は演歌ではなくポップス歌手として上京し、半年前に契約して来月デビューする事になっていたのであった。
「初めまして。今度この会社からデビューする事になりました、吉沢宗男といいます。大森さんには以前から憧れていまして、同じ会社でデビューする事が出来て、本当に光栄です」
 大森は一言、「頑張れよ」と言葉を掛けると、吉沢は丁寧にお辞儀をして会議室を後にした。
 彼は今どき珍しく、礼儀正しい青年だった。決してイケメンとは言えない風体だったが、それを補えるほどの人の好さが滲み出ていて、大森は彼に対して好感を持った。だが、人柄だけで成功するほどこの業界は甘くはない。案の定、吉沢のデビューシングル「BE BEAT」はたいして話題にもならず、売り上げも低迷していたのである。
 大森は自分が一作でも注目されたことを考えると、吉沢に対して気の毒な気持ちで一杯になった。

 デビューから八年が経ち、大森は最後の大勝負に出た。引退を掛けて発売した「冬のホタル」が会社の評判を良い意味で裏切り、まさかの大ヒット。見事引退を無事に回避し、デビュー曲以来の注目を集める事となった。
 しかも「冬のホタル」は演歌にもかかわらず、シニアから子供たちまでどの年代からも支持されて、オリコンチャートは初登場こそ圏外だったにもかかわらす、有線などで火が付き、わずか二か月後にはオリコン三位を獲得するまでになった。もちろん演歌部門ではなく総合チャートでの話である。

 街には大森の歌声が流れ、テレビやラジオで彼を見ない日は無いくらいになると、大森は小木としっかりと手を組み、今度はキャバクラに溺れる事も無く、精力的に仕事に励んだ。気が付けばCDの売り上げは五十万枚を超え、演歌としては八年ぶりの大ヒットとなった。SNSには大勢の人の「冬のホタル」の動画にあふれ、コンサートには高齢者だけではなく、小さな子供を連れた親子の姿が見えるようになった。サイン攻めにあい、小木はスケジュールの管理に嬉しい悲鳴を上げる毎日を送る様になっていった。毎年、年末に放送される国民的大型歌番組にも初登場を果たし、その人気は不動のものと誰もが思ったくらいであった。

 ある日、大森は仕事の合間に何気なくテレビを見ていると、あの後輩の吉沢宗男がテレビで歌っていた。しかも驚くことに吉沢が歌っていたのは彼の持ち歌ではなく、大森の「冬のホタル」のモノマネだったのだ。大森はいたたまれなくなりテレビを消すと吉沢と初めて会った日の事を頭に浮かべた。
 彼は屈託のない笑顔で、元気よくはきはきとした態度で当時落ち目であった大森に対し、尊敬の目で礼儀正しく挨拶してくれた。例えそれが彼なりの気づかいであったにせよ、売れない自分の代わりにスターになって欲しいとまで密かに応援するほどだった。そんな彼は結局大森のモノマネでしかテレビに出られないと思うとやりきれない思いになり、思わず受話器を握る。相手はもちろん吉沢。そして「モノマネしてくれてありがとう。君には才能があるから、きっといつかは売れると私は信じている」と、激励の言葉を送った。吉川は電話の向こうで涙交じりに感謝の言葉を発した。そう、かつての大森と同じように。そこに悔しさなどは微塵も感じなかった……。

 だが、「冬のホタル」のヒットもそう長くは続かず、テレビに呼ばれる日も目に見えて回数が減っていった。新曲を出し続けてはいたが、小木の売り込みも虚しくCDショップにさえ置いてもらえなくなっていく。
 たまにテレビに呼ばれても懐メロ歌手としての扱いで「冬のホタル」しか歌わせてはもらえず、そのうち歌すらも歌わせてはもらえずに深夜のバラエティ番組で若手のお笑い芸人たちと一緒に熱湯に浸かり、泥にまみれる仕事しか来なくなっていた。

 やがてコンサートも空席が目立つようになり、地方営業もこれまでのソロコンサートから、二人、三人と束でくくられるようになっていく。それでも最初こそポスターのセンターを牛耳ってはいたが、やがて年月が経つにつれて二番手、三番手となり、気が付けば八人中五番手が定位置となっていた。
 それでも大森は歯を食いしばって“夢よ、もう一度”とばかりに会社の反対を押し切ってCDを発売し続けた。だが、一度落ちた人気は回復する事は無く、世間からは一発屋のレッテルを貼られることとなっていった。

 落ち目になっていく大森を尻目に、これまでヒット曲に恵まれなかった吉沢宗男は自分で作曲して出した六枚目のシングル「ジェラシーのシナジー」が大ヒットを飛ばした。彼は名前をいつの間にか「ハングリー吉沢」と改名しており、彼の名前は瞬く間に席巻していった。
 大森は彼の初ヒットに喜び、これで人気歌手の仲間入りが出来たと嬉しくなった。かつての自分を思い出し、当時の想い出に酔いしれていたが、一方でそう長くは続くまいと何処か斜に構えていた。吉沢も自分と同じように一発屋で終わるのではないかと考えていたのである。それは吉沢を心配するというよりは、自分と同じように一発屋で終わってほしいという妬みからくるものなのかもしれない。

 だが、ハングリー吉沢はそんな大森の予想に反して続くシングルもヒットを飛ばし、アルバムも年間五位を記録した。ポップス界で不動の地位を確立した彼は、大森の元を訪ね、ヒットの報告とこれまで応援してくれたお礼を述べた。見た目こそファンキーないでたちだったが礼儀正しさは相変わらずで、本物のスターとは君の事をいうのだとエールを送りつつ、見くびっていた自分を恥じるしかなかった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み