二、

文字数 4,224文字

 平蔵が通されたのは奥座敷だった。
 由右衛門が配下を引き連れて退出し、部屋に残された平蔵は息をつく。

 室内に輪天(りんてん)薬の甘ったるい匂いはなく、煙草盆と共に供された煙草の葉も普通のものだった。
 煙管で煙草をやりながら待っていれば、障子で仕切られた縁側に気配を感じた。
 開けてみれば、刀を背負ったさやが不機嫌そうな顔でこちらを見上げていた。

「おうさや、来たか」
「ん」

 さやには一人で出歩ける利点を生かし、あとで平蔵と合流することにしていたのだ。
 彼女は自分の刀の備品の場所はわかるらしく、平蔵はあらかじめ小柄(こづか)を懐に入れていたのだった。
 さやをむかえいれるために半身になった平蔵だったが、童女は刀を縁側に置いたっきり、無言で手を伸ばすばかりだ。

 上がれない段差ではないだろうにと平蔵は思いつつ、要求された通り脇に手を入れてもち上げ、部屋に入れてやったのだが、さやのじっとりとした視線の圧力は変わらない。
 あきらめた平蔵は、腰に手挟んでいた小柄を鞘に戻しつつ彼女を見やる。

「あんだよ」
「へーぞーもぐらのなかまになるの」
「聞いてたのか」

 由右衛門は一通り、酒と煙草を勧めたあと、用心棒として一家に入らないかと打診してきた。

『ちょいと大仕事が控えていてな。今わしについておれば、よい思いが出来るぞ』

 目に付いた腕の立つ人間に声をかけることは、急成長している一家にはありがちな話だ。
 しかし慎重だと言う噂を聞いていた由右衛門にしては性急な誘いに違和があり、探りを入れてみたが、仲間になれの一点張りでのらりくらりとかわされた。
 仕方なく報酬次第だと応えたころに、由右衛門が呼び出されて席を立ったのだった。

「なわけねえだろ。真介の親分を断ってこっちを受ける理由がないだろうが」
 声を殺して返したのだが、さやは不機嫌に、いや不安げに瞳を揺らしていた。
「でもへいぞう、こわいかおしてる」
「……ああ、なるほどな」

 そう言われて納得した。
 未だに輪天薬の影響が残っているのだろう。あれはこころに虚が空きやすくなる薬だ。香として使った場合どれほど効き目があるかはわからないが、平蔵を浸食していたのだ。
 とうの昔にふたをしたはずの物が、どろりとうごめくのを感じる。嫌な気分ばかり、思い出す。
 薬が原因だとわかっていても、あの頃の記憶ががりがりと内側から削ってくる感覚が不愉快だった。

 だが今やるべきことは決まっている。平蔵は思考を切り替えると、縁側から外をうかがった。
 さやが問題なく来れたことからわかっていたが、見張りはいないようだ。
 屋敷側にも、見張りが付けられていないことは承知済みだった。

「もぐらの野郎に、虚は空いていなかった。少なくとも、作ってる本人じゃねえ」
「……うん」

 未だに不安げではあったが、話柄を変えればさやはこくりと応じた。
 恨みを買いやすい裏街道の人間は、多くの魍魎をまとわりつかせていることを、平蔵は経験上知っていた。
 土竜の由右衛門もその例に漏れず、多くの魍魎が周囲にうごめいていたが、由右衛門にとりつくまえに何かにはじかれるように離れていった。
 虚はその人間が虚の原因となったものに関わらない限り、表面化しにくい。とはいえ、虚神がまとう瘴気というものが完全に消し去れるわけがない。

 人あらざる者を見ることのできる平蔵や、虚の気配に聡いさやですら感じ取れないのであれば、由右衛門は虚神憑きではないことになる。

「でも、このいえ、しょうきがこい」
「しかも妙に対策を取ってやがる」

 屋敷内にも濃く魍魎がたゆたっているが、廊下の柱には魍魎避けの札が等間隔に貼られていた。
 巴屋よりも厳重に対策が取られているのには、少々所ではなくきな臭さを感じる。
 さらに言えば背筋に覚える嫌な気配が収まらない。

 己の知らぬところで、踊らされているような。

 気のせいであれば良いと願いつつも、こういう感覚を無視してはならないことを平蔵は知っていた。
 由右衛門自身が原因ではないとすれば、例の薬が保管されている可能性が高い。
 なにより、金にがめつそうな由右衛門があまり金を落とさなそうな、賭博狂いを集めた賭場を開く事が腑に落ちない。
 なじみ深くなった紅塗りの刀を落とし差しにした平蔵は、懐から草履を取り出して外に落とした。

「……」
「物騒な所じゃ必要な備えだぜ」

 さやのじっとりとあきれたまなざしに、うそぶいた平蔵は縁側から外に出た。
 屋敷の庭は、しん、と静まり返っていた。
 おかげで、どこかで鳥が羽ばたく音すら耳に届く。
 普通ならば、庭も警戒しそうなものだが人っ子一人いないのは、まるで外に出ることを厭っているようだ。

 向かう場所は決まっていた。ここを立ち去るときに由右衛門の焦りを見るに、なにか不測の事態が起きていると見て良い。
 ならば、彼らを追いかける事が近道だ。

「さや、魍魎の気配が一番濃いところにいくぞ」
「あい」

 屋敷から明かりがこぼれていても足下を見分けるには乏しかったが、さやの先導のおかげで平蔵は迷いはない。
 しかし、すぐさま男の悲鳴と、大きな物が崩れる音が響き渡り、平蔵は腰の刀を押さえて走り出した。

 鞘の中に彼女が戻るのを感じつつ、騒動の方向へひた走れば、そこは屋敷の裏手に位置する倉だった。
 開け放たれた観音扉から一目散に男たちが逃げ出してゆく流れにあらがい平蔵は、倉に足を踏み入れる。

「お前、売りもんに手を出すなって、あれほど言っただろうが!」

 由右衛門が怒鳴ったが、その声は明らかに震えている。
 そこかしこに明かりがともされた倉の中は、作業場となっていたようで、壁際には封がされた木箱が積み上がっていた。
 しかし今はそれらの道具は乱雑に蹴散らされており、空いた空間に男が一人、陣取っていた。

 獣のように、地に両手をついた男からはとりついた魍魎が、ゆらゆらと煙のようにうごめいている。

「俺ぁな、あの方が約束してくださったんだ。あんたの(たま)を取れば、目明かしにしてくれるってな! あんたとは縁を切ったんだよ俺は!」 

 明らかに錯乱している男は、ケタケタと笑いながら続けた。

「どうせ、薬を御法度にしていた理由もよ、下のもんに刃向かわせないための方便だったんだろ。なんて言ったって、こんなにすげえ力が手に入るんだからなあ!」

 言った瞬間、男の体に取り憑いていた魍魎が膨張し、姿が変質する。
 その足は、太く硬質な光沢を帯びて折れ曲がり、背中に虫の羽のようなものが伸びた姿は、飛蝗(バッタ)に似ていた。

「騙されやがって! あいつが共倒れを狙ってんのがわからねえのか!」

 由右衛門が震えながら叫ぶ声をかき消すように、大飛蝗は羽ばたいた。
 とたん、倉の中を突風が吹きすさび、照らしていた行灯が倒れる。
 ごうごうと燃える中、硬質な光沢を帯びた男の肌がぬるりと光る。

 明らかな仲間割れだった。
 悪党連中がつぶし合ってくれるのであれば、どうぞやってくれとなる。
 しかし平蔵は、燃える倉の中に飛び込んだ。

「さやっ!“我が魂を刃となせ!”」
「あい」

 鯉口を切り、大地を蹴る一足で、最高速に乗る。
 その勢いで、由右衛門に飛びかかる大飛蝗を撫で斬った。
 予想外に早かった大飛蝗のせいか、刃は羽をかすめるにとどまる。
 羽の一部がもげ、体勢を崩した大飛蝗は、煙の奥へと消えていく。
 由右衛門が目を見開いた。

「あんたは」
「とっとと逃げやがれっ!」

 平蔵が叫ぶと同時に、煙を切り裂いて、大飛蝗がするどく飛び混んできた。
 予想外に素早い突進に平蔵は半身でよけようとする。
 が、大飛蝗の足に着物が引っかけられ、倉の外へと引きずられた。

 とっさに足を切り飛ばす事で逃れたが、地面を転がる衝撃はどうしようもない。
 それでも平蔵はすぐさま起き上がり、大飛蝗の姿を探す。
 
 煌々と燃える倉の前に大飛蝗がぎちぎちと威嚇音を出していた。
 機動力の源だった羽はちぎれ、前足の一部は切り落とされていたが、太い後ろ足は堂々と残っている。
 由右衛門から平蔵に攻撃対象を移したらしい。平蔵が体勢を立て直す前に、眼前から大飛蝗の姿が消えた。

 飛んだのだ、と悟った瞬間、刀を前へかざしていた。
 刹那、腕がもげるような衝撃に、とっさに左手で峰を支える。
 しびれる腕と同時に、体の奥が軋むのをおぼえた。

「ぐぅっ」

 かろうじて受け流せば、大飛蝗がつんのめると同時に、平蔵は後へと下がる。
 刀を持つ腕がしびれ、ほとんど力が入らない。
 二度目を受けきるのは自殺行為だ。
 しかし、むやみに突っ込んだところで、強靱な跳躍力で逃げられる。

 どうするべきか。

 土埃を立てて、地面に突っ込んだ大飛蝗は、再び平蔵へと狙いを定める。
 そのもたついた動きは、羽と前足がもげているせいで、うまく着地が出来ないらしい。
 平蔵は切っ先を下向きに構え、大飛蝗へ向けてまっすぐ走り始めた。
 無鉄砲な突進に、大飛蝗は困惑したように足踏みしたが、かまわず跳躍に足をたわめる。

 一瞬で肉薄する大飛蝗に、平蔵はぐっと、地面すれすれにまで姿勢を低くした。
 髪や背をぢりと、大飛蝗の腹が撫でていくのを感じる。
 大飛蝗と交錯する刹那、平蔵は太い足の関節部分を狙い、下段から刃をすくい上げる。
 硬質なものを断つ気配がした。
 ぱっと、大飛蝗の右後ろ足が空中を舞う。

 大飛蝗が地面へ突っ込むと同時に、平蔵は反転しその背にある黒々とした大きな虚を見定めた。

「これも仕事だ、恨むなよ」

 袈裟懸けに振り下ろした刃は、狙い違わず大飛蝗の虚を断ち切った。
 ぎちぎちと悲鳴を上げながら、魍魎が霧散したあとには、男が力なく倒れていた。
 案の定土竜の由右衛門の姿はなく、倉の内側は完全に火が回っている。

 手がかりはこの男だけだ、と刀を収めた平蔵は男を抱え上げようとした。

「へーぞー!」

 さやの警告が耳に届く前に、平蔵は地面に体を投げ出していた。
 たん、と軽い発砲音が響き、助けようとした男の背にぱっと赤が散った。
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